セレナーデ(2)



宣言通り、ベルゲングリューンを残してロイエンタールは出仕していった。濃紺のマントが視界から消えるまで見送ると、今日、これからのことを思い肩を落とすベルゲングリューンに、控え目な声が掛けられた。
「提督、こちらにはご遠慮は無用です。さあ、そろそろお出掛けになりませんと、お母様がターミナルに到着されてしまいます」
意地を張って身につけた軍服だが、さすがに民間用ターミナルでは目立ってしまう。元帥服のまま奥方を宙港まで迎えにいった方もいたらしいが、あの方は色々な意味で特別だ。同じことなど出来はしない。センスがないとロイエンタールにからかわれる私服に着替え、重い足を引きずってターミナルへと向かった。
ターミナルは多くの人でごった返していた。人とモノの流れを良くすることは、ハイネセンの繁栄に繋がる。マンパワーの落ちたハイネセンにビジネスチャンスを見出だし、多くの人々がここを訪れるようになった。総督府の施策が少しずつ効果を顕し始めている証拠だ。
「ハンス!!」
「わっ!」
物思いに耽っていたとはいえ、軍人たるもの後ろをとられるとは不覚も甚だしい。思わず渋い顔になる。
「難しい顔しちゃって、迎えに来てくれたの?」
振り返るとそこには約5年ぶりの母の姿があった。
「元気そうだな」
少し髪に白いものが増えたかとは思ったが、最後に会ったときと余り印象の変わらない母の姿だ。
「元気よ! ほらこの通り。孫の面倒もみなきゃいけないし、まだまだ弱ってなんていられないわ!」
小柄な母が胸を張る。本当に昔のままだ。しかし、いきなりの地雷をそれとなくかわして、隣にいる義兄に挨拶をする。
「義兄さんもお久しぶりです。此度は仕事の関係とか?」
「ああ、ハイネセンに支店が出せないかどうかと、その視察だね。またその方面でも頼むよ」
「力になれることなら喜んで」
このまま、顔を出さなければならないところがあると言う義兄と別れた。実の母とはいえ、いやだからこそか二人きりになると気まずい。そんなベルゲングリューンの気持ちを知ってか知らずか、ベリンダは陽気に話続ける。
「そうそう、ハンスが迎えに来てくれなかったら総督府に行こうかって今話していたの」
「な?!」
「だってお前、住所も何も知らせてこないんだからしょうがないじゃない」
「………………」
これは閣下に感謝だなと、思わぬ危機を回避できたことに胸を撫で下ろした。
それから、母を連れてハイネセンの名所なを何ヵ所か巡った。しかし、どんなに先送りしようとしても、最後に案内すべき場所が変わるわけではない。ベルゲングリューンは母親をロイエンタール邸に案内するしかなかった。


「少し休憩なさいませんか?」
芳しい香りに顔をあげると、タイミングを見計らったように、コーヒーが机に乗せられた。
「余り根を詰められませんよう。昨日お戻りになったばかりなのですから」
それにきっと寝不足だということは、ロイエンタールの顔色を読み慣れたレッケンドルフにははっきりとわかる。お疲れのこの方を、大人げなく苛んだであろう髭の男に、心の中で悪態をつきつつ、視察先で購入した菓子をそっと差し出す。
「疲れているときには、甘いものと言いますので」
ロイエンタールはその菓子を摘まむとぽんと口に放り込んだ。その様子からレッケンドルフは心ここに在らずだなと見てとった。ロイエンタールは立ち上がり窓の外を見た。ホテル・ユーフォニアのスイートルームであったこの場所は、ハイネセンポリスが一望できる。今このどこかにあの男がいるのだろう。
「レッケンドルフ、卿も休むがいい」
一人になって、考えたいことがあった。
「母親か………」
ロイエンタールは「母親」というものに、歪んだ感情を抱いていた。「いた」というのは、彼も多くの人生経験を積み、一般的な母親と言うものを想像できるし、自らの思いもある程度昇華できていると思うからだ。ロイエンタールは今朝のベッドの中のベルゲングリューンの様子を思い出していた。そして、彼の当惑の原因を、ロイエンタールは正確に理解しているつもりだった。『昔気質の帝国女』という表現からも、その正しさは裏付けられるだろう。
ーー能動と受動の固定化した関係。
ベルゲングリューンのロイエンタールに対する姿勢は一貫している。ロイエンタールを一番に考え、ロイエンタールの為になることを率先してし、常にロイエンタールを傷つけぬように心を砕いている。今回のことも、彼が傷つくと思うからこそ、躊躇するのだろう。
ロイエンタールはベルゲングリューンとの結婚を、少しも恥ずかしいとは思っていない。それはまあ、あの髭の男に組み敷かれ善がっているところなどは、他人に知られたくはないのは確かだ。しかし、世間のしがらみとやらさえなければ、男同士であろうと何であろうと、最良のパートナーに違いない。この気持ちは、ベルゲングリューンとて、同じはずだ。なのに、ベルゲングリューンは二人の関係を母親に告げることを躊躇う。それはひとえに彼がロイエンタールを思うからだ。母親が二人の関係を受け入れなかった場合、非難の矛先は、彼の上司であり、彼を籠絡した不届きな男であるロイエンタールに向けられるに違いないのだ。
ロイエンタールにベルゲングリューンの思いは痛いほどわかる。だからこそ、今回は自分が動かなければならないと思った。
「たとえ受け入れられずとも………、いや」
幾多の戦場を潜ってきたロイエンタールは、若い兵士が最期の時に母親を呼ぶ光景を何度も見てきた。自分のせいで彼がその大切な存在を失うことは忍びない。
「どうしたものかな………」
優秀な新領土総督の頭脳をもってしても、この答えは容易に出そうになかった。


「まあ、ハンス、あなたこんな立派な所に住んでいるの?」
ロイエンタール邸の門構えを見、ベリンダは口をポカンと開けて言った。
「ここは総督閣下のお屋敷で、俺はここの一間をお借りしている」
ここで疑問を挟まれては、言い訳に困るのだが、ベリンダは
「総督閣下の身辺警護も兼ねているのね」
と、都合よく解釈してくれたようだ。たっぷりとあるアプローチを歩き、玄関の呼び鈴を鳴らすと、執事のワグナーが顔を迎えてくれた。
「これはこれは、フラウ・ベルゲングリューン。遠いところをよく来てくださいました」
ワグナーはベルゲングリューンの私室の隣に部屋を用意してくれていた。普段は使っていない部屋だが、そんなことは微塵も感じさせないほどに、整えられている。ベリンダはそこらのホテルなどよりも、豪華な部屋に目を白黒させた。
「どうぞ、ご自由にお使いください。何かありましたら、ご遠慮なくお申し付けくださいますよう」
二人を残して退出しようとしたワグナーが、そうそうと思い出したように振り向いた。
「今晩は、主人は帰りが遅くなるとのことです」

ワグナーが気を利かせてくれ、夕食はベリンダの部屋でとることになった。一度に運び込まれた料理を見て、ベリンダはひどく恐縮したが、これが普段通りなのだと言うと、また驚いていた。
ベリンダの関心は自然とこの家の当主ロイエンタールに向かう。帝国軍の双璧と名高いロイエンタール。新領土総督として、宇宙第二位の地位を持ち、皇帝からの信任のあついロイエンタール。そんな帝国国民なら誰でも知っていることなど、ベリンダは知りたいわけではなかった。ベリンダが知りたいのは、そのロイエンタールがなぜここまでの待遇でベルゲングリューンを傍に置くのかということだ。
「お前、悪いことをしてるんじゃないでしょうね?」
「何? 共犯者だから俺は厚遇されているというのか? 馬鹿馬鹿しい。閣下はああ見えて、汚職とか不正とかには厳しい方だ」
ベルゲングリューンの余りの剣幕に、ベリンダは相変わらずの石頭ぶりだと笑った。 夫を早く亡くし、女手一つで三人の子を育てた母は、成りは小さいが肝っ玉の据わった女だ。しかも、父親のいない寂しさを露ほども感じさせないほど、明るい母親だった。生真面目な父親の気質を受け継いだベルゲングリューンは、幼い頃からよくからかわれては笑われていた。
「相変わらずね、ハンス」
「母さん………」
それで、本当のところはどうなのと続けられ、ベルゲングリューンは言葉を詰まらせた。
自分とロイエンタールの関係を打ち明けるなら今なのだろう。しかし、この母が、男同士の婚姻にどう反応するのかわからない。自分の母のことながら、長らく会っていなかったこともある。自分の不用意な発言が原因で、ロイエンタールを窮地に立たせるようなことがあってはならない。いや、窮地などと大袈裟なことだけではない。ベルゲングリューンはロイエンタールに負の感情を、それがどんなに小さなものであろうとも、向けられるのは許せなかった。
ーー俺は、あの方を守ると誓ったんだ。
「ロイエンタール閣下は大切な方だ。閣下をお守りするためにお側にいる。それだけだ」
それに、これは特別ではない。ロイエンタールにとっては「普通」なのだと言えば、「まあ贅沢なことねえ」と、その貴族的な暮らしぶりにチクリと非難めいた言葉を発した。ロイエンタール大事なベルゲングリューンにはそれすら聞き流せない。
「それは違う。母さん、ここの使用人はみんな、閣下にとっては家族みたいなものなんだ」
「はいはい。あなたにとってロイエンタール閣下が大切なのは、よーっくわかりました。じゃあ、もうそろそろ聞かせてもらおうかしら?」
「え? 何を?」
ロイエンタールを擁護することに必死になっていたベルゲングリューンは、一瞬虚を突かれたようだった。
「好い人、いるの? いないの?」


<続く>




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