後フェザーン殺人事件 10 |
銃声と共に響き渡った悲鳴が、ベートゲアのものだと気づいたロイエンタールとミッターマイヤーは、咄嗟に行動を起こした。 「ミッターマイヤー!」 「うむ、任せろ!」 騒ぎのあった方向に背を向けて座っていたミッターマイヤーは、銃声を耳にしてロイエンタールが見る方とは別の方を振り向いていた。それはすなわち、発砲された場所とベートゲアがいる所とに距離があったことを意味する。「後フェザーン」の出入口は二ヶ所。その内の一つは今の騒動が塞いでいることを考えれば、銃を撃ったものは正面から出ていくしかないだろう。いったい誰が、とそちらに心を引かれながらも、ロイエンタールはベートゲアの元に駆け付けた。 ミッターマイヤーは、銃声に振り向いた先に確かに黒い人影を見た。断末魔のごとき悲鳴を上げたベートゲアの状況が気にはなるが、自分が追うべきはあの黒い人影だった。 二人共に、自分に任されたことの重大さを理解していた。そして、互いに寄せる信頼感も感じていた。 ロイエンタールが駆け付けると、ベートゲアが床に座り込んでいた。その手にはブラスターが握られていた。 「ロイエンタール中尉………」 「ベートゲア、何があったんだ?」 ベートゲアは唇を震わすだけで答えられない。ロイエンタールの声に、二人の前の後フェザーンの従業員たちが作った人垣が動いた。 「………これは!」 現れた光景に、思わずロイエンタールは言葉を失った。そこには胸を撃ち抜かれ血を流して倒れる、将官の軍服を着た男の姿があった。ロイエンタールはベートゲアのそばを離れると、その男に近づいた。仰向けに倒れた男の目を覗きこみ、口元に手をかざして確かめたところ、既に絶命しているようだった。 「私、見たの………思い出したの…………」 「ベートゲア?」 「この人が………あ、あ…嫌ぁあ!!」 まだブラスターを握ったままのベートゲアを、ロイエンタールは抱き締めた。そして、ポケットからハンカチを取り出すと、それでブラスターを包み込むようにして、手から取り上げた。胸にすがって泣くのをそのままに、ロイエンタールは心配そうな顔で側にいる従業員に憲兵隊に連絡するように指示をした。将官が殺されたことをうやむやにすることなど出来ない。隠しだてをするような素振りをすれば、痛くない腹を探られることにもなりかねない。ベートゲアの置かれる状況は限りなくよくないが、そうすることが最善であるとの判断であった。 ロイエンタールの見たところ、銃痕はただの一つ。しかもそれが見事に心臓を撃ち抜いていた。銃など握ったことのない女性に出来ることではないのだ。この准将を撃った者は他にいる。ロイエンタールはミッターマイヤーが出ていった方を祈るように見た。ふと、腕の中のベートゲアが何かを言うのに気づいた。途切れ途切れのその言葉が意味することを察して、ロイエンタールは目を見開いた。頭の中でパズルのピースがカチリと音をたてて嵌まったような気がした。 疾風の如くエントランスに駆け込んだミッターマイヤーの視界の端に、先程の人影を認めた。 「待て!」 走りながら鋭く叫ぶが、黒い影が立ち止まることはなかった。それで確信を強めたミッターマイヤーは、迷うことなくその姿を追った。イゼルローンの夜を人工の星が照らし、夜目の利くミッターマイヤーには明るいくらいだった。黒い影は追っ手を撒こうと殊更に暗い路地を駆けていくが、俊敏なミッターマイヤーをそう簡単に振り切ることはできない。体力も明らかに此方に分があるようだ。もう少しで黒い影に追い付ける、と思ったとき、突然目の前が明るくなった。突然のことにホワイトアウトしたかのような混乱に落ちいったが、直ぐに立ち直ったミッターマイヤーは、目の奥が痛むのを無理に目を開いた。そこには此方にヘッドライトを向けた地乗車が止まっていた。 「ブブブー」 警笛を鳴らされ、ミッターマイヤーは自分がこの車の前に飛び出たのだと理解した。慌てて道を明け周りを見渡したが、あの黒い影は何処にも見当たらなかった。 「くそっ!」 誰にともない悪態をつくと、ミッターマイヤーは来た道を引き返すために駆け出した。 ミッターマイヤーが「後フェザーン」に戻ると、そこは不安に静まり返っていた。憲兵隊が取り仕切る中に、連れがいることを説明して入れてもらうと、ロイエンタールの姿を探した。そんなミッターマイヤーの様子から事情を知った馴染みの店員がそっと教えてくれた。 「お連れの中尉さんとベートゲアは、別の部屋で話を聞かれています」 「ロイエンタールまで?」 「はい、あの………ベートゲアの保証人でもありますので、それでだと思います」 「そうか………」 ロイエンタールと会えないのなら、どうしたものだろうと思案に暮れていると、トントンと後ろから背中をつつかれた。振り返るとそこには、金髪のウエイトレスがいた。確か、ベートゲアに優しくしてくれていた彼女だ。 「どうしたんだい?」 ミッターマイヤーの声に、人差し指を唇の前で立て、続いてトイレの方を指差した。 「あそこに行けってこと?」 小声で尋ねたミッターマイヤーに、彼女は無言でコクコクと頷いた。わかったという意味を込めて大きく頷くと、彼女は何食わぬ顔をして立ち去った。 男子トイレの扉を開けようと、取っ手に手を掛けようとしたとき、背後からベルトを捕まれ隣の扉に引き込まれた。そこは女子トイレであったので、非難をしようと開きかけた口を押さえられ、ミッターマイヤーは反射的に反撃の拳を繰り出していた。改心の一撃をまともに食らい、狼藉者はその場に腹を抱えて踞った。 ーー思い出したわ。 ーーあたし、あそこにいたんだわ。どうして忘れてたの………… ーーあの男が、殺したのよ。子供たちも、みんな……… しかし、「あの男」を殺したのはベートゲアではない。この准将を殺したのはミッターマイヤーが追う人物である。ならば………。ロイエンタールには此度の殺人事件の持つ意味がはっきりとわかったように思った。しかし、わからないこともある。いや、わからないことの方がまだ多いことには変わらない。こんな状態で、自分のまだ憶測の域を出ぬ話をするべきか否かとロイエンタールは迷った。しかし、ここを隠せば一連の「事件」は、単なる復讐劇で幕を引かれてしまう。 ロイエンタールは自分を尋問する憲兵を見た。ここイゼルローンの憲兵にありがちな、自堕落な様子は認められなかった。憲兵隊と一括りにしたところで、中にはオーピッツのような者もいるのだ。ベートゲアを准将殺害の犯人に仕立てて、営倉にて密かに処刑させることだけは防がなくてはならない。たとえ見込み違いだとしても、ベートゲアをこの一連の事件の首謀者の魔の手から、守ってもらわなければならないのだ。 ロイエンタールは弁護士然としたこの憲兵中佐に賭けてみることにした。 「イテテテ、こりゃ酷いや」 「オーピッツ少尉! なんでこんなことを」 「『こんなこと』はこっちの台詞だと思うけど」 手を差しのべて立たせてやると、オーピッツは腹をさすりながら、不平を続けた。 「すまない。卿だとは思わなかったから」 ここ、女子トイレだろ、と落ち着かない様子で辺りを見回すミッターマイヤーに、オーピッツはだからいいんですよ、と答えた。 「ここは女性客がほとんどいませんからね。人目につかずに話をするには、都合がいいんです」 そうは言いなからも、オーピッツはミッターマイヤーとの距離をぐっと詰めると、さらに小声で訊いた。 「ロイエンタール中尉から、すぐにこちらに来るように連絡を受けました。来てみればこの通りです。あらかた事情は把握していると思うのですが、中尉が見聞きしたことをお聞きして宜しいですか?」 おそらくオーピッツは「後フェザーン」に着いてから情報収集をしたのだろう。飲んだくれたていなければ、優秀な憲兵なのだろうと感心しつつ、ミッターマイヤーが目撃した状況を説明していると、ポケットの中の携帯が震えた。話を中断し、断りを入れて携帯のディスプレイを見ると、それはロイエンタールからの着信を示していた。画面をオーピッツに向けると、オーピッツは素早く周囲に人がいないかを確認した。 「ミッターマイヤーだ。………………ああ、すまん。逃してしまった。………うん………うん、わかった。ん? ああ、一緒だ……………わかった。じゃあ、また後で」 「ロイエンタール中尉は何と?」 「話を聞きたいから来てくれ、とさ。卿も一緒だ」 「げっ」 この場を取り仕切るのは、クライバー中佐という憲兵隊でも切れ者らしい。「メーヴェ」の一家惨殺事件の捜査打ち切りに、最後まで異を唱えていた人物であり、オーピッツ少尉の直属の上官でもあるという。 「それならば、話は早そうではないか」 と、ミッターマイヤーが言えば、オーピッツはいやいやと首を振った。 「クライバー中佐は厳格な方です。自分が勝手にあの事件を追っていたなどと知られれば………」 あとの言葉は、溜め息となって消えてしまった。 「後フェザーン」の事務室の奥に設えられた応接室にロイエンタールはいた。彼に向き合って座っているのがオーピッツの上官クライバー中佐だろう。入り口で敬礼し名乗りを上げたミッターマイヤーの姿を認め、ロイエンタールは心なしかホッとしたような表情を浮かべた。珍しいな、と見ていると、 「ミッターマイヤー、無事だったか」 と言った。殺人犯の後を追った彼を心配してくれていたらしい。 「ああ、だが、逃してしまった」 ミッターマイヤーはちらりとクライバーを見た。ロイエンタールがどこまでのことを話しているかわからないので、余り迂闊にものを言えない。ロイエンタールはそれを察し、ミッターマイヤーを安心させるような微妙な笑みを浮かべた。 「クライバー中佐は全てご存じだ」 「そうだ。この二人に手を貸していた憲兵が誰かもな」 ミッターマイヤーの背中に隠れるように立っていたオーピッツが、弾かれたように頭を下げた。 「申し訳ございません!」 「全くだ。組織というのがどういうものか、卿にはもう一度教えねばならぬようだ」 「はっ」 頭を下げたままのオーピッツに、ミッターマイヤーは弁護する気持ちが働いた。ミッターマイヤーからすれば、オーピッツにこそ正義があると思えるのだ。 「お言葉ですがクライバー中佐、オーピッツ少尉に助けを求めたのは小官らの方です。それに、小官はオーピッツ少尉が間違ったことをしたとは思えません」 まだ言葉を続けようとするミッターマイヤーを、クライバーは右手を上げて止めた。 「ミッターマイヤー中尉、卿は自らの主張を押し通すために上の命令に背くことを、是だと言えるか? 軍隊というところは、上の意思決定をどれだけ正確に実現できるかに懸かっている組織だ。個人の意見は必要だが、それを圧し殺さねばならないときもある」 ミッターマイヤーはクライバーの表情に乏しい顔を見詰めた。そこには個人の意見を圧し殺し生きてきた、苦悩の痕が刻まれているように思えた。 「しかし、怪我の功名というものもありましょう」 涼やかな声が、妙に息の詰まる空気を解した。声の主はロイエンタール。その金銀妖瞳はいつになく強い光を宿している。 「部下の個性を活かして使えば、想定していた以上の結果を生むこともあるのではありませんか」 まるで、上官の器量を問うような言葉だった。オーピッツはロイエンタールの言葉に、クライバーが気分を害さないかと緊張した。しかし、彼の上官はロイエンタールの言葉の棘に気づいてか気づかずにか、ただ「怪我の功名か」と呟いた。 「オーピッツ、此度のことは多目に見よう。その代わりといってはなんだが、『メーヴェ』の事件とアンゾルゲ准将の殺害について、卿らの掴んでいる情報を全てこちらに貰おうか」 「私たちの、全て、ですか?」 「そうだ。一日時間をやろう、いいな。それまで彼女の身柄は、責任をもってこちらで預からせてもらう」 <続く> |