Gebet(1)



 自由は自由なんかじゃない。
 自由が僕を縛り付け、身動きをとれなくしている。
 自由って何だ?
 僕は何をすればいい?
 自由だから、と、僕の行く道を誰も教えてくれない。
 自由って何だ?
 茫洋とした未来に放り出され、僕はまるで行き先を見失った帆掛け船のように、風の吹くまま、流されるばかりだ。


********************

 その日、ベルゲングリューンは珍しい姿のロイエンタールを迎えた。車寄せに止まった地上車からロイエンタールは携帯端末を耳に当てたまま現れた。出迎える使用人たちに目だけで応えて、そのまま二階の私室に上がってしまう。ベルゲングリューンは後を追おうとしたが、すんでのところでそれを止めた。楽しげに語らう姿を自分に見せるということは、その通信に疚しいものがないという証左ではないかと自分に言い聞かせたのだ。落ち着かない気持ちを押さえ込んで待つこと十数分。ロイエンタールが階下へ降りてきた。そして、開口一番、
「息子が帰ってくるぞ」
と言ったものだから、ベルゲングリューンは動転してしまった。実は、世間に広く知られてはいないものの、ロイエンタールには実子がいる。リヒテンラーデ公の姪との間に授かり一時は行方知れずになっていた子供は、今はミッターマイヤーに引き取られ健やかに育てられている。ロイエンタールの「息子」という言葉に一瞬その子のことを想像したのだ。しかし、よくよく考えてみれば、その想像は辻褄が合わないにもほどがある空想だった。フェリックスと名付けられたその子は、まだ物心付くか付かないかという年頃であるし、ロイエンタールは何よりもその子が親友夫妻のもとで育てられることを望んでいる。だから、帰ってくることをこれほどまでに喜ぶはずもないのだ。落ち着いて考えれば、ロイエンタールの言う「息子」が指す者は一人しかいなかった。
「ランベルツが帰ってくるのですか?」
「ああ、士官学校の長期休暇を利用して、ハイネセンまでくるらしい」
 ハインリッヒ・ランベルツ。幼年学校の生徒時分にロイエンタールの従卒を務め、幾多の戦火を共にくぐり抜けてきた子供だった。父親を戦争を亡くし身寄りの亡くなった彼を哀れんで、ロイエンタールは養子として後見していくことにしていたのだ。
「明日の午後にはハイネセンに着くということだ。ハンス、部屋の用意をしておいてくれ」
 ここでのハンスはロイエンタール家に長く仕え、ロイエンタールの乳兄弟でもあるハンス・マリウス・ワグナーのことだ。この家の一切を取り仕切る若き家令は、珍しく喜びを露わにした主人の命を、これも喜び一杯に承った。

 翌日、総督執務室は妙に活気づいていた。戻ってくるランベルツに一刻も早く会うために、ロイエンタールの仕事のスピードはこの日は上がりに上がっていた。それを処理する副官たちもてんやわんやの状態で、それでも部屋の主が何も言わないが上機嫌でいるために、仕事の効率は上がる一方だった。そんな、一種の修羅場が収束しつつある執務室の前の廊下を行ったり来たりする不審者をベルゲングリューンは見つけた。
「これはこれは、ヘル・リュミエール。総督閣下に何かご用ですかな?」
 そこにいたのは民事長官の肝煎りでロイエンタールの私的顧問となったリュミエールだった。長めの金髪を肩まで垂らし、胸ポケットには派手なチーフを差している。相変わらず気障で軽薄な奴だと、ベルゲングリューンはこの気に入らない苦手な人物を観察した。気に入らない、苦手という点では同じ思いのリュミエールは殊更物腰の柔らかい笑顔を作り、総督執務室の扉の前に立ちはだかる障壁に挨拶した。
「いやあ、お久しぶりですね、総監閣下。この前はあんな所でお会いするとは思いませんでしたよ」
「・・・・・・今日は何のご用で?」
「ああ、仕事でこちらへ来たものだから、ディナーでも一緒にどうかなと思ってね」
「誰とですかな?」
「もちろん、こちらの総督閣下と!」
 リュミエールはベルゲングリューンの顔に余裕の笑みが浮かぶのを見た。それは恐縮そうは表情のしたに微かに現れ出たものだったが、リュミエールは確かにそれを見て取った。
「それは申し訳ありませんな、ヘル・リュミエール」
「・・・・・・」
「閣下には今晩大切なお客人がいらっしゃる。卿と夕食に行く時間はないでしょうな」
「そうか・・・、それなら仕方がないな。今日は退散するとするか。でも、一つ訊いていいかな?」
「はい?」
「その『大切な客人』って、総監、あなたじゃないよね?」
 柔和な表情だがリュミエールの目は挑んでくるかのように鋭かった。
「もちろん。小官は『客人』ではありません」
 ふんっと鼻で小さく笑ったのはリュミエールの方だった。降参するかのように両手をあげた彼は、「ではまたの機会に」と言い残して去っていった。
「ふん! 『またの機会』なんてあるもんか!」
 心でついた悪態がついつい外に漏れていたベルゲングリューンだったが、振り向いた先に見知った顔を見つけて嫌な顔をした。
「なんだ、卿か」
 総督執務室の扉の隙間から覗くように顔を出していたのはレッケンドルフだった。
「なんだ、ではありません。部屋の前であんなに騒がれては何事かと思うのは当たり前でしょう?」
「・・・・・・」
 いつから聞かれていたのか、気になるところではあるが、ここは小さな勝負に勝利した気分の良さで、自分のその気持ちに気づかない振りを決め込もうとした。決め込もうとしたのだが・・・
「いやあ、小官も言ってみたいなあ、『俺は閣下の客ではない』。いいなあ、痺れますねえ」
 そんなこと言っていないじゃないかと反論したい気持ちは山々だが、結局口ではこの小生意気な副官に勝てたためしがないのだ。ベルゲングリューンは黙って睨み返すしかなかった。
 そこへ帰り支度をしたロイエンタールが現れた。
「もうお帰りになりますか?」
「ああ、ランベルツが待っているからな。迎えに来てくれたのか?」
「はい」
 先ほどの渋面はどこへやら、喜々として答えるベルゲングリューンに、レッケンドルフは忠実な番犬の面影を見てしまった。
「熊だと思ったんだけどな・・・」
「ん? 熊がなんだ?」
「・・・・・・」
「レッケンドルフ」
「はい」
 名前を呼ばれて尾を振るのは自分も同じか、とレッケンドルフは内心で苦笑した。
「卿にも会いたかろう。あの子が家にいる間に訪ねてきてやってくれ」
「はい、必ず」
 すっかり保護者の顔をしているロイエンタールに微笑ましいものを感じる。本当なら今日にでも押し掛けていき、閣下とランベルツの久々の対面の場面を目撃したいところだ。だが、今日は『家族』水入らずでとの思いから、レッケンドルフは遠慮することにした。
 軽やかな足取りで総督府を後にしたロイエンタールとベルゲングリューンも、まさかこのとき、邸で小さな問題が持ち上がっていることになど、気づくはずがなかった。

*******************

 珍しく空に明るさが残っている自分に帰宅したこの邸の主人を迎えたのは、士官学校の制服を着たランベルツと、家令のワグナーをはじめとする使用人たち、それに、見ず知らずの少年だった。

 遡ること一時間ほど前、ランベルツは懐かしい門構えの前にたどり着いた。あの閣下のことだから終業時間前に戻ってこられることはないと、この時間になるまで宙港付近で時間をつぶしてきたランベルツである。もうすぐロイエンタールに会えるのだ、と思うと胸が高鳴る。と、同時に今や『親子』という関係でもあることを考えると、どうにも照れくさくてならなかった。しかし、一刻も早くお会いしたいという気持ちは抑えがたく、これでも予定の一時間は早くここに到着していた。地上車を降りて呼び鈴を鳴らそうと門柱に近づいたとき、そこにうずくまる者の存在に気づいた。一瞬、ノイエラント総督閣下の私邸を襲撃せんとする不届き者かと緊張が走ったが、よくよく観察してみるとどうやらそうではなさそうだった。ランベルツと同じ年頃の少年が、門柱と植栽の隙間に挟まって膝を抱えて座り込んでいた。脇には大きなバックパックが置かれていた。彼はランベルツの気配にも身じろぎしない。どうやら寝入っているらしかった。
「君、君、こんなところで何をしているんだ?」
 ランベルツは少年の肩を揺すった。ビクッと大仰に身体を震わせて少年は飛び起きた。おびえた目つきでランベルツを見つめてくる。その顔には疲労と恐怖が色濃く滲んでいた。ランベルツは士官学校の制服を身につけている。この軍服によく似た制服が、同じ年頃の少年に恐怖心を与えているのだと見当がついたで、ことさらに砕けた口調で話しかけた。
「君、ここがどこだか知っているのかい? こんなところで寝ていたら、怖ーい憲兵さんに連れて行かれて怒られるよ」
 少年はむくりと起きあがった。
「知ってる。ここはロイエンタール総督のお屋敷だ」
「知っているのなら、どうしてこんなところで寝ていたんだ?」
 よく見ると、少年はランベルツより少し年上に見えた。
「用があるから来たんだ」
 ぶっきらぼうに言い放った少年は、硬い表情のままランベルツの前に立ちはだかった。
「君はこのお屋敷の人? だったら頼むから俺を中にいれてくれよ」
 リーンハルト・クラインベックと名乗った少年は、ランベルツにしがみついた。入れてくれなければここで居座ると言い張るリーンハルトに辟易し、ランベルツは呼び鈴を押した。そして出てきた家令のワグナーに事情を話し今に至るのであった。

 ロイエンタールはランベルツの顔を見ると、なかなか余所ではお目にかかれないような柔和な笑みを浮かべた。それは『夫』として身近に接しているベルゲングリューンも滅多にお目にかかれないほどの、美しく惚れ惚れとする表情だった。
「大きくなったな。あれからもう二年ほども経つのかな?」
「はい」
「そうか、立派になったものだ」
 ランベルツはまだ幼さの微かに残る頬を赤らめた。自分の成長をここまで喜んでくれることがたまらなく嬉しかった。
「閣下はお変わりありませんね」
 二年ぶりのロイエンタールは、依然と変わらず神々しいまでの存在感を放っていた。
 血縁ではない、別の縁で結ばれた親子が感度の対面を果たしている間、リーンハルトは放置されていた。関心のないものは眼中にも入らないロイエンタールの悪癖に、周囲も引きずられてしまっていたのだ。
「ベルゲングリューン閣下も、お元気そうで何よりです」
「ははは、『閣下』は止めてくれ。俺のことは以前のように『提督』でいい。ここじゃ、皆そう呼んでいるんだ」
「『ベルゲングリューン』? ハンス叔父さん?」
 突然割り込んできた声の出所に、皆の視線は集中した。ロイエンタールな無言で家令に事情を問いただしたが、それに答えたのはランベルツだった。ランベルツは邸の外で彼を見つけてからの経緯を語った。荷物や身体を改めた上で邸内に入れたのだとワグナーも付け足す。
 少年から『叔父さん』と呼ばれたベルゲングリューンが、様々な記憶を探りながら彼に名を尋ねた。
「リーンハルト・クラインベック」
 その名に、ベルゲングリューンは心当たりがあった。

 超高速通信と人脈を駆使して、一時間もせぬうちに裏がとれた。彼はベルゲングリューンの姉の子で、今はオーディンの実家を離れフェザーンの大学に通っている学生だった。数週間前に突然下宿のアパートから姿を消し、親しかった者たちは心配をしていたらしい。
 妙な雰囲気で囲むことになった食卓で、リーンハルトがベルゲングリューンに会うために、はるばるやってきたということは分かった。しかし、彼の表情を見ると、それだけではない理由があるのは明白だった。フェザーンの彼の友人からの話によると、彼が自分の先行きに対しての不安を漏らしていたらしい。ベルゲングリューンは十数年ぶりに会う甥っ子に、なにをどう話そうかと思案していた。しかし、あまりにも接点のなかった甥に語るべき言葉も見つからない。そんな苦境に陥っていたベルゲングリューンを救ったのは、ロイエンタールだった。
「二人とも、長旅で疲れたことだろう。今日はゆっくり休むといい。だが、突然のことで部屋を用意することができない。悪いがランベルツと相部屋で我慢してくれ」
 部屋ならいくつも空いているはずのロイエンタール邸である。どういうことかとベルゲングリューンが思っていると、それまで食事のサービスを取り仕切っていたワグナーがそっと姿を消すのを見た。おそらくロイエンタールの言葉を受けて、ランベルツのために用意された部屋に新たにベッドを運び込む手配をするためだろう。当主が席を立てば夕食はお開きになる。立ち去りがてら、ロイエンタールはランベルツの肩を叩いた。ベルゲングリューンは後ろ髪引かれる思いをしつつも、ロイエンタールに従ってダイニングを出た。

 ベッドの上で日課であるマッサージをしながら、ベルゲングリューンは思っていた疑問を口にした。
「どうして二人を相部屋になさったのです?」
 優秀なロイエンタール家の使用人にかかれば、一つ部屋を設えるくらい訳のないことだった。肩を揉まれながらロイエンタールは答える。
「リーンハルトの求める答えは、彼自身の中にある。それを見つけるために必要なのは、俺たち大人じゃない。同年代の者同士、刺激しあって初めて見つかるものだのだと思う」
 ロイエンタールの言葉に耳を傾けながら、首筋を揉む。相変わらずひどく凝っている。
「大人が答えを与えてやるのは簡単だ。だがそれでは彼は心の底からの納得はすまい。それでは、解決にはならん」
「・・・・・・」
「彼らの年代の者は、俺たちにはわからん苦労がある。なんせ、今まで彼らを育ててきた価値観は我が皇帝によって、壊されてしまったのだからな」
「はい・・・・・・」
「新たな価値観の元、生き方を模索するのは、特に旧帝国領の若者には苦しいことだろうさ。何が正しいのか、一から自分で掴み取らなければならないのだから」
「そうですな。子供は無垢ですから、どんな教育も疑うことなどなかったでしょうな」
「そうそう。だが、ランベルツは違う。ランベルツは俺たちの傍にいて来るべき未来の姿を、自然と受け入れてきた。リーンハルトにとっては一番の相談相手になるだろう」
「なるほど・・・・・・」
「そして近い将来彼らがこの国を支えていくことになる。後進を育てることは、これからの重要な課題だぞ」
 ベルゲングリューンの手がふと止まった。
 時々、ロイエンタールの背負っているものの大きさが見えるときがある。今もまさにそうだ。そんなとき、ベルゲングリューンは自分が仕えているこの人の偉大さを知るのだった。ロイエンタールに言わせれば、俺は単に皇帝陛下のなさりたいことに手助けをしているだけだと答えるだろうが、実際にその職責の重さはそんなものじゃないことは、ベルゲングリューンは重々承知していることだった。
「閣下・・・・・・」
 ベルゲングリューンは背中からロイエンタールを抱きしめた。白い項に鼻面をすり付けていると、フフっと笑うのを感じた。
「急にどうしたんだ?」
「急に、こうしたくなったのです」
「おやおや、随分甘ったれになったもんだな」
 そう言いながら髪をなでていく手に、ベルゲングリューンは安らぎを覚えた。

<続く>


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