セレナーデ(3)




上等なリネンにくるまって、ベリンダは今日一日のことを思った。戦場を職場とし、人を殺すことを生業としてきた息子が、自分の知っているハンスのままでいるのかどうか不安だった。亡き夫の気質を、ベリンダが愛した夫の面影を受け継ぐ息子には、早くに亡くなった夫の分も幸せになってほしかった。見合いの話は単なる口実。今は旧都となったオーディンから遙々出掛けてくるためには、ベリンダ自身にも理由が必要だったのだ。
新領土の軍事査閲官。人から聞いてはいたが、自分の目で見ても息子の地位はベリンダには想像もつかないものだった。そして、その息子がまるで信仰のように仰いでいるロイエンタール元帥。今自分がその宇宙第二位の人物の元に身を寄せているなど、まるで現実味がない。ハイネセンに足を踏み入れてから今まで、ずっと夢でも見ているような、そんな感じがした。
慣れない環境に気が高ぶっているのか、ベリンダはなかなか寝付けなかった。こんなことなら、もう少しハンスと話を続けていればよかったと思う。恋人がいるのかどうかを訊いたとき、ハンスはヤーともナインとも答えなかった。明らかに見てとれる躊躇を顔に浮かべた後、「母さんも疲れているだろう」と絞り出すような声で言われたのだ。もういい年をした息子だ。恋人がいると言うことを照れるなんてことはないとは思うのだけれども。いなければいないと言えばいいだけで、答えを躊躇う理由がわからない。まさか、道に外れた恋愛をしているとでもいうのだろうか? ハンスに限ってそのようなことはないと思うが、恋は慮外とも言うし………。
まんじりともせず、布団に横たわっていたベリンダの耳に、微かな喧騒が届いた。この家の主が帰宅したのだろう。こんなにお世話になっているのだから、ご挨拶しなければと思うが、今晩はもう常識を逸した時間であった。明日の朝、息子の敬愛する上司に会えることを楽しみに、ベリンダは眠りにつけるように目を瞑った。



翌日は一日中ロイエンタールに会えなかった。朝は、ベルゲングリューンがいつもの時間に食堂に下りていくと、ロイエンタールは既に邸を出たと言うし、日中は総督府に惹かれて止まない秀麗な姿を見掛けることはなかった。
「閣下は?」
痺れを切らして総督室のスタッフルームで秘書官の一人を捕まえて、その所在を尋ねると、
「今日は一日外に出られていて、戻られません」
という。聞いていないとは思うが、視察旅行から戻られてからの経緯を振り返ると、それも仕方がないことかとも思う。
そして次の日の今日、どこが急ぎなのか理解に苦しむどうでもいいような書類の山を決済し、ベルゲングリューンが総督室を訪れたときは、もう昼近くになっていた。
「閣下にお会いしたい」
 ベルゲングリューンとはいえ、総督であるロイエンタールに面会するためには、前室を通らなければならない。いつもならばほとんど顔パスで通してもらえるが、この日は違っていた。
「これは軍事査閲官、いかがなさいましたか?」
 彼の前に立ちはだかったのは、副官のレッケンドルフ准将だった。
「今朝の書類、卿の指示らしいな」
「はい、急いで処理なさった方がよいだろうと判断したものですから」
「あのような書類の何が急ぎだ! それより、閣下にお会いしたい」
「ご用件は? アポイントメントはお取りではなさそうですが」
「卿・・・・・・」
 ベルゲングリューンは昨日からの擦れ違いが、単なる偶然ではなかったことを確信した。
「何を企んでいる?」
 地を這うような声の冷たさに、前室の秘書官たちは肝を冷やした。あまりに普段と違うベルゲングリューンの様子である。それを嘲笑うかのように、
「企んでるなど、人聞きの悪いことを仰らないでください」
とレッケンドルフが殊更に朗らかにきあかさたな受ける。
「誤魔化すな!」
「とにかく、ここをお通しすることはできません」
「何!」
「閣下がそれをお望みだからです」
「えっ?!」
 思いもしなかった言葉にたじろいだベルゲングリューンの腕を取り、レッケンドルフは彼を壁際に連れていった。
「小官から提督にお話ししたいことがあります。今晩お時間よろしいですね?」
「今晩・・・・・・。それも閣下が望んでおられるのか?」
「はい。ですが、お話ししたいのは小官の本心です」
「そうか・・・・・・」
 ロイエンタールが自分を避けている。その事実がベルゲングリューンをいたく打ちのめした。力なく肩を落とした背中が扉の向こうに消えた。
「私は、羨ましいですけどねぇ」
その後ろ姿をレッケンドルフは静かに見送った。



 一昨日の終業時刻に、ロイエンタールから、「今晩どうだ?」と誘われたところから事は始まる。
「どうかなさったのですか?」
昼間の様子からそんなふうに聞くと、
「いや、久しぶりにどうかと思ってな」
と、ますますおかしい。
「久しぶりって、昨日まで20日ほどもずっとずっとご一緒させていただいていましたが?」
「ああ、そうだったか……。では」
「喜んで」
「ん?」
何かあるのは明白だった。そして、自分を頼ってくれたことが、レッケンドルフは嬉しかった。
「閣下のお誘いを、小官が断ろうはずはございません」
この方の力になりたい。
レッケンドルフは込み入った話があることを予想して、個室のあるレストランを予約した。
ロイエンタールのハイネセンでの交遊関係はそう広くない。それは自身の立場を配慮してのこともあるし、ハイネセンに足を踏み入れてから以来、彼にプライベートな付き合い自体が存在しないことが大きい。したがって、仕事抜きの話ができる相手など限られており、更にお互いに遠慮なく話せる相手となると、極めて限られていた。その中でもレッケンドルフは付き合いも長く年も近いので、時々こうして誘われるときがある。他愛のないことに花を咲かせることがほとんどだが、極稀に相談事を打ち明けられることもある。総督としての職責に関わるようなことではない。ロイエンタールは思慮分別のある果断に富んだ独裁者である。迷いや悩みがあれば、それだけの調査なり検討なりをして決断できる才幹の持ち主だ。その彼が答えを出せない事柄となると、私的も私的、彼のパートナーのことで間違いない。
食事が運ばれてきても、グラスを一つ開けても、何も言い出さない様子に出ることすらレッケンドルフは少し水を向けてみることにした。
「査閲官と、何かおありになったのですか?」
「ん………」
チラリとこちらに向けられた色違いの眼に、微かな躊躇いの色が見てとれる。
「喧嘩でもなさいましたか?」
「喧嘩など、しない」
「そうですね。閣下と査閲官では喧嘩になりようがありませんものね」
「………」
「でも、何かお悩みなのでしょう?」
「………」
「求められ過ぎてきつい、とか?」
「俺はまだ、そんな年じゃない」
そこは否定しないんだ、とレッケンドルフは心の中でツッコミを入れ、核心に迫る。
「仲がおよろしいのは結構なことですが、それでは何を悩んでいらっしゃるのですか?」
ロイエンタールは、漸く重い口を開き、今朝からの出来事について語りだした。その内容はレッケンドルフからすれば、ノロケ以外のなにものでもなかったが、珍しく彼の上官が私的なことを真剣に考えているらしいので、こちらも真剣に聞いておくことにした。
「で、どうなさるおつもりですか?」
「んん………」
語り終え乾いた唇を酒で潤し、ロイエンタールは何やら考える素振りを見せた。
「私にできることでしたら、何なりと仰ってくださいね」
レッケンドルフは思う。閣下は女に、それも「母親」というものに異常なほどの拘りを持っている。原因などはっきりとは知らないが、幼い頃に何かがあったのだとは予想がつく。「母親」に拒絶されること、大切なものを「女」に奪われることを閣下は恐れているに違いないのだ。ベルゲングリューンが母か「妻」かを選ばなければならなくなったときには、迷いなく「妻」をとるだろうことは火を見るより明らかである。それは、閣下もわかっていることは、言葉の節々からも伺え、だからこそレッケンドルフはノロケを聞かされたような気分にもなっているのだが、それなのに迷いがあるというのは、閣下がそれだけベルゲングリューンを大事に思っているかを表すわけで………。
「レッケンドルフ、時間がほしい。手を貸してくれるか?」
何やら決断したのだろう、ロイエンタールからキッパリとした言葉を聞いた。
「はい。どのようにいたしましょう?」
その後細々とした打ち合わせをし、翌日ベルゲングリューンと顔を会わさないようロイエンタールの予定を立てなおした。夜も招待状が届いている中から適当なパーティーを選んで、出席することにした。
突然の新領土総督の出現に、パーティーの主宰者は腰が抜けるほど驚いていた。しかし、そこは流石はハイネセン経団連、さもかねてからの予定のように、ロイエンタールを迎え入れた。パーティー後、レッケンドルフはロイエンタールを邸に送り届ける途中、 ロイエンタールがポツリと漏らした。
「明日の朝、フラウにお会いしてみようと思う」
このパーティーで何か思うところがあったのだろうか。何があったかまではわからないが、一歩閣下は踏み出そうと決心なさったようだった。
「そうですか、では、査閲官はいかがなさいます?」
ロイエンタールはアルコール濃度の高い溜め息を一つついた。
「ベルゲングリューンはいない方がいい」
「わかりました。では緊急の用を作り、朝早く出ていただきましょう。ですが、閣下……」
レッケンドルフにとって、最も優先すべきはロイエンタールである。しかし、ベルゲングリューンも苦楽を共にした戦友だ。余りにロイエンタールが彼を避けるので、少し彼の肩を持ちたくなる。
「なぜそこまで査閲官をお避けになるのですか?」
バックミラー越しに地上車の後部座席を見る。ロイエンタールは車窓から流れる夜景を眺めていた。
「奴がいれば、つけもせぬ嘘をつこうとするだろう。俺はそんなベルゲングリューンは見たくない」
生真面目すぎて冗談口一つ叩けない人だ。自らとロイエンタールとの関係を明らかにしないなら、ベルゲングリューンは母親を誤魔化そうとすることは必定だ。それは、レッケンドルフにも容易に想像がついてしまう。つまりだ。閣下は惚れた男のみっともない姿は見たくない、ということなのだろう。
「それに………」
「それに?」
「いや、何でもない」
俯き勝ちに寂しそうに笑うロイエンタールに、レッケンドルフは胸が締め付けられるように感じた。もし、とレッケンドルフは思う。もし、ベルゲングリューンの母親がロイエンタールの存在を拒絶し、ベルゲングリューンが母親を選んだとしたら、その時は、自分がこの方の受け皿になろうと。
「閣下」
「ん?」
「如何なることがありましょうとも、小官は閣下と共にありますから」
レッケンドルフにすれば、それが精一杯の告白であった。しかし、余人を受け入れる隙間を持たないロイエンタールは、ただ、
「ああ、そうだな」
と返すのみであった。


<続く>



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