lache einmal mehr(5)



小さな電子音とともに、三人は勢いよく室内に飛び込んだ。中にいるのがゲオルギーだということで、躊躇しないではなかったが、それよりもロイエンタールが心配という思いが勝っていた。
 闇の中に差し込んだ光の中で三人が目にしたものは、ゲオルギーの股間を蹴りあげるロイエンタールの姿であった。
そのロイエンタールが珍しく驚いたような表情を浮かべこちらを振り向くのと同時に、ゲオルギーが股間を押さえて床に転がった。
臨戦態勢であったそこを手加減なく蹴りあげられたのだ。たまったものではあるまい。もしかしたら、もう二度とこんなことはできない体になったかもしれない。
ロイエンタールの平然とした態度を見ていると、それはそれで哀れだなと思ったりするが、この場面でゲオルギーに同情する謂われは一ミリたりとも存在しないと、ワーレン思い直した。

「おい!」
狭い出入り口をふさぐ3人をかき分けて部屋を出ていこうとするロイエンタールを、ビッテンフェルトが捕らえた。何気なくつかんだ腕には、赤く、ゲオルギーに握られていた跡が残っていた。
「ちょっとこいよ」
「何だ。誰も何も頼んではいない」
いつもにまして冷ややかで睨むような目つきに、思わずビッテンフェルトの声が大きくなる。
「用があるのはこっちの方だ!」
 室内ではゲオルギーがまだもんどりかえっているし、ここは今の時間は人通りがないとはいえ通路である。早くこの場を立ち去りたいという思いはその場にいた全員に共通していた。しぶしぶという体でロイエンタールはビッテンフェルトに従い、ビッテンフェルトとワーレンの部屋に入った。
そこに至る間にマイアーはそっと姿を消した。マイアーはロイエンタールと同室と言うこともあり、あまりこの件に深く関わると、これから一緒に生活し辛くなると判断したのだろう。

 ビッテンフェルトは同室の生徒を部屋から追い出し、ワーレンとロイエンタールを挟むように腰掛けた。
「あんなこと、今までに何度もあったのかよ?」
「あんなことって何だ?」
完璧なポーカーフェイスでロイエンタールは応じた。それとは対照的にビッテンフェルトは興奮気味だ。
「それは、その・・・あんな・・・」
口ごもるビッテンフェルトのうぶな様子に内心いたずらな気持ちが動いたが、表面的には無表情を決め込んだ。ビッテンフェルトでは話が進まないと感じたワーレンは、会話の先を受け継いだ。
「嫌がらせだ、性的な」
「ふん、嫌がらせ、ね」
「まあ、嫌がらせではないだろうが、まあ、わかるだろう?そういう行為だ。まさか、暴行されたことがあるのか?」
 二人の話を切きながら、次第に真っ赤になっていくビッテンフェルトの様子を目のはしに捕らえながら、わざとワーレンの婉曲表現を言い直してやった。
「強姦か」
「あるのか?!」
「ふん、どうして俺が男に抱かれねばならん」
「では、今日のようにみんな撃退したわけか」
「ふん」
 小さく鼻で笑うロイエンタールに心底案じるような声色でワーレンは言った。
「ロイエンタール、どうして誰にも言わなかった。今まで何もなかったかもしれないが、これから何かあるかもしれんのだぞ?」
「セックスなぞ、たいしたことではない・・・」
「なに?」
もはやビッテンフェルトは頭から湯気を上げんばかりだ。
「それに、俺の身は俺が好きにする。お前らには関係ない」
「なに!」
ビッテンフェルトの激情は沸点に達した。
「なにが関係ないだ!なにが俺の身は俺が好きにするだ!なんでお前はいつも一人でどうにかしようとするんだ!どうしていつも一人でつまらなさそうにしてるんだよ!俺たちがいるだろ!俺たちはクラスメイトだろ!なんで頼らないんだよ!お前がどうなったって、関係ないとか思ってるんだろう!違うぞ!そうなったら俺たちは・・・俺は悲しいんだ!もっとお前、自分を大事にしろよ!俺たちを頼れよ!」
ロイエンタールは自分の両肩をあり得ない力でつかみながら力説するビッテンフェルトを見ていた。顔を真っ赤にして、その目はロイエンタールに昔老執事が向けていたような目に似ているように思えた。
そのアンバランスさとビッテンフェルトの青臭いお説教に、なぜだか笑いがこみ上げてきた。
「お前の同室のマイアーだって・・・」
これはまだまだ続きそうだなと思い、少し黙らせようと顔を上げるとビッテンフェルトと目が合った。
「フッ」
不似合いな真剣な表情にこらえきれず吹き出してしまった。これはまた怒るだろうなと見上げてみると、目をまん丸にして驚いている顔が飛び込んだ。
「おい・・・、ロイエンタール、お前今笑ったな?」
笑ったなと聞かれてはいそうですと答えられるほどロイエンタールは素直にできていなかった。
「笑ってない」
「いいや、笑ったよ!なあ、ワーレン、お前も見たろう?」
ロイエンタールの笑顔を見て、ビッテンフェルトは今まで自分が話してきた内容が頭から飛んでしまったことに気づかなかった。
「なあ?ロイエンタール。もう一回笑って見ろよ」
「はぁ?馬鹿かお前は。笑っていないと言っているだろう。それに笑えと言われて笑う奴もいない」
馬鹿呼ばわりされようと、いくら鼻で笑われようと、ビッテンフェルトはもう一度見てみたかった。ロイエンタールが笑うのを。彼の笑顔を見たときに感じた己の胸が小さくキュッと締め付けられるような痺れるような感覚をもう一度感じてみたかった。
「いいからさ」
ビッテンフェルトは赤い顔のままロイエンタールの肩を掴みゆすぶった。これではまるでビッテンフェルトがロイエンタールに襲いかかっているようだった。
「おい、やめろよ」
見かねたワーレンが間に入って止めようとするが、一度決めた行動予定を安易に変えるような男ではない。
さすがにこの行為には我慢ならなかったのか、ロイエンタールはビッテンフェルトの両手を振り払いバッと立ち上がった。
捨てぜりふも残さずに部屋から出ていこうとするロイエンタールの背中にビッテンフェルトが飛びかかった。
「こらぁ、挨拶もなしにでていくつもりかぁ!」
背後からビッテンフェルトに捕らえられたロイエンタールは、今まで味わったことのないむずむずするような感触を両脇の下に感じて身もだえた。
笑わぬなら笑わして見せようとばかりに、ビッテンフェルトが擽ったのだ。
ビッテンフェルトにしたら子供のことから何度もしてきたいたずらだが、ロイエンタールはこんな子供同士の戯れとは無縁の生活をしてきたので、たまったものではない。
「何するんだ!馬鹿野郎!」
しつこく擽り続ける相手の顔を、体を捩って殴りつけたロイエンタールは、今度こそ怒り心頭の体で出ていった。
「おいおい、ありゃあ本気で怒ったぞ」
ワーレンが苦笑しながら、顔を両手で押さえてうずくまるビッテンフェルトを気遣った。
殴られた顔は痛い。
しかし、それ以上に背筋をはい上るような痺れにビッテンフェルトは戸惑っていた。
擽られて顔を真っ赤にし、金銀妖瞳を涙で濡らしたロイエンタールは、彼が今まで見たどんな女より美しかった。美しかったなどと明確に意識したわけではなかったが、この体の疼きでそう感じた。
いつまでも立ち直らないビッテンフェルトに、鼻でも折れたかとワーレンは心配になった。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫なんかじゃなーい!医務室行ってくる!」
止まらない鼻血を押さえながら、ビッテンフェルトは勢いよく出ていった。
「やれやれ」
見れば床には血痕が点々と付いている。
「面倒をかける奴らだなあ」
ワーレンはまたこいつらに振り回されるんだろうなと、これからの4年間を思いふうっと深いため息をついた。

その後しばらくあからさまにビッテンフェルトを避けるロイエンタールに、喧嘩するほど仲がいいっていうよな、と、周囲はますます三人の仲の良さを確認するのであった。

<了>


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