名が風邪をひいた。
まだ共に生活し始めて短い時間でしか彼女を知り得ないが、日々を懸命に生きていることは知っている。

(ここん所仕事が詰まってたみたいだしな…)

疲れが一気に出たのだろう。
食生活にしても、タイムスケジュールにしても、政宗と暮らし始めてからの方が格段に健康的だと言っていたし、殊食生活に関してならば以前の比ではないはずだ。

(何っつっても、この俺が管理してるんだからな)

「――にしても、だ」

あまり熱が下がらない様ならば、医者に診せに行かねばならない。

「呼びつけらんねぇってのは、面倒なもんだな」

かかる手間如何よりも、あんなにつらそうな名を移動させるという事の方が、政宗にとって今は重要な問題だった。


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「…っ」

「ほら…、だから抱いてってやるって言ってるだろうが」

「謹んでご遠慮申し上げます…」

「Shit…、せめてもう少し寄りかかれ」

「…、あ、りがと…」


ため息を吐かずにいられない。
何故こんなに辛い時にまで甘えることを良しとしないのか、政宗には理解出来なかった。
診療所に着いたものの、taxiを降りる頃には名の足取りは全く覚束無いものになっていたというのに。

診察券とやらを出し、それなりに混み合った待合室のソファーへと座らせる。
肩を引き寄せても、すでに意識が朦朧としているのだろう。
逆らう様子もなく凭れ掛かって来た。
空いた方の手で額にかかった前髪をそっと払ってやると、触れたそれが気持ち良かったのか、頬へと下ろした掌にすり寄って来る。

(…ッ…、可愛いじゃねぇか…)

子猫の様なその仕種に気を良くして、政宗の口元に笑みが浮かんだ。
しばらくその柔らかさを楽しんでいると、診察室へと促すべく名を呼ばれ。
己の名前に意識を戻した名は、自身を取り巻く現状に慌てた。

「ま、政宗さんっ!…ごめんなさい、ぼぅっとしてて…」

「Ah…n?構わねえよ、いいからもっと寄っかかれ」

「そんな…」

とんでもないと叫びたかった。
政宗は全く気にはしていなかったが、周囲の視線がかなり痛いのだ。
『何あの女』

誰が見てもかなり上等な男の部類に入るであろう政宗の、隣にいるのが自分の様に地味な女では…そりゃあ文句のひとつも出て当然である。

しかし

歩きやすい様にとしっかり抱きかかえてくれるその腕無しには、もう一歩も進めそうになくて、
仕方無く一言政宗に礼と謝罪を告げて、甘えさせてもらうことにしたのだった。

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「大丈夫ですよ、インフルエンザではありません。風邪ですね」

医師の言葉に胸を撫で下ろす。
流感になど罹ってしまっていれば…考えるだに恐ろしい。
現代人でさえ、体力の無い赤子や老人ならば死の危険に晒されるのだ。
なら、全く耐性など無いに違いない政宗は?


(良かった―――)


一瞬気が抜けて、腰掛けた椅子から崩れ落ちそうになる。
そんな名の身体を政宗が咄嗟に背後から支える。

驚いたのは名だった。

下着を身に付けているとは言え上半身にはそれ以外纏えない診察中、いくら意識が朦朧としていたとしても男性に同席してもらう気などなかったのに。

「っ、…ど、して…!?」

有り得ない事態に肌を隠す事も忘れて問い掛ける。
それに答えたのは、自然な手付きでシャツの前を留めてくれている奥州筆頭ではなく―――「“妻が恥ずかしがるが、心配なので”ですって。良い旦那様をお持ちで羨ましいわ」

ふふふ…と上品に微笑んだ看護士さんに、最早『違うんです!』などと訂正する気力なんて、
足下に跪いてカーディガンを羽織らせてくれている政宗に対する羞恥に全て奪い去られて一欠片も残ってはいなかった―――




「アンタは病人なんだ。今日くらい甘えたって誰も文句なんて言いやしねぇ」

「だから…そう言うんじゃ、なくてですね…」

再びぐらりと視界が揺れて…
高熱時の常である気持ち悪さに、益々頭が働かなくなってゆく。
口を開くことすら辛くて、俯き立ち止まってしまった名を見下ろし政宗は『そら見たことか』と、本日幾度目かのため息を吐いた。

「後は薬を貰やいいんだったな」

辛うじて小さく首肯する姿に最早此までと断じ、厚手のコートを素早く羽織らせくるむと、その膝裏へと手を差し入れ名を抱き上げた。

ザワリ―――
小さくさざめいた室内の空気。
しかし、すでに夢の世界へと旅立ちかけている名には聞こえはしない。

人を避けつつpharmacy《薬局》と書かれたプレートの近くへと移動する。
その際周り中から浴びせられた視線に含まれた“嫉妬”や“羨望”―――
名の意識があるときならば、確実に暴れ、逃げ、走り去っていただろう。
人生最速のスピードで。


「旦那さん、ここに座りなさい。ほら…」

「Oh…、thanks」

自分はもう帰るからと、席を譲ってくれた老人に微笑み、礼を告げて

「随分と熱が高そうだねぇ。でもま流感じゃないんなら大丈夫、きっとすぐに良くなるよ」

「Ah…そうだと良いんだが…」

「ちゃんと薬を飲ませて、暖かくしてれば…、若いんだから大丈夫さ」

「そうそう、アンタみたいな優しい旦那がいるなら、ねぇ?」

「ああ、だからアンタがそんな不安そうな顔してちゃいかん。奥さんが心配して、それこそ治りが遅くなるぞ?」


「!、そうだな…」


席を譲ってくれた老人と、その友人らしき婦人に励まされて初めて、自分がそんな不安げな表情を浮かべていたのだと気付いた。

微笑みながら去る二人を無言で見送った後、じっと眼下の女の顔を見つめた。


(不安…?―――戦国の世では風邪ひとつが命取りだ。だが、ここでは風邪くらいならそうそう重篤になることもないと言っていた

…―――なら、俺は何をそれ程に…怖れているんだ…?)


熱のせいで常より遥かに高い体温。
浅く短い呼吸。
時折小さく震える身体―――

何もかもが頼りなく儚い。

自分の身一つ己で守れないくせに、独りで生きてゆくのだと硬い鎧を心に纏って。
それ無しにはその柔らかな魂すらも守れないくせに。

(今、此処に居るのは“奥州筆頭”じゃねぇ。ただの、男だ)

敵もいない代わりに、庇護すべき領民も家臣もいない。
たったひとりきりの自分。
その自分を、受け入れて守ってくれているのだ。

(奴らの…代わりだ。俺を受け入れてくれたアンタを、今だけは俺が守ってやる―――)

そうだ。
何一つ矛盾などない。
今だけの。

「氏さん―――」

名を呼ばれ、思考の海から引き上げられる。

(今は、早くコイツを家に連れて帰って横にさせてやりてぇ)

カウンターで薬を受け取り説明を聞き、名の携帯で帰りのtaxiを呼んで…

予め渡されていた名刺を示して帰路についた頃には、政宗の脳内は只そのことだけに占められていたのだった。
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『うがいと手洗いは欠かさないで下さいね』

カウンターで告げられた言葉に従う。
自分まで倒れてしまったら、誰が名の看病をするのか。
そんな事態だけは避けなければならない。


(コイツが気にするだろうからな…)


自分の所為だと、己を責める姿が容易に想像出来る。

優しい同居人の表情を思い浮かべて政宗は、その秀麗な眉を顰めながら、薬と簡易流動食を乗せた盆を片手に寝室へと足を踏み入れた。


「…ん…―――」


冷却ジェルのシートを貼りつけた額に掛かる髪をそっと退けてやる。
熱は高いのに寒いのか、時折布団へと潜り込み身を縮めた。

「名、とりあえずコイツを飲め」

幼子の様に嫌々と首を振るのを軽く押さえつけながら唇へとゼリーのパックをくわえさせる。
白い歯の隙間からちろりと覗く赤い舌先に思わず息を飲んだものの、すぐ我に返り。
ようやくほんの少量だけだったが飲み込んだのを見てホッと息を吐いた。

次いで薬を飲ませるには、起こすしかないと解ってはいるものの…

(やっと休めたってのに…起こすのも酷か…)

しかし、薬を飲ませなければ熱も下がらない。
となれば、結論は一つしかなかった。



「緊急事態だ。kitten、許せ」


ペットボトルからスポーツドリンクを口に含むと政宗は、凍えそうに縮こまる名の唇へとゆっくり己のそれを重ねたのだった。





嚥下したのを喉元に触れた指先で確かめ、ゆっくりて口づけをほどく。

「ん…―――」


初めての至近距離。
熱い息、火照る頬、そして汗ばむ首筋を身近に感じる。

朝この部屋へ踏み入った瞬間感じた香りが強く高まる。

「―――――…」


ふは…、と、小さく呼吸を求めて開いた名の唇、

引き寄せられる様に―――



「ぅ…ん…―――っ…――」










「―――っ…―――」




桜の花芯色したそれを、無意識に

再び塞いだのは果たして…―――


熱のために幾らかかさついた感のある、
それでも柔らかなそれから、何故か離れがたく感じてしまうのは―――――




「…Shit…、やっぱり俺も熱があんじゃねぇのか…?」





体温が伝染したかの様に熱く感じる身体の理由についてさえも、

政宗の問いに答えてくれる者は誰一人として居はしないのだった―――
















110216




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