白ひげ
思い返せばその女が自分に会いに来るのは、決まって月のない夜ばかりだったような気がする。
船員たちが寝静まった深夜、一人夜風に当たりながら酒を飲んでいた白ひげは、不意に背後に現れた気配に溜息をひとつ。

「見張りは一体何をしていやがる」

白ひげの呆れたような物言いに、「本当に」と涼やかなソプラノが返ってくる。コツリコツリとヒールを鳴らし、姿を現したのは女は服も髪も闇に溶け込みそうな黒。若く、美しい女だった。長い黒髪が夜風になびき、仄かな香りが甲板に漂う。

「何年ぶりかしら」
「さぁな、数えるのなんざ随分前にやめちまった」
「あら、冷たい」
「ふん......言ってろ」

並んで夜の海を眺める。白ひげは飲んでいた酒瓶を差し出すと、女は慣れた手つきでそれを受け取り、一気に煽った。出会った頃と寸分変わらぬ姿の女を白ひげは横目で見つめる。

「変わらねェなお前は」
「あなたはまた老けた?ニューゲート」

湿った唇を手の甲で拭う様は艶めいていた。

「おれァ人間だぜ。歳をとりゃ老けもする。お前と一緒にするんじゃねェよ」
「ひどい、人を化け物みたいに」

言葉とは裏腹に楽しげに笑う女。差し出された手に酒瓶を戻すと、受け取ったそれを白ひげが煽る。

「......おい、てめェ飲み干しやがったな」

僅か数滴、ポタリと落ちてきたのみで空になっていた。白ひげは女を睨めつけ。

「いいじゃない、お酒は控えるように言われてるんでしょう?」
「飲みてェもん飲んでなにが悪い」
「マルコたちの苦労が目に浮かぶわ......みんな心配してるのよ」

空になったそれに用はないとばかりに適当に放り出した白ひげに、女は飽きれたと言わんばかりに肩を竦めた。

「それならおめェがここに残って止めりゃいい、周」

周と呼ばれた女の顔から笑みが消える。海を眺める白ひげの横顔を見つめ、しばしの沈黙の後、周も同じく海へと視線を向けた。

「今更その話を蒸し返すなんて趣味が悪いわ」
「蒸し返してなんざねェよ。思ったこと言っただけだ」
「あなたのそういう自分勝手なところ、嫌いよ」
「おれァ海賊だぜ。てめェの都合なんざ知るか」

決してお互いを見ようとしない二人の応酬が夜の海に溶けていく。

「今も昔も、私はどこにも所属するつもりもないわ」
「フン......気の強ェ女だ」

漆黒の海にたゆたうモビーディックから漏れる僅かな光。ゆらゆらと揺れるその柔らかな光を見ながら、白ひげは昔を思い出していた。

かつて船に一時だけ乗せた女がいた。何を考えているかわからない食えない女、が第一印象。
今でもその印象は変わらないが、接するうちに心根は優しく、案外熱い奴であることがわかり、惹かれるのにそう時間はかからなかった。
ほんの半年程度の短い期間だったが、今も忘れることのできない満ち足りた時を共有した。
離れがたく想い、船に残り家族にならないかと提案したが、女はやるべき事があると言い残し、船を去る。
一年、二年、十年経ち、もう二度と会うことはないのかと思い出になりかけていた時、その女はふらりと姿を現した。
別れた時からそれなりの年数が経過していたのにも関わらず、出会った頃と寸分変わらぬ美貌のまま。内心不思議に思いながら再会喜んでいたのも束の間、気付いた時にはまた姿を消していた。
それが二度、三度と続き、数えるのをやめた頃には突然姿を現して消える女を、そういうものだと受け入れるようになった。いつしかその神出鬼没な女は"息子"たちにも受け入れられ、慕われるようになっていた。
世界最強の男として君臨して長い時が経過した。世界の真実を朧気ながら知り、女が抱えているものも長い付き合いの中で察するに至った。

周は先ほど白ひげを自分勝手だと言ったが、白ひげに言わせれば周の方が余程自分勝手だ。自分の都合のいい時だけ現れて、満足したら去っていく。
四皇だ世界最強だのと言われても、感情はある。目を離すと消えている周に対して、喪失感を感じていないわけではない。
もっとも、プライドがそれを口にすることは決して許しはしないが。

いくつになっても男ってのはガキだな。

素直にそばにいろと言ったらこの女はどうするだろうか。年甲斐もなくそんなことを考えながら波間をぼんやり眺めていると、周が自分を見上げた。


「お好きでしょう?」
「あァ?」

見下ろすと、白磁の美貌に勝気な頬笑みを浮かべている。

「気の強い女」

紅を塗っているわけでもないだろうに、真紅の唇は美しい弧を描き、白く華奢な手がそっと白ひげの腕にそっと触れる。久方ぶりに感じる体温は生きているのかと疑問に思う程の冷たさだった。

家族を欲して時代を駆け抜けた自分が焦がれたのがよりによってこんな七面倒臭い女とは。
しかし思考とは裏腹に、黒硝子の漆黒の瞳に映る自分の顔はどこか満足げだった。

「......あァ、悪くねェな」

息子たちを叩き起こし宴の支度をさせる算段をたてながら、白ひげはさざめく波音と周の冷たい体温に身を任せた。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -