巴里書房【sian】
01

 ――午前7時。
(PiPiPiPi……)
 微かな電子音に、千秋はぱっちり目を覚ました。スマホのアラームを止め、ベッドから出ると直ぐさま制服に着替え始める。
 着替え終わると洗面所に直行、身支度を整えるとキッチンに向かった。キッチンに立ち、昨日の残り物でお弁当と簡単な朝食を二人分用意すると、
「よしっ」
 満足気に笑う。

 時間にして、この間、30分弱。この恐ろしく目覚めがよく、手際もいい少年は仙道千秋(せんどうちあき)、18歳。
 千秋は都立高校に通う高校三年生で、母方の叔父にあたる久遠の元で居候をしていた。久遠は『久遠真司(くどうしんじ)探偵事務所』を営む私立探偵で、千秋と違って朝が滅法弱い。
「さて、と。起こしに行くとしますか」
 配膳を済ませ、気合いを入れ直すと、千秋は久遠の部屋へ向かった。

 久遠家は一階が探偵事務所、二階、三階が住居になっていて、千秋はダイニングキッチンやリビング、ユニットバスのある二階の空き部屋を間借りしている。三階には久遠の部屋や書斎があって、こちらは久遠の完全なプライベート空間になっていた。
 三階に上がると直ぐ、けたたましい音が聞こえて来た。どうしてこれで起きられないのか不思議に思いながら、千秋は久遠の部屋へ向かう。
「真司さん、朝ですよー」
「……」
 ドアを開け、声を上げるだけでは当然のように返事はない。耳をつんざく音を撒き散らす目覚まし時計のアラームを止め、ベッドの真ん中で布団を纏ったこんもりとした膨らみに溜息をつく。
「真司さんってば、起きてくださいよー」
「…………」
 当然、千秋が軽く揺すったぐらいでは目は覚めない。
「……おじ様。早く起きないと子供たち全部捨てちゃいますよ?」
 最後の手段とばかりに布団を剥ぎ、久遠の耳元でお決まりの少し物騒な台詞を口にすると、
「おはよう!千秋くん!」
 素晴らしくいい朝の挨拶とともに、久遠はがばっと身を起こした。

 久遠真司、36歳。

 久遠は警視庁の捜査一課に所属していた元刑事で、ちょうど一年前に退職し、一念発起して『久遠真司探偵事務所』を立ち上げた私立探偵だ。私立探偵と言っても特にこれと言った資格を必要としないため、久遠は刑事時代の経験を活かして依頼の調査にあたっている。
 その依頼の大半は迷子のペットの捜索や素行調査、浮気調査のような類の簡単なものだったが、高級住宅街の一画に事務所を構えているため、それなりの実入りがあった。依頼や調査の料金はそんなに高くはなかったが、セレブのマダムはとにかく謝礼を弾んでくれるのだ。
 迷い猫を捜し出せば我が子の命の恩人だとばかりに札束の入った封筒をそそくさと差し出すし、マダムの息子の彼女の素行を調べれば、息子が騙されずに済んだとばかりに札束をポン。浮気調査をすれば、旦那の尻尾を掴んだと大喜びしたマダムから高額の小切手を渡される。

 華族の流れを汲む旧家の出である久遠はそれを依頼者からの好意だと遠慮なく受け取るものだから、舞い込む依頼は少ないが、その暮らしぶりは決して悪いものではなかった。

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