セレナーデ(4)



レッケンドルフに時間を作ってくれるよう頼んだとき、ロイエンタールは決断していたわけではなかった。ただ、シンプルに考えるようにしただけだ。告げるか告げないか。あとは、決断するための材料を揃えるだけだ。そのためには敵情偵察は必要不可欠であるのだが、ここに理性ではどうしても御しがたい障壁があり、ロイエンタールを悩ませていた。
この気持ちを嫉妬と言うことはわかっている。何に対するものか、と言われれば、そこは深く突き詰めて考えたくはなかった。フラウに対してでも、ベルゲングリューンに向けたものだとしても、どちらにしても自分の狭量さに嫌気がさしてしまうから。
家に帰りたくない、ただそれだけの思いで出席したパーティーだった。レッケンドルフに、数ある招待状の中から最も堅苦しいものを選ばせた甲斐もあり、女っ気も少なく落ち着いた雰囲気だった。経団連会長と一頻り挨拶と陳情の後、ひっきりなしにハイネセンの実業家達がロイエンタールの前に現れた。そこで交わされた話のなかには、古い利権の復活を望むような眉をひそめるものもあったが、多くは旧弊を改めて、ハイネセンの経済状況を健全にしたいという、活力みなぎるものだった。まるで現実逃避のような気持ちで出席したパーティーだったが、意外に実のあるものになり、ロイエンタールに充実した心地よい疲労を感じさせていた。グラスを片手にテラスに出て少し休憩しようとしたとき、控えめに声が掛けられた。
「初めて御目にかかります、総督閣下。私ギルベルト・ハイドンと申します」
なんの変鉄もない挨拶だが、その言語がロイエンタールの気を引いた。ハイネセンではあまり耳にすることのない流暢な帝国語だ。
「卿は、帝国の人間か?」
ロイエンタールも同じく帝国語で返す。
「はい。昨日商用で此方に着いたばかりです」
「ほう、フェザーンから?」
商都フェザーンの資本が入ることは、ハイネセンの経済界にとって、相当な活性剤になるに違いない。だが同時に、貪欲なフェザーン商人の格好の餌食になる可能性もある。ロイエンタールは目の前にいる極平凡な礼服を纏った男に興味を持った。しかし話していくうちに、彼がロイエンタール個人にとっても、ただならぬ関係があることがわかってきた。
「はい。私の義弟は閣下の元で軍事査閲官を務めております」
「ベルゲングリューンか?!」
ロイエンタールは今朝覗き見たベルゲングリューンのメールを思い出した。
「彼とは相当長い付き合いになるが、家族のことなど聞いたことがなかったな」
帝都の様子を聞かせてほしいとハイドンをテラスに誘った。一頻り話を聞き終えたとき、そう切り出すと、
「男というものは、家庭のことなどあまり話題にせぬものでしょう。特に彼はそういうところは、シャイですから」
と、ハイドンは答える。
「シャイ、ね」
ロイエンタールは自らの伴侶に対する評を、興味深く聞いた。熱に浮かされたように愛の言葉を囁くベルゲングリューンに、シャイという表現が当てはまるのか、微妙なところだ。しかし、シャイが生来の性質なのだとすれば、彼は自分に対してだけは、照れを克服して物事が言えるのだろうか。
「ご両親はご健在なのかな?」
あえてなにも知らない風を装い訊ねてみる。
「義父は彼が十になるかならずかのときに、亡くなったそうです。義母は健在です」
「ほう」
「実は、この度私がハイネセンを訪れるのに、義母も同行していたのです」
「ん、そうなのか」
まさか、知っているとは言えないので曖昧に答えておく。
「ええ。気丈な人なのですが、最後になるかもしれないなどと言うもので………」
「最後?」
突然の物騒な言葉に、ロイエンタールは思わず詰問するような口調になる。
「はい。オーディンからハイネセンは遠ございますから」
確かに、軍人として宇宙を駆け回っていたロイエンタールにしても、オーディン・ハイネセン間は遠いと感じる。ましてや宇宙に出ることすら稀な一市民にとっては、覚悟が必要な距離だろう。
「最後、な」
突然の別れを迎えた場面なら、嫌というほど目にしてきた。もう一度会いたいと、微かな希望を胸に抱きながらの非業の死。久しぶりに実家に戻り、そのまま帰営しなかった兵士が幾人いたことか。
「それはなかなかに、悲壮なお覚悟ではないか………」
「大袈裟だとお思いでしょうか? しかし、義母はもう65でございます。此度の機を逃せば、万が一ということもあったかもしれません」
ロイエンタールは何か、胸に迫るようなものを感じた。そのような思いで此方に来たベルゲングリューンの母親に、会ってみたいと思った



6時を僅かに過ぎたとき、軽快なノックと共に姿を現したのは、レッケンドルフだった。
「お迎えに参りましたよ」
「迎えだと?」
あまりの早い時間に、ベルゲングリューンは卓上時計に目を遣った。
「もう終業時間は過ぎておりますよ」
やれやれという気配と共に、総督閣下の有能な副官殿は一歩一歩近づいてくる。
「閣下は?」
机の前まで来たレッケンドルフの手が、ベルゲングリューンが握りしめていたペンをそっと抜き取っていった。
「もうお帰りです。先ほどお屋敷にお送りして参りました」
「何?!」
「さ、私たちも早く行きましょう」
ベルゲングリューン付きの副官が、脇からそっと鞄を差し出した。
「卿、こちらのスタッフまで抱き込んであるのか?」
レッケンドルフはニヤリと人の悪い笑みを漏らした。ベルゲングリューンは、慎ましげな表の顔に隠れてはいるが、こちらが彼の本性であることを知っている。
「人聞きの悪いことを仰らないでください。小官はただ根回ししておいただけです」
どちらも同じだと、口の中だけで吐き捨てて、ベルゲングリューンはレッケンドルフに従った。
連れてこられたのは、煙がもくもくと立ち上る焼き鳥屋だった。
「一度来てみたかったんですよね」
レッケンドルフはそう言うと、軍服の上着を脱ぐと、手早く中表に畳んで膝元に置いた。ベルゲングリューンもそれに倣う。ブラウス姿になってしまうと、案外周囲に紛れられるものだった。
「それで、卿の用件は何だ?」
「単刀直入ですね」
お通しを摘まんでいたレッケンドルフは、ちょっと顔を上げてベルゲングリューンを見た。その顔には焦燥感がありありと見てとれる。
「勿体ぶらず、早く言ってくれ」
俯き勝ちにビールに口をつける悄然としたながら、
「俺はもう、愛想を尽かされたのだろうか」
と宣うベルゲングリューンの様子に、じっくりとからかってやろうと思っていたレッケンドルフは、予定を変更することにした。
「では、単刀直入に申しますが」
上目遣いに見上げる碧の目を見据え、レッケンドルフは言う。
「閣下のことを御母様に紹介されないのはなぜです?」
なぜそのことを、などというのは愚問だった。
「そのようなこと、言っていない」
「仰らなくても、そのようなに受け取られる素振りをお見せになったのではありませんか?」
「………………閣下を傷つける可能性のあることは、俺には………」
「隠さなければならないような関係だと思わせることも、かなり傷つけることだと思いますが」
はっとした表情で、ベルゲングリューンはレッケンドルフを見た。
「俺は、あの方のお心を傷つけた、のか?」
「さあ? でも、お悩みです。何故だかお分かりになりますか?」
「……………俺の気持ちを、疑っていらっしゃるからか?」
ジョッキに手をかけたまま、深く深く項垂れるベルゲングリューンに、はぁ、とこれ見よがしにレッケンドルフは嘆息して見せた。
「査閲官は、閣下のお気持ちを疑われるのですね」
「え?」
何を言われたのか、理解しきれぬらしき碧の目がレッケンドルフを見上げてくる。
「閣下は査閲官のことを、微塵もお疑いではありませんよ、多分」
「………」
「閣下は信じていらっしゃいますよ。あなたのことも、ご自分のあなたへの思いも」
「俺への、思い………」
言葉が十分に心の底に届くまで、レッケンドルフはビールを飲み運ばれてきた焼鳥を頬張って待つ。
「閣下は………閣下が俺のことを………」
空になったジョッキを名残惜しげに眺めながら、「だから」と言葉を継いだ。
「お悩みなのですよ、閣下もあなたを想っていらっしゃるから、あなたのために何をすべきかと」
「閣下が、俺のために………」
レッケンドルフはベルゲングリューンの手から、ジョッキを奪い取った。
「おい! 何をするんだ?!」
「タイムオーバーです」
温くなったビールに口をつけ、レッケンドルフは目を白黒させている、彼から見れば非常に羨ましい限りの男に、指を突きつけた。
「今から直ぐにお屋敷にお戻りなさい」
「お、俺はまだ何も食ってないぞ」
「食べなかったのは査閲官でしょう? 私は十分にいただきました。それに、もう頃合いだと思うんですよね」
「頃合い?」
「ええ。閣下はお帰りになってすぐにお母様に会っていらっしゃるはずです」
ベルゲングリューンは首を捻って壁の時計を見た。
「お話はもう済んでいる時分だと思いますよ。どちらに転んだとしても、ここがあなたの出番です。いえ、今行かなければ一生後悔なさると思うんですよね」
レッケンドルフの言葉の終わらぬうちに、ベルゲングリューンは立ち上がった。財布から紙幣を数枚取り出し机に置くと、慌ただしく立ち上がった。
「恩に着る」
暖簾を潜って広い背中が出ていくのを見送った。
「昔気質なのは、あなたのほうなんですよ、ベルゲングリューン軍事査閲官閣下………」
昨日の昼のことを思い出して、レッケンドルフはクスリと笑った。それはロイエンタールの礼服を受け取りにいった時のことである。彼はその時フラウ・ベルゲングリューンに会った。いや、会うために態々高級副官である彼が出掛けていったのだ。
彼の敬愛する上官と、最も信頼する朋輩の関係は、無責任に広められれば現体制を揺るがすスキャンダルになりかねない。そのような点においてはまるっきり無頓着な上官に代わり、レッケンドルフは確かめておかなくてはならなかったのだ。ベリンダ・ベルゲングリューンという人物を。
平日の昼下がり、ベリンダはロイエンタール家の使用人たちに混じって何やら作業をしていた。もうすっかり顔馴染みになった使用人たちは、レッケンドルフの顔を見ると手を止めて、お茶の用意を始めた。そんなに時間はないのですがと、断りながらも、彼から旦那様の話を聞くことを楽しみにしているらしい彼女らの期待に応えることは、レッケンドルフにとっても楽しい時間だった。それに、ベリンダもささやかな茶会に加わるので、いろいろと好都合だった。この日の話題は専らベルゲングリューンだった。勿論そこにベリンダがいるからだが、屋敷では旦那様に甘い顔しかしない旦那様の大切な人の、職場での堅物ぶりの話は、彼女らのお気に入りだった。
そのとき、会話の合間を縫ってベリンダはレッケンドルフに言ったのだ。
ーー早くに亡くなった父親に代わってと、あの子に教育してきたのだけれども、堅物な父親によく似た子に、父親の堅物な考えを教えてしまったみたい。子供の頃は、そこが可愛くてよくからかっていたのだけれど、大人になってそれでは、皆さんご苦労されているわね。
困ったことだという口振りの中に、それでも息子への愛情が感じられた。
レッケンドルフはロイエンタールの礼服を受けとると、直ぐに暇乞いをした。
そして思った。自分のすべきことは、ただ二人を見守ることだけだ、と。


<続く>



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