来店お断り(1)



開設さればかりのローエングラム元帥府内の士官食堂で向かい合うのは、共に中将に昇進したばかりのロイエンタールとミッターマイヤー。この綺羅星のごとき若き将校たちは、帝国軍内で頭角をめきめきと表し始めている。しかし、そんな周囲の視線などどこ吹く風。二人は出会った頃と変わらなかった。
この日も、少し薹が立った少年たちは、他人が聞くと呆れるような会話を交わしていた。
「なあ、ロイエンタール。あれ、覚えているか? あれ、もう一度食いたいなあ」
「ああ、そうだな、と言ってやりたいところだが、『あれ』ではさっぱりなんのことやらだ」
「ほら、あれはあれだ。『Schweinestall』で一緒に食べたじゃないか」
「ああ、『豚小屋』な」
ふふっと口角を上げ、ロイエンタールは思い出していた。『Schweinestall』はオーディン軍港近くの定食屋だ。イゼルローンで出会った二人が揃ってオーディン勤務になったとき、よく通っていた。そこでミッターマイヤーがもう一度食べたいという「あれ」とは『Schweinestall』で最も値の張る料理で、二人にとって思い出の一品だ。

あれはそう、今日のように寒さの厳しい冬の日だった。トラブル続きの哨戒任務を終え、二人はいつものように『Schweinestall』に足を運んだ。そして、いつもにまして真剣にメニューとにらめっこしていたミッターマイヤーが、ふと顔を上げ言った。
「『アイスバイン』にしよう。今日はこれを食べてもいい日だろう?」
メニューの影から覗く灰色の目が、壁に掲げられたワインリストを見ていたロイエンタールを見上げていた。
「はて、今日は何かの記念日だったか?」
わざと惚けて見せると、いつもは凛々しい眉が面白いほどに下がった。
「記念日なんかじゃないが、その、ほら、ご褒美だよ」
「褒美? 誰から? 誰への?」
「もう! 俺たちへのだよ! 今回、頑張っただろ?」
クククッとロイエンタールは喉を震わせた。厳しい任務など、今回はかりのことではない。ではないが、何らかの理由を付けてでも、今日はこれが食べたいのだろう。
「なるほど、そうだな。では自分達へのご褒美に、今日はこれを頼むとするか」
実のところ、ロイエンタールはこの「アイスバイン」なるものがどのようなものかわかっていなかった。ミッターマイヤーからの情報で伝統的な家庭料理であることと、それにしては滅多に口に出来るものではないことだけを知っていた。だから運ばれてきたものを見て、彼は我が目を疑った。大迫力の肉の塊ーー豚の脛。嬉々として肉を取り分けるミッターマイヤーに、ロイエンタールは恐る恐る聞いてみた。
「なあ、これを二人で食べるのか?」
「なあに、食べきれなければ持って帰るのさ」
口に入れるとほろほろと蕩ける肉は、舌の肥えたロイエンタールをも唸らせた。しかし、それを食べきった覚えも持ち帰った記憶も二人にはない。旨い肉に舌鼓を打ちつつ、大いに呑んだ二人はいつものように喧嘩をし、店を追い出されてしまったのだ。ここの部分は二人とのもあまり覚えていないのだが、店外に押し出され店主から告げられた言葉だけははっきりと覚えていた。
「悪いが二人とも、もう二度と来るんじゃないよ」

「そんなに食べたいのなら、奥方に作ってもらえばよいではないか」
曖昧なところの多い記憶を辿っていたロイエンタールは、思うところをそのまま口にしていた。ミッターマイヤーの愛妻エヴァンゼリンは料理の名人だ。アイスバインが家庭料理というのなら、彼女に作れぬはずはない。
「うん、もう作ってもらった」
頬張ったジャガイモを咀嚼しながら、ミッターマイヤーは事も無げに答えた。
「ならば……」
「だけど、違うんだよなあ。勿論旨かったよ。旨かったけど、『あれ』じゃなかったんだ」
「だったら、その違うところを奥方に伝えて、もう一度作ってもらえば……」
よいではないかと続く言葉を遮って、ミッターマイヤーは言った。
「知っているか? アイスバインを作るのに、どれだけ時間がかかるのか?」
「時間? そうだな、半日位か?」
「短い!」
長めに見積もった答えだったが、一蹴されて終わった。
「3週間だ。おいそれと作ってくれと言い難い時間だろう」
「………………確かにな」
ロイエンタールの反応に、我が意を得たりとばかりにミッターマイヤーは身を乗り出した。
「だからな、行ってみないか? あれから随分時間も経っているんだ。俺たちのことなんて、もう忘れられているさ」

念のために軍服は脱いでいこうということになり、二人は一旦別れ、再びターミナルビルで落ち合うことにした。週末の夕刻のことである。
ロイエンタールは本邸に戻り、クローゼットの前で溜め息をついていた。これも以前のことになるが、初めてミッターマイヤーと出掛けたとき、そのあまりの服装の格差のために、貴族の旦那様と従者と見られてしまい、彼の親友に随分と恥を掻かせてしまった。今となってはいい笑い話だが、その反省から二人で出掛けるときは出来るだけ軍服でを心掛けている。そうでないときは、これが問題なのだが、ロイエンタールにはミッターマイヤーが言う「普通」がどうしても体現出来ない。これは、身から滲み出る高貴さがそうさせているのだが、ロイエンタールとすれば、ミッターマイヤーの期待に応えられないのが悔しくて堪らない。そこで、ロイエンタールは発想を転換することにした。「普通」などといった漠然としたものを目指そうとするから失敗したのだ。具体的な「何か」に成り切ればよいのではいかと。
ロイエンタールは、着古して軟らかくなったシャツと無難な色のパンツを手に、階下にある乳兄弟の部屋を訪れた。

「卿、今日のコンセプトを教えてくれ」
約束の場所で顔を合わせた途端に、額を押さえたミッターマイヤーが訊ねた。銀縁の伊達眼鏡をかけたロイエンタールが、小さめのニットの袖を気にしながらそれに答える。
「大学院生だ。専攻は法学。弁護士を目指して目下勉強中だ。実家からの仕送りも絶えた、まあ、苦学生というところかな」
「ふ…ふうん……苦学生、なのか………」
恐らくは、親友とその乳兄弟との共同作品なのだろうが、元々が不遜で傲岸な人物に、いくら謙虚そうな服を着せてもちぐはぐさが際立つばかりである。
「そうか。では、社会の歪みと戦う敏腕弁護士になってくれよな」
「おう。俺は貧乏学生という設定だから、今日は卿の奢りでどうだ?」
「奢るのは吝かではないが、卿は決して貧乏学生には見えんな」
「そうかな?」
「どう割り引いてみても、道楽息子か不良学生にしか……」
鳩尾目掛けて繰り出された拳をかわしつつ、二人は懐かしの道を歩き、『Schweinestall』に向かった。

『Schweinestall』は記憶に寸分違わぬ店構えだった。まるで時が止まったような、そんな錯覚をさえ抱かせる。二人は案内されたのが、光の届きにくい一角であることに安堵し、木製の固い椅子に腰を落ち着けると、周囲の様子を静かに伺った。
「変わってないな」
「ああ」
「マスターも奥さんも、元気そうだな」
「ああ」
「この様子じゃ、気づかれていないみたいだな」
「ああ」
「『アイスバイン』も変わっていないといいな」
「ああ」
「卿、『ああ』以外言えないのか?!」
「言いたいことを、卿が皆言ってしまうからだ」
「そうか? それはすまん」
ミッターマイヤーは浮き立つ気持ちを抑えて、平静を装い目当てのものを注文した。「少し時間がかかりますが?」との若い女給に、構わないと返事をし、ついでにと軽くつまむものを頼んだ。そして、数年前と変わらない様子でワインリストを眺めているロイエンタールに声を掛けた。
「決まったか?」
食べ物はミッターマイヤー、酒はロイエンタールが彼らのいつもの分担だ。
「ん、いや」
「珍しいな。卿が迷うなんて」
「シュペトレーゼ・トロッケンがいいだろうとは思うのだが………、前も思ったが、ここは見たこともない銘柄が多いな」
「ほう? ワイン通のロイエンタール卿にも知らないことがあるんだな」
「誰がワイン通だ。俺は好きなものを知っているだけだ」
二人のやり取りを聞いていた女給が、クスリと笑って言葉を挟んできた。
「マスターがワイン好きで、各地から取り寄せているんです。滅多に他所では置いていないようなものもあるんですって。どれもハズレはないってマスターは胸を張って言ってるわ」
「そうか、ならどれにする?」
「旨ければ何でもいいさ」
「と、言うことだ」
その他の好みを伝え、和やかに女給と話をするロイエンタールを見ていたミッターマイヤーは、ふとこの光景を以前見たことがあるように感じた。しかし、それを口に出すのも何だか感傷的にすぎて躊躇っていると、
「不思議だな。前にもこんなことをしていたような気がする」
とロイエンタールが呟いたので、俺も今そう思っていたんだと応じた。
「ここに来て、卿と二人でいたのは覚えているのだが、どんな風に過ごしていたのかは、存外覚えていないものなのだな」
「そうだな。言われてみれば記憶に残っていない。お互い強かに酔っていたからかな?」
ビールを片手に笑い会う頃には、二人はかなりいい気分になっていた。

〈続く〉


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