サクラサクラ(1)



 ロイエンタール邸の一隅には桜の老木が生えていた。しかし、その桜が咲き乱れる姿を、この屋敷を手に入れて二年目の主はまだ見たことがなかった。
去年は視察旅行に出掛けている間に見頃がすぎてしまった。なので、そんな予定も入っていない今年こそは、と口には出さないがロイエンタールは思っていた。新領土の総督として忙殺される日々を、微かに照らす春の光。家人らが蕾が膨らみ始めた頃から去年の春を思い出しては口に乗せる桜の見事さに、期待を膨らませていたのはほんの十日ほど前のこと。日に日に暖かさを増し、桜の開花が始まったのと時を同じくして、総督執務室は繁忙を極め、ロイエンタールが帰途につくときには、すでに常夜灯の仄かな明かりがあるばかりで、桜木は闇の中に沈んでいた。
「明日は一段と暖かいそうですから、桜も満開になるでしょうね」
 暗い窓の外を見る主人の気持ちを思いやって、執事のワグナーがそう言うと、
「そうですか。ならば、この週末には見頃を迎えますな」
と、ベルゲングリューンが重ねた。
「週末か・・・」
 あと四日。それまでに処理しなければならない厄介な案件の数をかぞえながらも、ロイエンタールの心は少し浮き立った。
 
 その「四日」が、まさか咲き誇ったばかりの花を散らしてしまうとは、この時誰が想像しただろうか。

 ワグナーが言うとおり、翌日には桜色の霞が懸かったのではと思うほどに、見事に桜は咲いた。屋敷に仕える者たちは、仕事の手を時折止めては、厳しい季節を耐えた天からのご褒美を堪能した。そして、この花を見て喜ぶ主人を想像した。その想像だけで皆の心はほんのり温かくなった。
そのまさに翌日から二日に渡って春の嵐が吹きすさんだ。「花散らしの雨」とはこのことだと言わんばかりの風雨に、見頃を迎えたばかりの桜は、あっという間に散らされてしまった。週末、ロイエンタールが見たのは僅かなピンクの花弁と、無数に残された濃いピンクのがく、それに早々と萌え出てきた新芽だった。
漸く雨の上がった庭に出て、赤い枝ばかりになった桜を見上げるロイエンタールに、誰も声をかけられなかった。

そんなロイエンタールの後ろ姿が、その日から数日経っても、ベルゲングリューンの目に焼き付いて消えなかった。少し寂しそうな愛しい人を慰めたい、そんな思いが彼に珍しく有給休暇を取らせた。勿論、その日がロイエンタールのイレギュラーな休日だと知ってのことである。
いつもと同じく、遅い夕食をとりなから、ベルゲングリューンは切り出した。
「明日ですが、閣下におかれましては、何かご予定がございますでしょうか?」
「ない」
妙な緊張感で、殊更に畏まった物言いになったベルゲングリューンに、ロイエンタールは怪訝な顔を見せた。
「あの、その、小官も明日休暇を取りましてー」
「ベルゲングリューン」
「はっ、閣下」
「ここは、総督府ではない」
「はい」
「『閣下』と呼ぶことは多目に見よう。だが、その言い方は感心しないな」
「申し訳ありません」
「で、 何なのだ? 」
ベルゲングリューンは敵わないなと思った。それも当然である。こんな関係になる前から、彼はどんな諫言であっても、必要とあれば躊躇うことなく口にしてきた。その彼がこうして口ごもるのは、すなわち、彼がこれから話そうとする内容が、極めてプライベートで、そしてロイエンタールの反応に自信がないことの証左なのだから。
「明日、天気も良さそうですから、出掛けませんか? 少し標高の高いところなら、まだ桜も咲いているやも知れません」
ベルゲングリューンは注意深くロイエンタールを見た。どんなに小さくても、ロイエンタールの心の傷に触れるときは緊張感が走る。プライドの高いロイエンタールは、自らの内心を他人に見透かされるのを嫌うことを、長い付き合いで知っていたからだ。
ロイエンタールは食事の手を止め、俯いた。再びロイエンタールが顔を上げたとき、ベルゲングリューンはそこになんとも言えない微妙な表情を見つけた。それは、困ったような、照れ臭そうな、恥ずかしそうで嬉しそうな顔だった。
「そんなに・・・・・わかるか?」
「貴方のことでしたら、どんなに小さなことでも見落とさない自信があります」
真面目腐って答える彼に、ロイエンタールはふふっと笑った。
「二人でか?」
「ええ、二人でです」
もともと休日を活動的に過ごす人ではなかったが、ここノイエラントに来てからは出不精に拍車がかかったようだった。それは、単身で気軽に出掛けられない煩わしさがそうさせているのだと、身近に仕える者たちはみな承知していた。しかし、総督という要人中の要人に警護なしで外出を勧められる人間がいるはずもない。それはロイエンタール本人も承知のことだ。
「護衛は?」
「私が一緒なのだから、護衛はいいでしょう」
「ほほう、それはそれは」
真面目ぶった顔で、総督の警備担当者が聞けば腰を抜かしそうなことを、ベルゲングリューンはさらりと言ってのけた。ベルゲングリューンとて護衛を必要とする立場である。それをまるで、身軽な学生が友人を遊びにでも誘うような気軽な言葉だった。厳格な教師の目を盗んでいけないことをするような、そんないたずら心が、いい年をした男二人の胸を弾ませた。


ベッドの上でスキンシップを兼ねてのマッサージは、二人の間の密かな日課になっていた。目の疲れから来る首筋の凝りを解しながら、ベルゲングリューンは明日の予定をロイエンタールに話して聞かせた。そうこうしているうちに、滞っていた血流が良くなり、美味しそうに耳朶が色づき始めた。堪らずそれを口に含む。
「んんっ」
と、色を帯びたロイエンタールの声が鼻に抜ける。ベルゲングリューンは腕を前に回し、ロイエンタールの寝間着のボタンを外し、湯上がりでしっとりと湿りを帯びた肌に手をさ迷わせた。胸のとがりを摘まみ、逆の手をズボンの中に手を入れる。少し兆し始めていたものに手が触れるその寸前で、腕の中の体がくるりと向きを変えた。
「ハンス………」
見詰められ、吐息混じりの掠れた声で名を呼ばれ、ベルゲングリューンは形のいい唇に噛みついた。舌を捩じ込み、感じやすい上顎を擽るように舌を這わす。そして、そのままの勢いで押し倒そうと肩に手をかけたとき、再びロイエンタールはベルゲングリューンから逃れるのように体を捩った。
「閣下………なぜ………」
ロイエンタールを見ると、同じように快楽に潤んだ目をしている。尚更なぜと詰め寄ろうとしたとき、ロイエンタールがベルゲングリューンの唇を塞いできた。一頻り舌を絡め吸いあったあと、どちらのものか分からぬ唾液に唇を濡らした、この世のものとは思えぬ美貌が囁いた。
「休日を取ってまで警護の任に着こうとする軍事総監に、褒美をやろうと思ってな」
「褒美?」
「うむ。じっとしていろ、今日は俺が奉仕してやる」
ロイエンタールはつっとベルゲングリューンの股座に身を沈め、下着ごと寝間着のズボンを下げた。ぶるんと勢いよくいきり立ったものが顔を出した。
「閣下!」
ベルゲングリューンの制止を聞かず、ロイエンタールはぱくりとそれをくわえてしまった。
「閣下………お口が………汚れ…ます」
ロイエンタールから初めて与えられる口淫は、どこでこんなものを覚えたのか、と不穏な嫉妬を抱かせるほどで、与えられる快感と自らの股間で繰り広げられている淫靡な光景を目にするだけで、すぐにも達してしまいそうだった。ロイエンタールの後頭部を押さえつけ、激しく腰を振り、その喉の奥に熱い精を放ってしまいたい欲望をどうにか圧し殺し、ベルゲングリューンはロイエンタールの前髪を優しい手付きで掻き上げた。
「閣下、もう十分ですから」
「善くなかったか?」
「いえ、そうではありません」
色違いの瞳を不安で曇らせた愛しい人を抱き上げ、そっとベッドに横たえ、その上にのし掛かった。
「善すぎて、もういってしまいそうでした」
「いけばよかったのだ。お前はいつも俺のを飲んでいるだろう?」
ベルゲングリューンはロイエンタールの方膝を折り曲げ、露になった秘所に触れた。そこは彼を欲してひくついてはいたが、まだ固く乾いていた。
「それは……魅力的なお話ですが、いけば、貴方を満足させてあげられませんぞ。それでは宜しくないでしょう?」
「…………」
ロイエンタールはなにも言わないが、その熱い視線と、言葉に反応して蠢くベルゲングリューンの触れる箇所が、彼の気持ちを如実に表していた。
「私は、貴方の中で果てたい」
「ふぅン」と悩ましげな溜め息とともに、ロイエンタールの白い腕がベルゲングリューンの首に巻き付いた。
「今日は、お前に何かしてやりたい」
「そんな………そんな可愛いことを仰ると、抑えがきかなくなってしまいます」
「抑える必要などない。お前の好きにすればいい」
耳から脳に直接注ぎ込まれた囁きは、ベルゲングリューンの強固な理性の綱をいとも簡単に断ち切ってしまった。
「ああ、もう、貴方という人は………」
壊してしまうかもしれない。しかし、それをも受け入れてくれようとするこの美しい人を前に、今日は溢れくる思いを抑えられるはずもなかった。

焦らしたり苛んだりすることは、ベルゲングリューンの性癖ではなかったはずだった。しかし、彼の全てを受け入れようと腕を広げるロイエンタールに、ベルゲングリューンの奥底に眠る本性が現れ出たのかもしれない。彼は愛する人の欲情の証の根本を握り締め、吐精せぬようにしながら、自らの男根で彼の胎内を抉り続けた。低く艶やかな喘ぎ声をあげる様に、苛虐心はますます煽られる。
一際高い嬌声が引き金となり、ロイエンタールの内部は激しい引き付けを起こした。
「あっ……はっン……は…ハンス……いや…もう……あぁ!」
譫言で限界を告げるロイエンタールに、
「もっと………いや……もう少し………」
と、激しく腰を突き入れる。波打つように締め付けられる心地よさを、もっともっとと求める。 脚を大きく開かせて更に奥を穿つ。射精出来ない苦しみに爪を立てるロイエンタールに、根本を握り締めていた手を緩めた。そして、これ以上なく張り詰めた屹立を優しく一撫ですると、勢いよく白濁が迸った。弓なりにしなう濡れた白い裸体と、きつい締め付けにベルゲングリューン奥歯を噛み締めた。
「まだ……いきたくない………」
上から降ってきた絞り出したかのような声に、ロイエンタールは薄らと目を開けた。
「ハンス………」
少し顎を上げる仕草は、キスのおねだりだ。
「ああ………オスカー」
応えて口付ける。貪るようなそれは次第に啄むような甘やかなものに変わっていった。それに従い猛っていたベルゲングリューンの気持ちも漸く落ち着きを取り戻した。
「まだいけますか?」
大きく胸を上下させている腕の中の人に問えば、背中に回されていた腕に力が篭った。
「好きにしろと言っただろう? お前になら、どうされても構わない」
「閣下!」
ベルゲングリューンは再び身体中の血液がたぎるように感じた。

<続く>


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