吟遊詩人と王女様1
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「休息をとりましょうか?」
背に抱えた袋いっぱいの財宝を抱え直し、ギーヴは振り返った。僅かに後ろを歩いていた周は常ならば白い頬を桃色に染め、乱れた呼吸を漏らしながらギーヴと目線を合わせる。
エクバターナから逃げ出し一夜。夜中、歩き通した山道は決して険しいとは言い難かったが、王宮の奥深くで蝶よ花よと育てられた王族の足には、いささか厳しい道のりだった。
周は全身が疲労に浸っているのを感じていたが、追手がどこまで迫っているかわからない現状、エクバターナからそう離れていないここで休息をとる訳にはいかない。周は緩く頭を振って微笑んだ。
「いいえ、大丈夫です。進めるうちに進みましょう」
無理を隠したその微笑みに、ギーヴは内心で関心し、再び前を向いて歩みを進めて、昨夜のことを思い出していた。
****
私をここから逃がしてください。
混乱と狂気に包まれたパレスの王宮で財宝を物色するギーヴにそう縋ったのは、今年19になるアンドゴラス国王の姪の周だった。未だ未婚の王姪は、年の割には幼い印象を持たせたが、凛とした美しさをもつ少女だった。恐怖に身体を震わせながらも、夜の闇を溶かしたような見事な黒髪を乱し、瞳に強い意志を宿した周にギーヴは困惑する。
「これはこれは殿下、殿下のような美しい方に頼られるとはこのギーヴ、身に余る光栄にございます」
縋り付く周の手をそっと外させ、ギーヴは一歩下がると恭しく礼をとった。遠くから聞こえる怒声と破壊音に身を震わせる周を見上げ、「しかしながら」と続ける。
「このような状況にございますれば。一介の吟遊詩人に過ぎないこの私に、王族の方のお供は過ぎたる申し出かと」
美しい女は好きだが、相手が王族ともなると無闇に扱うわけにもいかないので面倒だ。ましてやこのような状況で周を連れて逃げたら追手がつく。なまじっか逃げ切ったところで、パレス王家から報酬など期待できそうもない。
足手まといにしかならない周を連れて逃げるメリットなどあるはずもなく、震えて青ざめる少女を不憫に思う気持ちこそあれど、義理もない。ギーヴは震える周の冷えきった手をとり、そっと甲へ口付けた。
「美しい方、またいつか巡り会えた際にはこの女神アシの下僕めに、再びお情けをおかけ下さい」
女たちを魅了する微笑みでそう言うと、ギーヴは財宝を詰め込んだ袋を抱えて周に背を向けた。
かわいそうだが、仕方あるまい。
美しい少女ではあるが、他に美しい女はごまんといる。
冷めた思考でそう割り切ったギーヴが部屋をあとにしようとしたが、背後から聞こえる声に足を止めるハメになった。
「あなたが持っているその財宝が報酬です」
その凛とした声の出どころを求めて振り返ったギーヴは、驚いて周と瞳をあわせた。当然、部屋にはギーヴと周しかいない。青ざめて震えて自分に縋ってきた少女から出てきたとは思えない、意思の強い声。
周は青ざめた顔はそのままに、ギーヴに歩み寄った。瞳の奥に宿る強い光は、輝きを増していた。
「もう既に報酬は選ばれたのでしょう?」
ギーヴが抱えている袋に視線をやる。驚きで目を見開いたギーヴを見上げ、「まぁ」と周は挑発的な笑みを浮かべた。
「あなたが王家の財宝に手をかけるコソ泥だというなら、話は別ですが」
震える手を胸の前で握る周は、このような挑発など慣れていないのだろう。自分を見上げる、血の気の引いた周の思いがけぬ強さを目の当たりにしてギーヴは胸のうちで好奇心が膨れ上がるのを感じていた。
王宮に滞在中に見かけた周は、戦時中ということも相まって、気弱で悲しげな印象を持たせた。無類の女好きを自負しているギーヴだが、どうせ共に過ごすなら楽しい方がいい。幸いにも宮中には明るく美しい女は数多くいたため、ギーヴの興味が周に向くことはなかった。
しかし、
ギーヴは担いでいた財宝を床に下ろすと、足でそれを軽く蹴った。
「確かに、報酬はこの通り頂戴しました」
コソ泥などと言われてしまっては、矜持の低くないギーヴとしては、そう返さざるを得ない。案外人を良く見てるな、というのが素直な感想だった。
「しかしながら……どちらへお逃げになるおつもりで?それも、おひとりで」
兵と民も、王妃さえも見捨てて自分ひとりエクバターナを脱出しようとする周に、ギーヴの顔に嘲笑が浮かんだ。
ギーヴの蔑みを見てとった周は、一瞬気まずげに視線を逸らすが、瞳を閉じ、再び開くと真っ直ぐとギーヴを見返した。
「ならばここに残ってルシタニアに投降せよと?」
王位継承権を持つ周がルシタニアに捕えられたところで、良くて人質、最悪兵たちに犯され殺されるのは火を見るより明らかだ。
「ここに残ったところで人質になるか、殺されるかしかありません。それならばここを出て、アルスラーンと合流して兵を集めて再び王都を奪回するのが、最善だと判断しました」
力強く、そう断言する周。腰を屈めると、ギーヴの足元の財宝を両手で持ち上げた。重いのか、細腕が僅かに震えている。突然の行動に驚くギーヴの胸元に、それを突き出した。
「さぁ、報酬は渡しました」
私をここから逃がしてください。
胸の前に出されて思わず財宝を受け取ってしまったギーヴ。まっすぐと見上げてくる周に、ふつふつと笑いがこみ上げてくる。
厄介なことになったな。
そう思いながらも、楽しげに口元を歪めたギーヴは財宝を再び担ぐと、「わかりました」と礼をとる。
「しかし、これは王都からお連れする分の報酬です」
「え……」
周の目的はアルスラーンと合流すること。王都から逃げたところで、王宮の外をろくに知らない周ひとりでは、どこにいるかわからないアルスラーンと合流できるわけがない。
ならば他にも財宝をと辺りを見渡す周に、ギーヴは首を振った。
「これ以上の財宝を持って逃げるのは難しいでしょうな」
「……ならば王都を取り戻したらなんでも望むものを差し上げます、叔父には私から説明します!だから、どうか……」
懇願する周の唇に指当て、遮るギーヴ。目を丸くする周に、ギーヴはその美貌の顔ばせに見合う、美しい笑みを浮かべる。
「ひとつ、頂きたいものがございます」
それは殿下にしか頂けないものです。
そう続けるギーヴ。周が続きを促すが、部屋のすぐ外から聞こえてきた破壊音に2人は我に返る。ギーヴは腰に指した剣を抜いた。
「続きはここを出てからまた後ほど。私から離れずに付いてきてください」
力強く頷く周。ギーヴは部屋の外を伺い剣をしっかりと握り直し、周を伴い部屋をあとにした。
途中何度か敵と遭遇するが、ギーヴにとってはなんてことはなく、楽々と切り捨てた。周は怯えた様子ではあったもののしっかりと付いてきていて、死体を見て泣いてしまうかと思っていただけに、ギーヴは少しだけ意外に思った。
フスラブに教えられた秘密の水路を抜ける間、会話はなく、女官の死体が浮いていたのには流石に驚いた様子を見せたが、周は沈痛な表情で遺体から顔を背けるに留めた。
水路の行き止まりでギーヴが石を横にずらすと外に繋がっていて、そこはエクバターナから遠く離れた森の木の根元だった。
ようやく外に出ることが出来た2人は遠く離れた、炎で燃え盛るエクバターナを眺める。
「あの強大なパルスがなんともみじめな終わり方だな」
独り言のように、淡々とそう言うギーヴ。
「灰から生まれ灰に還る……国の興亡なんぞしょせんはそんなものか」
ギーヴは隣に立つ周をちらりと見る。無表情で、燃え盛る王都を見つめる周。その耳にギーヴの発言は聞こえていたが、滅びゆく故郷を無心で見つめ続けた。ギーヴももう一度燃え盛る王都へ見つめる。
「かくして英雄王カイ・ホスロー、黄金の玉座につきければ、列王は大地にひざつきて服従を誓約し、ここにパルス国の統一はなれり──」
カイ・ホスロー武勲詩抄に耳を傾けながら燃える王都を見つめる周。こみ上げてくる感情はあれど、まだ成すべきことがある。感傷に浸っている暇はない。
まだ、終わっていない。必ずここへ戻ってくる。
拳を強く握った。
「しまった、琵琶を置いてきてしまったな…」
ギーヴの言葉を聞きながら、そう固く誓うのだった。
****
その後、エクバターナから少しでも離れるために2人は夜が明けても休むことなく歩み続けた。村を探し、馬を手にしてアルスラーンを探す心づもりであった。
休息を断った周は、そういえばと口を開いた。
「そういえば、欲しいものとはなんなのです?」
ふと昨夜の会話が途中で終わってしまったことを思い出した周は、そう問いかけた。
前を歩いていたギーヴは振り返る。
「私にできることはなんでもさせていただきますが、もうお決まりなんですよね?」
昨夜欲しいものがあると断言していたギーヴ。周は用意できるものであればなんでもするつもりではあるが、あまりにも無理難題を言われてしまっても困る。そんな不安を察したギーヴは立ち止まると、にっこりと微笑んだ。
「なんでも、ですね」
「え、えぇ……できる範囲内でしたら」
立ち止まったギーヴに習い、周も歩みを止める。満面の笑みのギーヴに、周は嫌な予感が背筋を走る。
財宝をゴトリと地面に下ろすと、ギーヴは恭しく周の前に跪いた。驚く周の手を取り、ギーヴは周を見上げて瞳をしっかりと合わせ口を開いた。
「無事アルスラーン殿下の下へお届けしました暁には、」
そっと周の手の甲へ口付ける。
「周様と一夜を共に過ごす権利を、報酬として頂きたい」
柔らかな唇の感触が離れる。硬直していた周が言われた内容を理解した瞬間、身体中が火をかけられたように熱を持った。
「なっいち、え!?」
握られていた手を振りほどいて林檎のごとく顔を赤くする周。初々しい反応に満足げなギーヴは立ち上がり、膝についた土を払う。
「ほんの一夜、殿下の夢を私めと共有していただきたく」
必ずご満足させてご覧にいれましょう。
艶めいた表情で言うギーヴに、周は更に熱が高まるのを感じた。
未婚の周は当然そのような経験はない。幼い頃に好きだと思っていた相手はいたものの、あくまで憧れの延長線で、まともに異性に恋愛感情をもったことはない。
つまりこの報酬を了承すれば、周の初めてはギーヴということになる。王族に生まれた以上、いつかは決められた相手に嫁ぎ、そういったことになることは理解していたが、あまりにも予想外の展開で周は混乱した。
「無論、お嫌というのであれば無理強いは致しません。その際は責任を持って近くの村まではお送り致しましょう」
そう言われて、周はハッとする。戦う術を持たない周は、アルスラーンと合流するまで、この腕の立つ吟遊詩人を手放すわけにはいかない。パルスを取り戻すためには、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
拳を強く握り、ひとつ息を吐くと周は真っ直ぐとギーヴの目を見返す。
「わかりました」
たった一夜だ。一瞬のことだ。
そう自分に言い聞かせる周を、ギーヴは面白いものを見るように見返した。
「よろしいのですか?殿下はその……経験がおありでないのでしょう?」
その発言にまた頬が赤くなるのを感じた。
「あなたから言い出したことではありませんか……それに、女に二言はありません」
まるで戦地に赴く兵士のように、覚悟を決めた顔の周にギーヴはくつくつと笑いを漏らす。
気恥しさを隠すために「いきますよ!」とさっさと歩き出す周を、財宝を抱えたギーヴが追い掛ける。
「ではこのギーヴが必ずや、周様をアルスラーン殿下のもとへお連れいたします」
「……………………よろしくお願い致します」
面白いことになってきたぞ。
未だ赤い顔で隣を歩く周をちらりと見て、ギーヴはほくそ笑んだ。