夢みる男(side A-3)



  昼食を終えるとレッケンドルフはベルゲングリューンと別れ、執務室へと戻ってきた。事務室を通り抜けるとき、ロイエンタールの様子を尋ねたが、変わりないとのこと。ただ、レッケンドルフと入れ違いくらいに、ファーレンハイトが訪ねてきて今も中にいるとのことである。
 ファーレンハイト提督が何故とは思ったが、そういえば、ロイエンタールとファーレンハイトが時々二人でいるところを見かけることがあった。
 いつも通り扉をノックして執務室に入ってみたが、ロイエンタールはまだこちらには戻ってきていないようだ。休憩室へと続く扉が少し開いているのを見て、レッケンドルフは行儀が悪いことを承知しながら、そおっとそちらに近づいた。
 扉の隙間からは不明瞭ながら二人の会話が漏れ聞こえた。今は閣下の一大事だ。どんな些細な情報でもレッケンドルフとしては把握しておきたかった。
「大丈夫ですか?まったく、大変なことになりましたねえ」
「他人事だな、誰のせいだと思っている」
「私のせいですか?・・・・・・」
「そうだ、卿が・・・そのまま出さなければ・・・」
「確かに、でも、その場の勢いというものがあるでしょう?私も・・・それにあなたも、最初は喜んでいらっしゃったではありませんか」
「馬鹿、それこそその場の勢いだ。真に受けるな・・・ウッ」
 中をちらりと覗いてみても人影は見あたらなかった。おそらくトイレに駆け込んだロイエンタールをファーレンハイトが介抱しながらの会話であるようだ。
「しかし、大変なことになりましたねえ」
「ウッ・・・、わかっているな・・・ミッターマイヤーには絶対に言うな」
「しかし、知っていただいた方がよいのではありませんか?これからのこともあるでしょう?」
「先のことは対処する。ともかく今日を乗り越えなければ・・・」
「ふう、分かりました。私にも責任のあることです、協力いたしましょう」
「・・・当たり前だ」
「しかし・・・」
「あ、こら・・・」
 何やら中の方で揉めだしたようだが、そんなことも気にならないくらいにレッケンドルフは再び思考の渦に呑み込まれていた。
 ーー勢いでそのまま出した・・・悦ぶ閣下・・・これからのこと・・・「私」にも責任・・・
 まさか、閣下のお相手は、ファーレンハイト提督なのか?しかしそれでは「ミッターマイヤーに」はどうなる?単にご親友にご自身の男関係を知られるのが嫌なだけか、それとも三角関係になっているのか・・・?
 頭の中でロイエンタールの白い肢体が艶めかしく身をくねらせる様が浮かんできて、レッケンドルフはぶんぶんと頭を振った。

「もうそろそろレッケンドルフが戻ってくる頃だ」
「それはいけませんね。あの副官殿に睨まれると、ますますあなたに近づくことが難しくなる」
 突然扉が開き、レッケンドルフの前にファーレンハイトが立ちふさがった。己の思考の中に沈み込んでいたレッケンドルフは、はっと意識を目の前の人物に切り替えた。
 ーー閣下を苦しめている張本人め。
 長身のファーレンハイトを睨むように見上げると、睨まれた方は不遜な笑みを浮かべた。
「ロイエンタール閣下をよろしく頼むぞ」
 ポンとレッケンドルフの肩を叩き、執務室から出ていった。
 ーーあなたに頼まれなくても、閣下のことはすべてこのレッケンドルフがお引き受けするつもりです。
 怒りと、同じぐらいの嫉妬心から心に青白い炎を燃やしつつファーレンハイトを見送った。
 幕僚会議の刻限も近づいている。そろそろ閣下のお支度をと、休憩室に足を踏み入れたレッケンドルフは息をのんだ。ロイエンタールが軍服の上着を脱いだブラウス一枚で、さらにボタンを外したしどけない姿をしていたからだ。
「閣下・・・」
「レッケンドルフか、換えのブラウスを出してくれ。汗で張り付いて気持ちが悪い」
 クローゼットから新しいブラウスを取り出し、上官の肩に掛けた。無防備に晒されていた白磁のような肌が生地に隠されるのを名残惜しげに見ながら、この肌に触れたであろう二人の男の顔を思い出し、再びレッケンドルフはぶんぶんと頭を振った。
「そろそろ、会議のお時間ですが・・・」
「大丈夫だ、少し休んで大分楽になった」
 顔色は朝とそう変わらないが、声には力が戻ってきたようだ。
「ではご準備を」
 物憂げに身なりを整えるロイエンタールに代わり、レッケンドルフはテキパキと必要な書類を揃え、ファイリングして上官に手渡す。

廊下に出たところで、ベルゲングリューンとはち合わせた。おそらくこの時間を見計らって出てきたのだろう。
「閣下、お供いたします」
 越権行為だといつもならば非難するところだが、今日は上官の体調が体調だ。もし、歩いている途中で倒れられることがあれば、一人より二人の方が対処しやすい。お願いしますと軽く頭を下げると、ベルゲングリューンの方もわかったと頷く。
 その結果、副官と幕僚長を引き連れて歩く形になった。やはりおぼつかない足取りに、いつもより距離を詰めて上官の後に従った。
 会議室までたどり着くと、入り口でファーレンハイトが出迎えた。恭しくロイエンタールの手を取ろうと差し出された手は空振りに終わったが、まるで抱え込むかのようにロイエンタールをエスコートし、室内に入っていった。
 レッケンドルフはムカムカしていた。
 元はといえば、あなたが原因ではないか。それを、まるで騎士のように振る舞って。
 閣下。そのような方をお頼りなさることはありません。小官が全身全霊でお守りいたします!
「なあ、レッケンドルフ少佐」
「は、はい」
もうそこにはいないファーレンハイトを睨みつけるように突っ立っていたレッケンドルフにベルゲングリューンが声をかけた。突然のことに返答の声がひっくり返ってしまった。
「それは、ないぞ」
「はい?」
主語もなにもない言葉の指示語がなにを意味するのか、わからないまま聞き返すとベルゲングリューンはつと目を逸らして言葉を続けた。
「卿の考えていることだ、と思う。それはない。そんなことがもしあれば、あの方は迷いなく堕胎なさる・・・」
「?!」
そのままくるりと背を向けて立ち去るベルゲングリューンを見送りながら、レッケンドルフは文字通り言葉を失った。
 しばしの茫然自失から立ち直ったレッケンドルフは廊下を曲がって消えていった男の背中に向かって、心の中で問いかけた。
 なぜ、小官の考えていることがわかったのですか?
 変な汗が体中の毛穴から吹き出し、赤くなったり青くなったりしている忠実なる副官の背後で、先ほど閉じられたばかりの会議室の扉が開き、彼の愛すべき上官が出てきた。
「くそっ。奴が休んでいるとは思わなかった!レッケンドルフ、今日はもう退出する。後は頼んだ」
 何事が起きたのかわからぬまま、彼はよろつきながら玄関に向かう上官を追いかけた。追いかけつつ携帯端末でベルゲングリューンに連絡をいれ、車の手配をした。
「閣下、どうなさったのですか?」
「ミッターマイヤーが来ていない。分かっていたら来るのではなかった。明日も休むからそのつもりで」
 すぐに駆けつけたベルゲングリューンが運転する地上車で、ロイエンタールは帰っていった。

 まるで嵐が去ったかのようだった。
 見上げると、まるで抜けるかのような青空が広がっていて、長いトンネルを抜けたような、夢から覚めたような、そんな凪いだ気持ちになった。
 何だったんだ、今日は、今日の閣下は。
 考えると再び夢魔にとらわれそうなので、レッケンドルフは新鮮な外の空気を思い切り胸に吸い込んだ。
 落ち着いて考えれば、ロイエンタールが妊娠するはずもないし、もし万が一にあったとしても、それくらいで慌てるはずもないだろう。関係した女性が妊娠したとて、冷静に対処すること間違いないのだ。今日はいつもと違う熱に浮かされたようなロイエンタールの美貌に、どうやら心を奪われてしまっていたようだ。
 冷静な幕僚長殿を見習わなければ・・・。
 しかし、なぜ私の考えがあの方にわかったのだろうか?もしかして、あの方も同じことを考えていたのだろうか?
 あの、生真面目な髭面の下で、自分と同じような桃色がかった妄想をしていたと思うと、無性におかしくなった。
 おかしくなって、笑い飛ばして、今日のことは忘れてしまおうと思った。
 レッケンドルフはロイエンタールが山積みに残していった仕事を、どう処理するかを考えるべく、主のいない執務室に戻っていった。             <了>



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