夢みる男(side B-1)




 時間を作って欲しいと何日も前からファーレンハイトに纏わりつかれ、根負けしたわけではないが、その日の退勤後「海鷲」で落ち合う約束をしていた。ここのところ忙しくて女の相手もしていないので、ファーレンハイトはちょうどいい。
 その日の業務をほぼ予定通りの時間に終わらせ、身支度をして執務室を後にしようとしたとき、机の上のビジフォンが鳴った。
「ロイエンタールだ」
「ファーレンハイトです。閣下・・・本日は誠に申し訳ないのですが、お約束を果たせなくなってしまいました」
「何?!」
「実は・・・」
 どうやら、ファーレンハイトが軍務省に提出した書類が、突き返されてきたらしい。期限も迫っているもので、今日は何としても再提出をと強硬な軍務省官吏に執務室に居座られ、身動きがとれなくなってしまったという。
 いったい、どんな書類を出したんだ。まさか、アレをあのまま出したんじゃないだろうな?
 かすかな不安が胸をよぎったが、今は今晩の予定が突然あいたことに、無性に腹が立った。ちょっとその気になっていた自分が馬鹿みたいだ。
 携帯端末を取り出し、今つきあっている女に電話した。単調な呼び出し音を10回ほど聞いたろうか、「ただ今電話に出られません・・・」と留守電に切り替わった。そういえば、何日か前に「あなた忙しいんなら、私スパにでも行ってこようかしら」などと言っていたが、本当に行ったのか、あの女。
 腹いせに携帯端末の女のメモリーを消去し、ふうっとため息をついて椅子に深く腰掛け直した。今日消化した書類の提出先を仕分けていたレッケンドルフがおもしろいものを見るような目でこちらを見てきた。
「珍しいですね。閣下がため息など」
「・・・・・・」
 こんなムシャクシャする日は、いつもならベルゲングリューンに付き合わせるのだが、今日はこの副官でも引き連れて飲みにでも行くか。
「なあ、レッケンドルフ」
 声を掛けたとたんに、机の上のビジフォンが鳴り始めた。先ほど弁明の途中で切ってやったファーレンハイトかと思い回線をつないでみると、ミッターマイヤーだった。
「やあ、ロイエンタール、そちらはどうだい?」
「こちらはもう業務終了。今から帰ろうとしていたところだ」
「そうなのか!よかった!俺もなんだ」
「なんだ、卿はここしばらくは忙しくて会えんと言っていたのではなかったか?」
「そうだ、驚けロイエンタール。五日の予定を四日で終わらせたんだ」
「なるほど、デスクワークも疾風の域に入ったというわけか」
「まあ、それならいいんだが、本当は後に回してもいいものは回すことにしただけさ。もう息が詰まってたまらんからな、今日は息抜きすることにしたんだ」
 肩をすくめて笑ってみせる蜂蜜色の髪の親友を見ていると、今までのムシャクシャした気分も晴れてきた。この、体中から生気が漲るようなミッターマイヤーが、四日間も机にへばりついてよく耐えていたものだ。
 こちらも今からでるからロビーで落ち合おうと約束し、通信は切れた。
 振り返って思えば、あのときあのままレッケンドルフを連れて出かけてしまっていたらよかったものを・・・。

 後悔先に立たずとはよく言ったもので、そのときの俺は久しぶりにミッターマイヤーと過ごせることに随分気をよくしていた。
 ミッターマイヤーは、この仕事を終えたときに飲もうと思っていたとっておきがあるから家で飲もうと誘った。本当はまだ終わっちゃいないんだが、卿と一緒ならいいだろう?と笑うミッターマイヤーに否やを言える俺ではない。
「突然訪問しては、フラウに申し訳ない」
 一応礼儀として遠慮してみせると、
「卿ならいつでも大歓迎さ」
と、これもいつもの返事が帰ってきた。
 しかし、今日は突然も突然なので、電話を入れておけよと言うと、それもそうだなと携帯を探し始めた。
「あれ、ないぞ・・・。ああ、そうか!コートに入れたままだ」
「取りに戻るか?」
「いや、元帥府ではないんだ。今日は朝から暖かかったからな。コートは置いてきたんだ」
「仕方がないな、俺のを使えよ」
 ミッターマイヤーの自宅は短縮に登録されてある。ボタンを押してほれと渡してやると、ありがとうと受け取った。
「あれ、留守みたいだ。買い物にでも行っているのかな?」
「フラウは買い物に出かけるのか?」
「ああ、エヴァはなんでも自分でするのさ。でも、エヴァの携帯番号なんて、覚えていないなあ」
「ふうん、そんなもんなんだな」
「何がだ?お前も今付き合っている女の番号だって覚えていないだろうが?」
 つい先ほど、登録抹消した番号を思い出そうとしてみたが、そんなもの、最初から覚えていないんだ。思い出せるはずもない。
「そうだな・・・。どうする?余所に飲みに行くか?」
「いや、大丈夫さ。エヴァならなんとかしてくれるよ、卿が大食漢でないことが救いさ」
 確かに、ミッターマイヤーより食う男など、俺の知る限りオレンジ色の猪くらいしか思い当たらない。
 歩いて帰ると言い張るミッターマイヤーに付き合い、30分ほどの距離を並んで歩いた。夜の帳に包まれ始めたミッターマイヤー邸は、いつもとちがい闇の中に沈んでいる。
「誰もいないのではないか?」
「本当だな。エヴァがいれば門灯やリビングに明かりがついているはずだ」
 フラウに何かあったのではと思ったが、口に出すと過剰に心配したミッターマイヤーに何をされるか分かったものではないので、言葉を飲み込んだ。
 ミッターマイヤーは鍵がかかっていることを確認すると、コードを打ち込み玄関の扉をあけた。
「エヴァ!」
 不安な気持ちを滲ませた声が、無人の部屋に響きわたる。ミッターマイヤーは最悪の事態を想定し、ブラスターを手にしながら二階へ続く階段を上がろうとした。
「待て、ミッターマイヤー」
 まるで、戦場で見せるのと同じ表情をして振り返った。俺は黙って玄関フロアに掛けられているコートを指した。
「携帯を確認しろ。メッセージが残っているかもしれん」
 事件を前提として行動する前に、最低限やっておかなければならないことがある。ミッターマイヤー婦人が何も言わずに家を空けるとは考えられない。ならば、メッセージが残っているはずだ。呆けた亭主が携帯していないことに気づかずに。
コートのポケットから取り出した携帯端末は、着信を示すランプが点滅していた。再生ボタンを押すと、見慣れたフラウの姿が浮かび上がった。
「ウォルフ、お忙しいところごめんなさい。今、お義母様から連絡があって、お義父様がお怪我をなさったらしいの。心配なので私、ご様子を伺ってきます」
「親父が怪我?」
 着信履歴は2件残っているので、そちらも見ろと促すと再びフラウが現れた。
「あなた、ウォルフ、安心して。お義父様のお怪我は大したことではないみたい。久しぶりなので今日はこちらに泊まってきます。ウォルフ、ごめんなさい。急なことで夕食の支度もまだなんです。外で済ませてくださいね」
「・・・・・・」
「よかったじゃないか、フラウは無事で」
「ああ、それはよかったんだが、親父め、エヴァを呼び寄せるためにわざと大袈裟に言ったんじゃないか」
「まあまあ、それよりどうする?もう一度出るか?それとも何か取るか?」
「いや・・・・・。俺に任せろ」
 思えばこれが最後の分かれ道だった。この時殴ってでもミッターマイヤーを連れ出しておけばよかった。しかし、今更何を言っても後の祭りだ。 


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