「騰、もう、立って」

震える声をなんとか堪えるが、この男にはそんなことはお見通しなのだろう。普段とは逆に見下ろす位置にある、柔らかそうな髪を見つめそう言うが、男は決して動こうとしなかった。
二人きりの部屋の中、いつもならば休む間もなく喋り続けるお喋りな周が、今日ばかりは言葉数少なく、窓の外の微かな喧騒さえも聞こえることが出来る。

王騎が死んだ。

報せが入った時は俄には信じられずにいた。誰よりも強い叔父が、王騎が、死ぬわけがない。そう思う一方で、どこかで冷静な自分がそれを真実だと悟っていた。まるで夢の中にいるような浮ついた心地だった。何を言われても何をしても心がついてこない。
心配する家臣たちをよそに周はまるで幽鬼のように時を過ごした。

戻った兵たちの先頭にいつもならいるはずの王騎の姿はなく、帰城した兵たちの打ちひしがれた様子と、なにより王騎の死を報告したきり、決して頭を上げようとしない騰の姿を見ていると、ゆっくりと実感が体の中をめぐり出す。
どこかぼんやりとしていた意識がはっきりと現実へ向けられて、身体が突然重く感じられる。まるで水の中にいるような重い倦怠感を覚えながらも、跪いたままの騰の肩へそっと掌をあてる。鎧のひやりとした冷たさが触覚を刺激した。

「たって、おねがい」

息が苦しい。震えるどころか掠れた周の声に、騰ははっとして頭をあげる。瞳が交差した瞬間、周はそれまで堪えていた、あらゆるものが溢れる音が聞こえた気がした。
両腕を騰の首に回し、飛び込むように抱きつく。鍛え上げられた騰の体躯はその程度ではびくともせず、周は戦で纏っていた鎧についていた血と汚れが服や、顔につくのも厭わず騰の肩に顔を埋めた。
苦しさを誤魔化すにはより強い苦しさを与えればいい。息が苦しいほどにきつく抱きつく周は、微かに息を切らす。

「騰、息が苦しいの」

目の奥が熱くなる。ひくりと鼻の奥が震える。呼吸がうまくできない。
苦しい。悲しいことがこんなにも苦しいということを、周は知らなかった。

「騰、苦しいの、たすけて、おねがい」

止まらない涙が鎧を濡らす。きつく抱きつきながら嗚咽を漏らす周の背を、騰はそっと抱き締め返す。主君の姪に本来であれば許されない行為だが、騰は周の艶やかな黒髪に顔を埋め、震える周を優しく腕の中に閉じ込める。

「私も苦しい」

周の背にまわされた掌に浮かぶ爪の跡。腕の中の震える少女が失ったものの大きさを物語っていた。

子がない王騎にとって、周はその後継にあたる。この小さな背中がこれから背負わなければならないものはあまりにも大きい。
王騎が遺したものと、周。そのどちらも守り抜くにためにも、騰はひとつの決心を心に決め、きつく、きつく周を抱きしめた。
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