だから私ごと、


空気が凍る音さえ聞こえる気がした。


湯をもらい、まだ幾らか水気を含んだままの髪をまとめる。
自室に戻るには外廊をゆくしかなくて、過保護な元親に与えられた厚手の打掛を羽織った所で体温はあっという間に奪われてしまうだろう。

冬ににしては比較的風の穏やかな夜。
透明な青い光が、庭木を覆う真白な雪をぼんやりとその色に染めて。

自然に勝る芸術家はいないとの言には昔から同意していたけれど、便利さと引き換えにそれらの多くを手放した現代を思うとそれはとても顕著で、名は思わず足を止め、見入ってしまった。


「…綺麗…」


本当は“綺麗”だなんて単純な言葉では言い表せたりしないのだろう。
不純な成分を一切含まない空気に、刺すように鋭い武士(もののふ)達の野望。
研ぎ澄まされた、きっとこの時代の夜にはそういったものしか残されていない気がする。

愛しい男はいち早くそこから離脱はしたものの、多くの領民達を預かる身だ。天下の行き先を見据える目は未だ厳しい。

西海の鬼―――

遠い先の世から、名を攫ってくれた優しい海賊。
国を、民を、そしてこの身のすべてを外敵から守るそのためだけに碇槍を奮う。
本州からぽつり離れたこの国の全ては彼の想いに覆われていて、例え今この身を包むのが凍える寒さであったとしても何時でもどこか安心感を与えてくれるのだった。

厳しさも、安らぎも、…愛しさも、全て教えてくれる。
淋しさに凍える心も、身体も。愛しさに胸を掻き毟る程の苦しみすら
そして―――




ふわり


「馬鹿野郎…風邪ひいちまうだろうが」


この世界で―――否、どこの時代であっても、こんな風に優しく私を抱き締めてくれるのはたったひとりだけ。


「ごめんなさい、月が綺麗で…!」


振り向きがちに続けようとした言葉は全部恋しい男の唇に吸い取られてしまう。


「…ん、」


「冷てぇな…」


その大きな体躯をかがめ擦り寄せられた頬は、何故か湯上がりの自分よりも温かくて、思っていたより長い時間ぼんやりしていたことに気付かされる。
気持ちが良くて自分から擦り寄ってゆくと、抱き締めるため胸の下で組まれていた腕が解かれ、右手を反対側の頬へと添えてくれた。

優しくて、温かい場所

先程までも確かに自分は鬼の懐に居たはずだけれど、今はもっと、誰よりも一番近くに寄り添っている。
叶えられた独占欲と与えられる優越に思わず笑みが零れて
またひとつ増えた恋しい男からの贈り物に心が深々と満たされていった。

溢れる想いを伝える術もこの男に教わったから。

しっかと腰に回されていた腕に強請る様に触れると、したいようにさせてくれた。

いつもは皮手袋と装甲に覆われたそれを両手でそっと抱き締める。
愛しく私に触れるゴツゴツした、けれど繊細な指先。
手のひらと手のひらを合わせて指を絡ませ、そっと宝物を捧げ持つ様に目線の高さまで持ち上げて――薬指と小指の付け根に口付けを落とした。
戦う男の厚い皮膚に吸い付く様に、小さく濡れた音を立てたのは言葉に出来ない想い故。
そんな痴態とも取れない稚拙な愛撫に、背後で小さく息を飲んだ気配がして―――


乱暴な程、無理矢理振り向かされ奪われた唇に注ぎ込まれる炎は、瞬く間に身体の中心へも火を灯すのだ。


「名…っ―――」


鎮まることを知らない熱。
消えるはずもない炎。
冬の冷気すらものともしない豪火に灼かれて、知らぬ間にか芯まで冷え切ってしまっていた身体が溶かされてしまうまで…そうはかからないだろう―――














130110


title by君を抱いて死ねるなら

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