escape(2)



ラフな格好に着替えたロイエンタールは、歳よりも若く見える。軍服姿も凛々しくて素敵だが、あまり見ない寛いだ姿も綺麗だな、とランベンツは不躾にもロイエンタールに見とれてしまった。
「さあ、行くぞ」
急かされて官舎を出ると、そのまま車を拾い車中の人になる。
「行き先は決まったか?」
自動運転のパネルを操作しながら、ロイエンタールは問い掛けた。
「グゥー」
ランベンツが返事をするよりも早く、腹の虫が鳴った。真っ赤になって俯く可愛い従卒に、自然と笑みがこぼれてしまう。
「悪かった、ランベンツ。昼食が先だな。何処がいい?」
何処がいいと聞かれても、幼年学校生が行くような所は限られている。お前がいつも行っているところでいいからと急かされて、ランベンツは仕方なく馴染みのハンバーガーショップの名前を挙げた。

ハンバーガーとロイエンタールという取り合わせがあまりにも珍しく、ランベンツは空腹も忘れてぼんやりと見とれていた。
「何をしている? 腹が減っているんだろう? 遠慮せず早く食え」
ファーストフード店特有の小さなテーブルも悪かった。こんなに間近で閣下と向き合って座るなんて、心臓に悪すぎる。
「閣下がハンバーガーを召し上がっているのが、なんだか変な感じです」
居心地の悪さを誤魔化すように言うと、ロイエンタールが微かに笑った。
「尉官の頃はよく来たさ。ミッターマイヤーが好きだったからな。新商品が出たといっては、連れていかれた」
「そうなんですか」
若き日の双璧が、ハンバーガーショップにいる風景を思い描こうとしたが、うまくいかなかった。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
手元が陰ったかと思うと、もう何度目かわからない店員さんがいた。昼時とはいえ平日の今日は、何時もより暇なのだろうか、なんだかサービスが格段にいい。セルフサービスとは思えないくらい、あれこれと細かな気遣いをしてくれる。しかし、それも度を超せば煩わしくなる。
「行くところは決まったのか?」
「はい。閣下」
また様子を伺いに来た店員にトレーを押し付けるようにして、二人は店を後にした。

快速急行で乗り換えなしで30分。ロイエンタールとランベンツは潮風の香る海辺の駅に立っていた。水族館なんて、と思ったがロイエンタールの「行ったことがない」の一言で決まった。
最近出来たばかりのこの水族館は、オーディン最大の水槽を有し、珍しい巨大魚を飼育していることで話題になっている。ランベンツも、早速行ってきたんだ、と自慢げな同級生の話を聞き、いつか行ってみたいと思っていたのだ。平日だと人出も少ないだろうし、薄暗い建物の中では、流石のロイエンタールも目立たなくなるだろう。子供なりに知恵を絞っての選択だったのだが、それでもせっかくだから閣下にも楽しんでもらいたい。ランベンツは入館券を買うロイエンタールの後ろに、緊張した面持ちで控えていた。
ランベンツの心配は杞憂に終わった。
子ども向きの展示は、足早に通りすぎたものの、看板の大水槽の前まで来ると、ロイエンタールの足はピタリと止まった。悠々と泳ぐ大小の魚を見上げ、息を飲む様子が伝わってきた。無言で暫しの時を過ごした後、はっとしたようにランベンツを振り返った。
「次、行きますか?」
「ああ」
少し気まずそうに頷いた閣下に、ランベンツは気をよくした。閣下が楽しんでいらっしゃる。そう思えば気持ちも軽くなり、自身も初めての場所を楽しむ余裕も出てきた。二人は特に言葉を交わすでもなく、静かにこの時間を満喫した。

少し開けたところに出てきた。実はこの先にランベンツ達幼年学校生で、密かに話題になっている場所がある。この水族館のもうひとつの売りに、巨大海獣によるショーがあるのだが、そこに登場する一頭の背中に、人の顔が浮かび上がるというのだ。真しやかな噂の出所は、今となっては定かでないが、顔が確かに見えたとか、見えないとか、副校長先生の顔に似ているとか言われると、まだまだ子供のランベンツだから、せっかくの機会だし、見てみたい気持ちも強い。しかし、今はロイエンタールをエスコートするという任務もある。後ろ髪を引かれつつもその場を去ろうとした時に、遠くから彼を呼ぶ声がしたような気がした。
「おーい! ランベンツ! ランベンツだろ?」
慌てて回りを見ると、少し離れたところに見知った顔があった。目が合うと「やっぱりそうだった」と小突き合いながら駆けてくるのは、3人のクラスメイト。
「驚いたよ、こんなところで会うんだもん」
「そうだよ。一緒にと思って部屋に誘いに行ったら、出掛けたって言われたからさ」
口々に話すクラスメイトは、一頻り話し終わると、漸く彼の連れの存在に気付いた。ランベンツとしては、気付かずにそおっとしておいてほしかったのだが、水族館に一人で来ているはずもなく、いずれ尋ねられる質問ではあったのだが。私服姿のロイエンタールを、ランベンツの親戚か何かと思った同級生達は、「僕達、ランベンツの同級生で………」と挨拶しようとして、言葉を詰まらせた。紛れもない金銀妖瞳。帝国軍の双璧の一人、ロイエンタール上級大将の際立った特徴は隠しようがなかった。
弾かれたように敬礼しようとした同級生を、ランベンツは大急ぎで押し止めた。そこまでされて何も気づかない彼らではない。なにか事情があるのだと見当をつけ、直立不動の姿勢でロイエンタールの言葉を待った。
「そうか、ランベンツの友人か」
「はい」
ロイエンタールはランベンツを見た。この先の展開を案じて、ソワソワしている様子が、年相応に見えて可愛らしい。そういえば、彼のために休日にしたのに、結果彼に相当な負担を与えてしまった。
「ランベルツ、せっかくだから友人達と遊んでくるがいい」
「あ、いえ、閣下おひとりをおいていくわけには参りません」
長く一緒にいるからか、口調がベルゲングリューンそのままだ。ククッと笑ったロイエンタールを不思議そうに見上げた子供達に、ロイエンタールは口調を改めた。
「いや、お前は彼等と遊んでこい。その間俺はそこらで休んでいる。これは命令だ」
ベルゲングリューンやレッケンドルフにもよく使う手だ。ランベルツはハッとした顔で一瞬なにかを考える風だったが、
「はい。では一時間程でお迎えに上がります」
と言い切った。僅かな時間でよく教育された優秀な従卒に、「もっとゆっくりしてきてもいいんだぞ」と言いおいて、ロイエンタールは子供達に背を向けた。

「いいのか?」
「いいんだ。あんまり畏縮して閣下のご厚意まで受けないでいると、却ってお叱りを受けるから」
さあ行こう、と促せば子供達の意識はこの先にある海獣ショーに切り替わる。良い席を取らなくちゃ、と一人が言い出すと、我先にと駆け出した。
結局、噂の人面は見ることが出来なかった。しかし、そんなことは最初からなかったかのように、彼らの話題はランベルツの上官になっていた。
「もっと怖い人だと思っていた」
「怖くはないよ。とってもお優しい方だよ。厳しくはあるけれど」
「かっこよかった」
「うん、凄く綺麗な人だった」
「そうそう、綺麗。あんな綺麗な人、俺見たことないよ」
「あんな人に僕もお仕えしたいなぁ」
「僕も」
普段、偏見や中傷に晒されることの多い彼の自慢の上官を、これでもかと誉められて、ランベルツは鼻が高かった。

ランベルツを見送った後、ロイエンタールはすぐそこにあったカフェに入り、海に面したテラスの席に陣取った。潮風が心地よい。疲れた体はアルコールを欲したので、黒ビールを注文した。よく冷えたビールは、乾いた喉を潤してくれる。炭酸の刺すような刺激が心地よい。少し傾いた太陽が、海面にキラキラと乱反射している。
ーーしかし、水族館か………。
ランベルツから行き先を告げられたとき、正直煩わしいものから逃げられるのなら何処でもいいという気持ちだった。魚なんぞを見て何が楽しいのか、とそんなことさえ思っていた。だが、予想は良い方に裏切られた。
まず、あの大水槽。大小の魚たちが悠然と泳ぐ姿。まるで自分が海中にいるかのような錯覚さえ覚える、そんな不思議な感覚。日常とは隔絶した世界に、暫し我を忘れて見いってしまった。これが癒されるということなのか、無感情な魚の目に晒されていると、心の奥底に溜まった澱のようなものさえも溶け出して、体が軽くなったような気さえする。傍にいる彼の存在も忘れて、夢中になっているいい年の大人を見て、ランベルツがどう思ったかを考えると、恥ずかしくはある。しかし、その後楽しそうに水族館を見て回るランベルツを見れば、お互いのためによい『休日』になったと思う。
ーー「休日」といえば、「休日出勤」に付き合わせていた、あの二人はどうしただろう。
気持ちに余裕が出来たからか、上官の彼を椅子に縛り付け、仕事漬けにさせた部下を案じる心が自然に起きた。ロイエンタールは電源を切っていた携帯を手に取り、着信を確認した。昼前後はそれこそ5分おきの着信が、その後はきっかり30分間隔になっている。もう少し、このままでいたいと再び電源を落とした。
物思いに更けていた間にすっかり汗をかいたグラスを持ち上げ、一気に残りのビールを煽った。昨晩の徹夜のせいか、僅かなアルコールに眠気が押し寄せてくる。のたりのたりと穏やかに揺れる海面のせいでもあるに違いない。落ちてくる瞼の重さに抗えず、ロイエンタールは頬杖をついて目を閉じた。

一頻り友人達との遊びに満足したランベルツは、友人達には先に帰ってもらうように頼み、一人ロイエンタールを探した。そして、人目につかないテラスの片隅にその姿を認め、固まってしまった。
ーー誰なんだ?
彼の大切な上官が、見知らぬ人と手を握りあっている。
ランベルツの硬直を解いたのは、他でもないロイエンタールだった。背中を見せているにも関わらず、感じる険悪なまでの負のオーラ。彼は出来る限り穏やかに、窮地に陥っていると思しき上官を救出する方策がを練り始めた。

〈続く〉


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