後フェザーン殺人事件 12




「アンゾルゲ准将には以前から麻薬常習の疑いがある。そして、今イゼルローンに程近い星域に密かに出回る薬物があり、オーディンの憲兵本部から人が来て調査をしている。そうではないのか?」
「なっ?!」
 オーピッツは息をするのも忘れたようだった。暫くして息を吹き返し「どうしてそれを」と小さく呻いた。
「盛り場の女は口が軽い。自分の女だけは大丈夫などと、本職の憲兵が思っていたのだとしたら、思い上がりも甚だしいというものだ」
「中尉はそれを女から聞き出したのですか?」
「人聞きが悪いな。どうも俺も素行が悪く憲兵に睨まれていると思われているのでな、女が俺のためを思って教えてくれるのだ」
 オーピッツは頭を抱えた。彼は純粋に正義感に駆られて『メーヴェ』の事件を解決せんと、休日を返上して走り回っていた。しかし、それが、思いがけずも今憲兵隊の上層部が手掛けている最重要案件に関わっていたとは! 
 オーピッツは顔を伏せたまま、呻くように言った。
「ロイエンタール中尉、ミッターマイヤー中尉、この件については憲兵に任せてくださいませんか?」


「本当にあれでよかったのか?」
 まだ日の出には間がある夜道を、二人は家路についていた。
「ああ、本来は憲兵隊のすべきことなんだ。これでいいんだ」
 不服そうに頬を膨らませるミッターマイヤーに、ロイエンタールは「卿の気持ちが分からんわけではないがな」と言うとクスリと笑った。
「何がおかしい?」
「いや、な。『メーヴェ』の事件から憲兵が手を引くと知ったときも、そんなふうに卿は怒っていた。今度は憲兵が引き受けると言っているのにまた怒っている」
「ん? そうだったか?」
「そうだったぞ。どちらにしても卿は怒るんだな。忙しいやつだ」
「卿こそ、この忙しい時に、いつ女遊びをしていたんだ! そちらの方にこそ俺は呆れる」
 軽口を叩き合って、漸く肩の荷が下りたような身軽さをミッターマイヤーは感じていた。
 オーピッツ少尉がこの事件から手を引けと言ったときは、頭に血が上りオーピッツにもすまないことを言ったかもしれない。だとしても、人の命に軽重があるような扱いをする憲兵隊に言いしれぬ腹立たしさを感じたのだ。オーピッツの言いぐさに権力の身勝手さを感じ激高する彼の隣で、ロイエンタールは静かに彼を宥めた。
『誰の手に因るかなど関係ない。事件の解決こそが卿の望みではなかったのか?』
『何もかも、自分の手でなど出来ぬことだ。信じて任せる、これも必要なことだ』
 では、卿は憲兵隊を信用できるのか? との問に微妙な表情を浮かべていたところを見ると、ロイエンタールとて「信じる」ことができかねていることがわかる。だが、
『このオーピッツ少尉とクライバー中佐は少なくとも信じていいのだと思う』という言葉に、ミッターマイヤーも納得せざるを得なくなった。自分達のような兵科の初級士官に、将官がらみの事件など、手に負えるはずがないのだ。
『わかった、任せる』
 そう言うと、隣でロイエンタールが小さく頷いたのが見えた。それを見てミッターマイヤーは、ああ、これで終わったんだなと思った。
 その後、ミッターマイヤーが追った人影の顛末を話した。オーピッツはいいタイミングで登場した地乗車に興味を持ったようだった。なんでも、ここイゼルローンで地乗車を使える人物は限られているらしい。もし、関係があるのなら被疑者はかなり絞れるのだという。
「なあ、ロイエンタール」
「ん?」
「これからも会えるよな」
「フッ」
「何だよ! 笑うなよ」
「ククッ、だってお前がそんな言い方をするから………」
「『から』、何だよ?」
「深情けな女に捕まった気分だ」
「なっ?! 馬鹿野郎!」
 戯れに繰り出したミッターマイヤーの左の拳は、ロイエンタールの大きな掌に乾いた音を立てて収まった。それでも笑いの止まらないロイエンタールに、ミッターマイヤーは渾身の右ストレートを脇腹にお見舞いしてやった。


 「メーヴェ」と「ヒンター・フェザーン」、二つの殺人事件が繋がり、そこにアンゾルゲ准将、ベールケ氏の商船、今帝国領内に蔓延しつつある麻薬と、鍵になるパーツが出揃った感もあり、ロイエンタールもミッターマイヤーも、遠からずアンゾルゲ准将の背後にいる人物が特定されるのではないだろうかと思っていた。しかし、待てど暮らせど朗報は彼らの耳には届かなかった。ベートゲアの仇討ちの噂が全く巷に広がらなかったこと一つとっても、犯人を揺さぶることにはなったに違いないのだが、何の動きもなく時は流れた。
 そんなある日、二人はオーピッツに呼び出された。場所は例の『薔薇園』だった。例によって私服に着替えた二人は、そこにクライバー中佐の姿を認めて驚いた。そして、同時にこの呼び出しがかなり厄介なものであることを知った。
「ベートゲアを釈放しようと思う」
「では、犯人に目星がついたということですか?」
 ミッターマイヤーが意気込んで言うと、クライバー中佐は首を横に振った。
「逆だ。まったく目星がたたぬから彼女を釈放して揺さぶりをかけたいのだ」
「な、何だと?!」
 ミッターマイヤーの頭に血が上るのを感じ取ったオーピッツが、慌てて両手を振って二人の間に割り込んだ。
「とにかく話を聞いてください!」
 同時にロイエンタールもミッターマイヤーの膝に手を置き、友人の逸る気持ちを押さえた。
「どういうことだ?」
 ロイエンタールのテノールも、いつもより固く響いた。表情には現れていないながらも、その抑えた憤りが伝わるので、ミッターマイヤーは煮え立つような気持ちを漸く鎮めた。どうしても理性より感情の勝る自分より、ここはロイエンタールに任せた方がよいと判断したのだった。
「少佐の仰りようでは、まるでベートゲアを囮にすると聞こえますが」
「それは違います」
 説明をオーピッツに任せたつもりなのか、クライバーは腕を組んだままロイエンタールの問い掛けにまるで反応しなかった。オーピッツはその様子にわからない程度の溜め息をつくと、二人の中尉の顔を見た。そして、次のように語った。

「今回の事件で憲兵隊が筋書き通りに動いていないことに、犯人は相当揺さぶりをかけられているはずです。にも関わらず、何の反応も見られません。これは、たとえ我らが何らかの疑いを持っているとしても、それ以上の手懸かりがなく、自分達に手が及ばないことを確信しているからに違いありません。犯人どもは得られたであろう利益に後ろ髪引かれつつも『店』を畳み、今もなに食わぬ顔して現在の地位に居座り続けているのです」
 オーピッツはそこで言葉を切ると、彼の上司を伺い見た。クライバー中佐が彼に無言で許可を与えると、オーピッツはポケットから手帳を取り出した。そして、栞を挟んであったページを開きロイエンタールとミッターマイヤーに示した。そこにはヴァルタースハウゼン要塞司令官を初め、ここイゼルローンを支配する高級将校の名が列挙されていた。
「周知の通り、イゼルローンは軍事要塞であるとともに都市であり、巨大プラントでもあります。イゼルローン方面の兵站が一つの要塞の中に完結していると言えます。その中には薬品を取り扱うプラントもあります。そして言いにくいことですが、今我々が追っている『クスリ』もこのプラントで作られていると思われます」
「何だって?!」
 ミッターマイヤーの驚きをよそに、ロイエンタールはあることを思い出していた。「メーヴェ」の事件後店の前で出会った老婦人のことだ。彼女は決して外部に出回るはずのない鎮痛剤をして「もらった」と言っていた。
「薬品の研究はすなわち化学兵器の開発に繋がります。また、一部の陸戦隊では一種の向精神薬を兵士に服用させているところもあるようです。それを悪用したのか、それとも何かの副産物として出来たのかはわかりませんが、イゼルローンで麻薬を作ることは十分に可能です」
「しかし、喩えそうであったとしても、それを密かに持ち出したりすることができるものだろうか? 厳重に管理されているはずだろう?」
「だからこそ、だ」
 ロイエンタールはミッターマイヤーに先程オーピッツが広げて見せた手帳を指した。
「憲兵隊はこの中に、首謀者がいると考えているのだろう」
 ミッターマイヤーは声にならない叫び声をあげた。無理もない。自分の所属する組織の腐敗など、簡単に受け入れられるものではない。
「軍の上層部の腐敗など、珍しい話ではあるまい?」
 まあ、噂に聞くのとこの目で見るのとでは違うかもしれぬが、と冷笑を浮かべるロイエンタールを、ミッターマイヤーは力なく見上げた。
「ロイエンタール………、卿は平静でいられるのか? そんな下種が俺たちの、数百万の命を握っているんだぞ!」
 呆然としていた灰色の瞳には、今は明らかな怒りの火が灯っていた。ロイエンタールはその炎に冷えきった己の心が暖まるように感じた。
「小官とてミッターマイヤー中尉と同じ気持ちです。しかし、憲兵隊も軍の一組織、迂闊に手を出せば潰されてしまいます」
「それで、ベートゲアを釈放してどうしようというんだ」
「アンゾルゲ准将が殺害されたとき、彼女と准将が話をしている場面が目撃されています。ベートゲアは呼び止められただけだと言っていますが、この誤証言を利用し、彼女が准将から我々にとって有益な情報を得ていたと噂を流します。そうすれば、尻尾を掴まれたかもしれない不安から、犯人が何かの行動をとるだろうと思われます」
「ちょっと待て! 犯人が何を話したのかベートゲアを問い詰めようとする可能性はないのか? 噂を流すにしても、彼女の身柄は憲兵隊で保護しておくべきなんじゃないのか?」
 オーピッツはウッと言葉を詰まらせた。
「それじゃあ、囮と変わらない……」
 ミッターマイヤーも続ける言葉を持たず、沈黙した。
ミッターマイヤーとオーピッツの話を聞きながら、ロイエンタールはずっとクライバー中佐の視線を感じていた。そして、この時中佐は腕組みを解き言葉を発した。
「オーピッツの言う通り、軍の上層部に対して私たちは手を出しかねている。憲兵隊が潰されることなどたいしたことではない。しかし、ひとつ手を出し間違えれば、あらゆる証拠を隠滅されてしまうし、新たな被害者を出しかねない。筋を通した捜査をしたくても、上層部に信用に足る人物を見極められぬのだ」
 言葉はこの場にいる全員に、視線は変わらずロイエンタールに据えたままだった。
「ヴァルタースハウゼン閣下は公務の上では高潔な人物だと定評があるが、私の面ではどうなのだ? 閣下はそちらの方面は全くといって話に聞かない方だからな」
 クライバーの視線に気づきミッターマイヤーがロイエンタールを見上げた。彼の好きな二色の宝石は、なぜか哀しげな色を湛えているように見えた。
「ロイエンタール中尉、ヴァルタースハウゼン閣下は信用に足る方だろうか、教えてほしい」
 
<続く>  
 

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