Vati des "Rick"



フェリックスは賢く素直な子供である。その無邪気さ、無垢さ、純粋さに触れたとき、誰もがその両親を思い首をかしげる。あの両親にしてどうしてこの子が出来たのか。だが、父親のロイエンタールをよく知るロイエンタール家の老執事の「オスカー様のお小さいときにそっくり」という言葉に、彼をよく知るものは一様に沈黙してしまった。
 しかし、その沈黙の理由はそれぞれに違っていた。
 例えば、ロイエンタールの長らくの親友であり、彼の幼少時の出来事を知る数少ない一人であるミッターマイヤーは、彼がこんなに歪んでしまった原因である、幼い日に経験したであろう不幸な出来事を思い胸を痛めた。また、自ら家庭を作ることを放棄し、どのようにしてだかロイエンタール家の遠縁の小父さん的立場を獲得してしまった、ロイエンタールの右腕であるベルゲングリューンは、天使のごときロイエンタールの幼い姿を想像し、慌てて鼻を押さえた。はたまた、ひねくれ者のロイエンタールの一番の被害者の一人であること間違いないレッケンドルフは、聖人君子のごとき上司を想像し、その夢想からもう一生戻れなくてもいいとまで思うほどに夢中になってしまった。しかし、多くの人々はフェリックスの将来を真剣に心配した。今はこんなに素直なフェリックスも、成長するに従って「ロイエンタール」になるのではなかろうか、と。どうすればフェリックスをこのまま「フェリックス」として成長させることができるか、と周囲が気を揉むなか、その件について最も大らかに構えているのは、その父親と母親だった。それについて周囲は親なんだからもっと真剣にとヤキモキし、頼りないと憤慨したりもしたが、当の本人たちはどこ吹く風と聞き流した。
――フェリックスがどう育ったって構わない。だって、俺たちの子供なんだから。
 ロイエンタールが誰かにいったとか言うこと言葉に、責任放棄だと騒ぎ立てる一団もあったが、当のロイエンタールとエルフリーデはそんな外野に冷ややかな流し目をくれてやった。責任放棄なんてとんでもない。二人はひねくれていても、歪んでいてもなんだってお互いのことを愛しているのだ。だから、どう育ってもそれはそれで愛しい片割れの性質を受け継いだということになり「構わない」となるのである。詳しく説明する必要など感じないので、周囲は誤解をするばかりであるが。

 そんなこんなで、フェリックスは両親含め多くの人々に愛されてすくすくと育っていった。年に何度かプリンツ・アレクと共に新聞紙面を飾ることもあり、フェリックスは帝国全土に愛されていると言っても過言ではなかった。しかし、過剰に騒ぎ立てることなくその成長を静かに過ごせるよう様々な配慮がなされていた。その一つが、彼の呼び名である。フェリックスやフィルと言えば、その容貌から彼がロイエンタール家の長男であることは、容易に想像されてしまう。そこで、彼の通う幼稚園では彼の呼び名を「リック」とすることにしたのである。幼稚園児にはファミリーネームなど不要であるので、プリンツ・アレクとほとんど兄弟として育っているフェリックス坊ちゃんが、隣の席のリックだとは誰も思わない。大人の世界ではそんなに簡単にはいかないが、子供の世界でだけでもフェリックスに普通の生活を送らせてやりたい。賢いフェリックスは自分の二つの呼び名をちゃんと理解し自らも使い分けしているのである。

「リック、きょぼくのおうちにあそびにこない?」
 積み木遊びをしていたフェリックスに、声を掛けたのはルート。最近仲良くなったクラスメイトだった。
「おっきなてっぽーかってもらったんだ! ムティがおともだちもさそっていっしょにあそびなさいって」
「てっぽー?!」
「うん! てっぽうでばんばんしようよ!」
「わー! いいの?!」
 今フェリックスたちの間で、水鉄砲が流行っている。先生たちは怒るけど、子供たちは水鉄砲を打ち合ってびしょびしょになるのが大好きだ。それを、人目を気にせずにできるなんて、なんて素晴らしいお誘いなんだろうと、フェリックスの気持ちは大きく傾いた。
「アルもギルもくるよ。リックもおいでよ!」
「うん、いく!」
 フェリックスは迎えに来たムッターがいいよと言ってくれるか少し心配しながらも、元気な声で返事をした。実はフェリックス、まだお友達のお家に遊びに行ったことは一度もない。だから、ちょっとドキドキとワクワクが入り交じって、かえりの会の先生のお話も上の空で聞いてしまった。

 お友だちのおうちに遊びに行きたいの。迎えにきたエルフリーデにフェリックスはおずおずと切り出した。エルフリーデはとうとうこの時が来たかという思いで我が息子の顔を見た。この子が望んだわけではないが、フェリックスは国家の要人の一人である。だが、エルフリーデとしては、フェリックスを普通の子供として育てたいと思っている。ロイエンタールならどう返事をするかを考えると、自然とエルフリーデの返事も決まった。自分よりも自分勝手な夫のことだ。警護とかセキュリティとかそういうことを考えるとこもなく、「行ってこい」と言うはずだ。
「よかったね、リック。でもムティもルート君のお母さまにご挨拶しないとと思うの。紹介してくれる?」
 母親の言葉が肯定を示すものだと知り、フェリックスはばぁっと微笑んだ。気難しい夫と瓜二つの顔が笑うと、エルフリーデはたまらなく嬉しくなる。嬉々とした様子でフェリックスは母をルートヴィッヒの母親に引き合わせた。エルフリーデは此また初めての「ママ友(?)」への挨拶に緊張しながら、フェリックスがお邪魔することをお願いした。
「まあ、いつもお見かけしていたんだけれど、リック君のお姉さんかしらと思ってたわ! お母さんでしたのね」
 大柄のルートヴィッヒの母親コジマは、そう言うと朗らかに笑った。
「うちは子どもが多くって、家も散らかってるけど、その分いつでも何の気兼ねもなく遊びに来てくれたらいいんだから、本当にお構い無くね」
 そうこう話していると、今日は一緒に遊びに行く子どもたちが母親を引き連れて集まってきた。皆一様にエルフリーデが母親であることに驚いたが、そのあとは和やかな世間話をして、子供らをルートヴィッヒの母親に預けた。キャッキャッと騒ぎながら遠ざかっていく小さな背中に、少しの寂しさとほのぼのとした温かさをエルフリーデは感じた。

 一頻り水鉄砲で遊び、すっかり濡れ鼠になった子どもたちは、裸ん坊にされた。夏の強い日差しが彼らの服を乾かしているのを、コジマが焼いてくれたクーヘンを食べながら待っていた。フェリックスは服も着ずにおやつを食べるなんて、ムティやファーティに叱られるかなと思った。しかし、子どもはお行儀の悪いことが大好きだ。じきにそんなことも忘れて美味しいクーヘンに夢中になった。背の高い椅子に座って一寸足をブラブラさせてみたりした。お家のいろんな決まり事を窮屈に思うことなんてないが、秘密めいたいたずらに、フェリックスは楽しくってならなかった。
「あれ、今日は見かけない子が来てるんだ」
「そうなの。リック君って言うんだよ。今ルートが一番仲の良い子」
 裏口から呼鈴も鳴らさずに入ってきたのは、近くに住むコジマの妹のマーレだった。この時間になると姉のお手製クーヘンを狙って決まって現れるのだった。暫く仲良く姉妹二人で子どもたちの様子を見ながら、おやつの時間を楽しんでいた。
「ねえ、姉さん。リック君ってなんだか違うね」
「違うって、どこがだい?」
 唐突に言い出した妹につられて、コジマはリックを見た。子どもたちは相変わらず裸で遊んでいる。
「何て言ったらいいのかな? ほら、スッゴくお行儀いいじゃん」
「そうねぇ、リック君はいい子よ」
「リックのお母さんってどんな人だった?」
 今日は話をしたんでしょ、と詰め寄られおおらかなコジマは普段は考えもしない「人物像」とやらを言葉にする努力をした。
「えー! 年の離れたお姉さんかと思うくらい若いの?!」
 年のわりに落ち着いていてしっかりした人だと思う、という部分を聞き流され、コジマは少しムッとした。
「そうよ。あんたよりずっとキチンとしてるわよ」
「むむぅ、そんなギャルにこんなお行儀の良い子が育てられるなんて………。そうだ、姉さん。お父さんはどんな人? 知ってる?」
「お父さんねえ」
 あまり物事に拘らないコジマは、日常の些細なことを覚えておくのが苦手だ。それでもリックの顔を眺めながら、記憶を辿っていった。
「あっ、一度お話ししたことがあるかも………」
「え? どんな人?」
 コジマはやっと掴んだ朧気なものを、思い出そうとした。記憶の底からぼんやりと髭の男が浮かんできた。
「あー、そうだ。あの人は『お父さん』じゃなかったわ。確か『伯父さん』とかなんとか」
「なーんだ」
 テーブルに身を乗り出していたマーレは、ガックリと首を落とした。
「そうだ!」
「何? またよくないことでも思い付いたの?」
 よくないことって何よ、と言いながらマーレは立ち上がった。

「よく来たな、チビども! 姉さんのクーヘンは美味しいだろう」
 アルとギルはここに来る度に顔を会わせるので、マーレとはすっかり顔馴染みだ。
「わー! マーレねえちゃんだ! またおかし食べにきたんだろ」
 口の悪い年頃の男の子だ。ギルはいい遊び相手が来たと目を輝かせた。
「ギールー、そんなこと言うと遊んでやんないからな」
 わーわーと騒ぐ子どもたちのなかで、リック一人がお行儀よくキョトンとして座っている。
「あー、初めましての子がいるなー。私はルートの伯母さんだよ」
 おどけた挨拶をして子どもたちの輪に、マーレは入り込んだ。
「初めましての、フロイライン。ぼくはリックです」
「!!!」
 きちんと立ち上がって挨拶した小さな紳士に、マーレは開いた口がふさがらなかった。年頃のマーレではあるが、同じ年頃の男性にも「フロイライン」なんて言われたことなどなかった。姉さん、やっぱりこの子、ただの子じゃないよ、と心の中で叫びつつ、表面上は平静を取り戻して、リックに訊ねた。
「ねえ、リック。君のお父さんってどんな人なの?」
 直接すぎる問ではあるが、子どもたちに前置きをしたところで意味はない。子どものあしらいに慣れたマーレは遠慮ない。
「えっとね」
 フェリックスは小首をかしげて考え始めた。ぼくのお父さんって、「どんな人」なんだろう。ベルゲングリューンやレッケンドルフであってもそうそう答えられない問に、フェリックスは小さな頭を悩ませた。
 マーレは予想外に悩み始めたリックを、これ幸いと間近で観察した。短く切り揃えられたダークブラウンの髪は艶やかで、涼やかな瞳は濃い青色である。白磁のように透明感のある肌には、薄らと薔薇色を帯びている。
ーー天使って、ホントにいるんだ。
 超がつくほど現実主義者のマーレがそう思ってしまうほど、この甥っ子の新しい友だちは可愛かった。
「おれのファーティは消防士なんだぞ!」
 仲良しのマーレに構ってほしいギルが言った。消防士は子どもたちの憧れなので、ギルはいつも自慢するのだ。
「ぼくのファーティはぎんこーいんだよ」
 銀行員がなんなのかわかっていないだろうルートが言うと、アルも、
「ぼくのファーティはさらりーまん」
と続けた。ギルの「消防士」には敵わないがみな子どもたちは父親の仕事を自慢に思っているのだ。
「消防士も銀行員もサラリーマンも立派で大変なお仕事だぞ。すごいね!」
 何かよくわからないが、みんな、自分の父親を「すごい」と言ってもらい、誇らしげな顔になった。一通り自分達のことを言い終わると、子どもながらに気になるのはリックのことになる。
「リックは? リックのファーティはなにしてるの?」
 「どんな人」よりは幾分答えやすくなったが、フェリックスは自分の父親がどんな仕事をしているのか、どう言えばいいか分からなかった。仕方がないので、父親がその仕事について話した言葉を思い出す。
ーー俺は陛下の小間使いだ。あの方がなさりたいことをお膳立てするのが俺の仕事さ。
ーー猪め、いつになったらまともに仕事ができるんだ! 俺はあいつの尻拭いをするためにいるんじゃないぞ。
ーー仕方あるまい、俺たちは帝国の召し使いさ。そう思って勤めねば門閥貴族どもと同じことになってしまう。
 家ではほとんど仕事の話をしない父親が、近しい者に愚痴っているのを漏れ聞いたのだが、どんな意味やら幼いフェリックスにはさっぱりだった。しかし、そのひねくれたロイエンタールの言葉を素直なフェリックスの受け取り方で、みんなに話すしかできなかった。
「ぼくのお父さんは、『小間使い』でいのししのおせわをしているよ。あれ、『召し使い』だったかな?」
 天使のごとき子どもの口から飛び出した仰天の言葉の数々に、そこにいた大人たちは絶句してしまった。




 それから暫くして、迎えにきたリックの「父親」を見て、一同が驚いたのはまた別の話。


<おしまい>


back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -