後フェザーン殺人事件 11



クライバー中佐から一日の猶予を与えられた三人は、当初の予定であった「薔薇園」にいた。乗艦がドック入りしているミッターマイヤーはともかく、ロイエンタールとオーピッツは明日は通常業務がある。明日の夕刻までにということは、今晩中に三人が持つ情報を纏めなければならないということだ。人払いをした「薔薇園」の個室で三人は額を寄せあった。
「それで、卿は中佐に何処までのことを話したんだ?」
薄めに作ったウィスキーを、一気に喉に流し込み、ミッターマイヤーはロイエンタールに訊いた。
「ん、ほぼ全てだ。でなければゲートベアが疑われることになるからな」
「全てというと、『メーヴェ』の事件のことからか?」
「ああ」
ロイエンタールもグラスに口をつけ、氷を一つ噛み砕いた。喉がやたらと渇いていた。
「俺が駆け付けたとき、ベートゲアはこう言った。『どうして忘れていたのか』と。彼女はあの『メーヴェ』の事件が起こったとき、現場にいて犯行を目撃した。しかし、恐怖の余りその夜の出来事を、すっぽりと記憶から消し去っていたのだろう」
「では、『メーヴェ』の犯人はアンゾルゲ准将だったと?!」
「そうか、確かにあの日、彼女は変だったよな」
「変?」
記憶の糸を手繰るミッターマイヤーに、オーピッツが鋭く聞き返した。
「そんな話は、今まではお聞きしていませんが」
「いや、俺も今の今まで忘れていたんだ。あの時は凄惨な事件を目にして、彼女も動揺しているのだと思ってそう気にも止めなかったが、『目が覚めたら、解約したはずの部屋にいて』とか言っていたんだ」
「そうですか………彼女は事件当夜の記憶をなくしていたが、犯人はそうは思わない。犯人は自分を見たはずの彼女の行方を探していた。そして、見つけた、というところですか」
「うん………」
「どうした? 」
ロイエンタールは、汗のかいたグラスを握りしめたまま黙り込んだミッターマイヤーに、声を掛けた。
「ベートゲアは、少し前から誰かに見られているみたいだと言っていた。今晩はそのことで『後フェザーン』に呼ばれたんだ。そのベートゲアが、感じていた視線がアンゾルゲ准将のものだとしたら、おかしくないか?」
「確かに………おかしいですね。ベートゲアを殺害する機会なら幾らもあったはずなのに、なぜあんな人目につくような場所で犯行に及んだのか………。何か彼女に用があっ
たのでしょうか?」
オーピッツは、眉間に皺を寄せ何やら考え込んでいるロイエンタールを見た。アンゾルゲ准将とベートゲアの間で会話が交わされていたとすれば、それを知るのはロイエンタール以外にいなかった。しかし、ロイエンタールはあっさりと首を振り、その可能性を否定した。そして、徐に口を開いた。
「今回の事件だが、ベートゲアを狙ったものではない」
低いがよく通る声は、二人を驚愕させた。しかし、その第一波が去ったとき、今まで宙に浮いていた様々な疑問が、落ち着く場所を見つけ纏まり始めたように感じた。
「アンゾルゲ准将の殺害こそが、今回の事件の目的だと思う」

「まず確認しておくが、俺たちはベートゲアがアンゾルゲ准将を殺していないということを知っているが、世間はそうは見ていない。世間に見せつけるために『ヒンター・フェザーン』を選んだと、その視点に立って見れば、今晩の出来事はどう見える?」
「どうって………」
「ベートゲアが『メーヴェ』で起きた一家惨殺事件の関係者だということ、そして、アンゾルゲ准将がその実行犯であったということは、遠からず人々の知るところになるだろう」
ロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーはうーんと目を瞑り腕を組んだ。
「アンゾルゲ准将は『メーヴェ』での凶行をベートゲアに見られた。その口封じのために『ヒンター・フェザーン』で彼女を見掛け、殺害を企てた。だが、何かの弾みでベートゲアにブラスターを奪われ、恐慌に陥った彼女に撃たれて命を落とした、と」
自分とは異なる視点に敢えて立ち、与えられたパズルのピースを別の模様に並べ直す。確かに、今まで見えていなかった景色が見えてきたようだった。
「もっと単純に、『メーヴェ』の仇討ちとも見られます」
まるで、ベートゲアが最初からアンゾルゲ准将の殺害を目論んでいたかのようなオーピッツの言葉に、ミッターマイヤーは目を見開いた。
「そんな! 彼女はそんなことをするような人ではない!」
あくまでも仮定の話に真剣に目くじらを立てているミッターマイヤーに、ロイエンタールは彼らしいと微笑んだ。
「刺激的な話にこそ、人は飛び付くものだ。真実そうだと言っているのではない」
「あ、ああ、そうだったな」
ミッターマイヤーは自分の早とちりに頭をかいた。
「でも、それにどんな意味があるんだ? 世間がどう言おうとも、ベートゲア本人がそうではないことを証言すれば、そんな噂立ち消えてしまうのではないのか?」
ロイエンタールはちょっと目を細めてミッターマイヤーを見たあと、オーピッツに視線を移した。どうやらここからの話をロイエンタールはするつもりはないようだ。オーピッツは自身の口から憲兵隊の暗部を語ることに躊躇いを覚えた。言えば巷でおどろおどろしく語られている噂が、真実だと認めることになる。ふーっと大きく息をつき、オーピッツは俯いた。
「このようなことを、私の口から話すのは憚られることなのですが、いかなる理由があろうとも、准将などという高級士官を殺害した者を、憲兵隊が何事もなく解放するとは思えません」
フンッとロイエンタールが冷笑した。
「随分と回りくどい言い方だな。要するに、ベートゲアは憲兵隊に、いや、憲兵隊に圧力をかけた軍によって抹殺される虞があるということだ。そうすれば、死人に口なし。この事件はベートゲアの復讐劇、で終わりだ」
「そんな!」
ミッターマイヤーの目が怒りの色に染まる。ロイエンタールはそんな彼の空いたグラスに酒を注いでやった。
「安心しろ、ミッターマイヤー。ベートゲアの安全はクライバー中佐が保証してくれている。それに………」
生き生きと感情を表すグレーの瞳に、自らの冷ややかな色違いの瞳を合わせる。目も逸らさずにこの忌まわしい瞳を見返すミッターマイヤーに、ロイエンタールは居心地のよさを感じた。ずっとこうして隣でいたいが、この覚えたばかりの小さな幸せは、軍人でいる限り期限付きのものであることは、百も承知だ。自分らしくない自分に、ひとつ冷笑を向け、ロイエンタールは言葉を継いだ。
「俺たちがいる。真犯人の思い通りにはさせぬさ」
ミッターマイヤーとオーピッツは大きく頷いた。
「先程も言ったが、今回の事件はアンゾルゲ准将を狙ったものだ。銃など持ったことのない女が、すぐ傍にいる人間の心臓など、そうそう狙えるはずがない。また、ミッターマイヤー、卿は現場から遠く離れたところに銃声を聞き、人影を認めている」
「ああ」
ミッターマイヤーはロイエンタールの言葉に肯定の意を示しながらも、納得できないようだった。
「それはそうだが、しかし、どうしてそんな面倒なことをしてアンゾルゲ准将を殺さなければならなかったんだ?」
「それはきっと、『メーヴェ』の事件の真相を、暴かれたくなかったからではありませんか?」
オーピッツは続ける。
「当事者の口さえ封じてしまえば、『メーヴェ』の事件は、痴情のもつれか何か、適当な理由をつけて、それで幕引きになるでしょう。アンゾルゲ准将は普段から素行に問題のある方でしたので、そんなこともあり得ると思われるでしょうから」
「では……………アンゾルゲ准将を殺して隠さなければならないことがある、ということか?」
「そうだ」
明快なロイエンタールの返事に、ミッターマイヤーは眉をひそめた。『メーヴェ』の二階で行われた、残酷な行為の跡を思い出したからである。
「それほどまでして隠したいものとは、一体何なのでしょうか?」
「『メーヴェ』に、いや、ベールケ氏はどんな秘密を抱えていたんだろう?」
回り回って振り出しに戻ってしまった二人を、ロイエンタールは静かに見た。そして、それまで弄んでいた汗をかいたグラスを置くと、「あくまでも憶測の域を出ないが」と前置きして語り始めた。

ベールケ氏が営んでいた運送屋は、個人経営の、小規模なものだった。これは、要塞港使用願に添付されていた会社概要や、一般向けの宣伝用サイトなどからもわかる。イゼルローンには二社大規模な運送業社が入っているので、小さな運送屋は大手が手を回していないような、辺境地域の顧客を扱うしかない。ベールケ氏の会社(といっても、所有する船は一隻にすぎなかったが)はそれなりに上手くいっていたようであった。特にベールケ氏は貴族階級の顧客を幾つか掴んでおり、その領地を定期的に巡回することで、安定した収入を得ていたようだった。
「ここまでならば、ベールケ氏は堅実な商人だといえるが………」
「何かあるのか?」
「うむ、ベールケ氏は彼の業種としては、あってはならない悪癖があったと思われる」
貴族の所領は、基本的に第一次産業が主流である。しかし、中には加工や製造を手掛けるところもある。それらは主に領主に供せられるためだけに作られるものであり、よほど商才に長けた貴族でもない限り、それらで儲けようとはしないものだ。従って、貴族の所領地製造の品は、市場に出回ることはまずなかった。
「しかし、『メーヴェ』にはその領地産の品があった。隣家のレジーが姉妹に貰ったと言って、見せた品がそれだ」
「あ、ああ………。あのワインボトルか?」
「そう、あれはヴァルタースハウゼン伯爵領の物だ」
「し、司令官閣下!!」
思わず大声を上げたオーピッツは、慌てて右手で口を押さえた。
「司令官閣下は部下に命じてワインを始め、幾つかの品を領地から取り寄せていらっしゃったようだ。定期航路から遥かに離れた宙域を巡る船は少なく、ベールケ氏の船は重宝されていたらしく、取引は数年に及ぶ」
「では、その報奨として、ベールケ氏は閣下からあのワインを頂いていたのか?」
「そんなことはない」
ヴァルタースハウゼン閣下は、それらの品が領地からどのようにして届けられていたのか、ご存知なかった。いや、知らないというのではなく関心がなかったのだろう。貴族というものは、得てしてそういうものである。なので、すべてを任されていたのは彼の部下であるが、その部下には閣下の品を自由に扱う権限はない。閣下がこれは市場に出回ることはないと言っている限り、閣下の知らないところでこの品が存在するはずはない。しかし、実際それが『メーヴェ』にはあった。それが何を意味するのか?
「先程、ベールケ氏の悪癖と仰いましたね。ロイエンタール中尉は彼に盗癖があったと仰りたいのでしょうか?」
「そうだとすれば、どういうことになるんだ? まさか、司令官閣下が犯人だというのか!」
憲兵の勘でオーピッツはおおよそロイエンタールの言いたいことを読んだようだったが、基本性善説の立場をとるミッターマイヤーには、この話の出口が見えない。
「それはありません。閣下には不正を正当に裁く権利と地位がございます。なにもこんな手の込んだことをする必要はないのです」
「ああ、言われてみればその通りだな」
ミッターマイヤーはソファーに深く身を沈め、両手を小さく上げた。
「卿らはわかっているようだが、俺にはサッパリ分からん。わかるように教えてくれ」
負けん気の強いミッターマイヤーが、情けないという弱気な表情を浮かべている。
「珍しいんじゃないか? 卿が弱音を吐くなど」
笑いを含んだ声でからかってやると、
「仕方がないだろう! 俺はそういう小難しいのは苦手なんだ」
と、今度は少し拗ねたような顔になった。しかし、それもミッターマイヤーらしいとロイエンタールは思う。彼には陰謀とか策謀とか、そういうものは似合わない。ロイエンタールはいつになく彼らしくない笑顔を見せた。オーピッツは険のないロイエンタールの笑顔を見て目を見張った。男色の気など全くないはずなのに、思わずドキリとしてしまうほどの美しさだった。これは女も男も迷うはずだと、奇妙なほど早い鼓動を打ちは始めた心臓に気付かぬ振りをして、頭を事件に集中させた。
小官の考えを申し上げても宜しいですか、と前置きしてオーピッツは話し始めた。
「ベールケ氏の盗癖は、なにも司令官閣下の荷物だけに発揮されていた訳ではありますまい」
そして、彼は見てはならない、あるいは知ってはならないことを知ってしまった。それは恐らくは公にできないような性質のもの、密輸か物資の横流しといったものではなかっただろうか。アンゾルゲ准将が、いや、アンゾルゲ准将を顎で使える人物が、そこに絡んでいることは間違いない。
「その物資が何か、アンゾルゲ准将の背後にいる人物が誰かまでは見当がつきませんが、おおよそはそういうところではありませんか?」
オーピッツは答え合わせを待つ学生のような気持ちでロイエンタールを見た。ロイエンタールは先程まで浮かべていた、オーピッツをうっそりとさせた笑顔を引っ込めた。そして、まるで心の奥底を覗くかのような鋭い目をした。
「見当がつかない? 本当に? 憲兵はアンゾルゲ准将を追っていたのではなかったのか?」



<続く>  
 

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