時軸:過去
設定:彼女が生まれた日






「お誕生日おめでとさん。つばき」
「…今日は私の誕生日じゃない。と言うより、私は自分の生まれた日を知らない」
「あほやな。せやから今日なんやろ」
「誰があほだ。訳が分からん」
「今日が何の日か知らへんの?」
「?3月29日…サーロイン肉の、」
「ちゃう」
「…ささみ肉の、」
「ちゃうて。もうええ」


寝ころんでいた彼は腰掛け本読む私から書物を奪い腰に抱きつけば、そのまま力を込め押し倒した。柔らかな布団が沈み包み込む。彼は拗ねた子供のように額を人の腹にぐりぐりと押しつけた。彼に、触れてみる。髪をすくい耳に掛け、意味もなく撫で回し、頬の肉を摘んで。瞼を摘んでみれば、何しはるの、と怒ったように顔を上げたので私はつい笑いをこぼす。


「正解は?」
「?」
「今日は何の日だ?」
「…つばきはほんっに薄情やな」
「肉に思いやりは無、」
「肉やのうて僕らが初めて会うた日や」
「………今日が?」
「せや」
「……嘘だ?」
「失敬やね。ほんまや」
「…女々しい!」


空気を吐き出し、そのままけらけら身をよじり笑う。年端の行かぬおなごのような陳腐なせりふ。よもやこの男の口からそんな言葉を聞くとは思いもしなんだ。
笑いは一向に収まる気配を見せず、のたうっていれば奴は無言で私の腹の上に馬乗る。腹痛を堪えて首を傾げば、彼はにこりと笑い、笑いすぎた私の瞳からはぽろりと涙がこぼれた。


「そんなにおかし?」
「……い、いや、その」
「もっと笑たらええよ。つばきの笑い声、聞かせて」
「ちょ、ま、待て、公孫樹」


腰を浮かせ、私を俯せにする。最後に見たのは、彼の瞳の薄い色素。
月のように細めた瞼から覗く色は、あまりに鋭い。


「待て、怒るな、公孫樹、私が悪か、」
「もう、遅」
「いちょ、し、しろがね!やめっ」


腰にあてがわれる手。びくり、反応すれば彼の手は楽しむように動き始め、やさしくひっかくように、くすぐり始める。


「っ、はははは!ちょ、やめ!くっ」
「相変わらず腰弱いんね」
「くくっ、くすぐ、な、ひきょ、だ」
「なに?背中がええの?」
「わぁああああああ」




端から見れば幼い恋人同士の他愛ないやり取りに見えたことだろう。私自身、そう思っていた。
近付く影に気づきながら、そのやり取りに夢中になった。一歩離れた場所にいるつもりが、とっくに溺れていた。だから、この男がしたことの重みに気付かなかった。



ただ、そのときが幸せであったことは間違いなくて






故に



(生まれた日に思い出すは、拗ねたように尖らせた彼の唇)20081224



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