先輩はすごくずるいです。と綾部は不貞腐れたように足元の水をはじいた。


タライに張った水はとうに温くなっている。
汲み直しに行こうという考えが頭をかすめるものの、余りの暑さに動くことも躊躇ってしまう、そんな昼下がり。
袴を膝までまくりあげ、上半身は前掛けだけという格好で縁側に座りながら、綾部はタライに張った水に足を突っ込んでいた。

踝までの水は、くみ上げた時こそひんやりと心地よかったのだが、今や少しも冷たくない。むしろ温かいくらいである。

「何が?」

隣に座って同じタライに足を突っ込んでいた尾浜は、綾部と同じような格好で髪の毛をぐるぐると頭の上の方で乱暴にまとめながら問い返した。

「暑いのが嫌いなら、部屋で転がってた方が涼しいでしょうに」
「そんなことは無い」

長屋の部屋の暑さを舐めるんじゃないよ、と尾浜は真面目腐った顔で髪の毛をまとめながら応える。
不器用なのかまとめ慣れていないだけなのか、尾浜はもたもたと髪の毛を弄っている。
だからか視線は綾部に向く事は無い。

綾部は口をとがらせて、真剣に自分の髪をまとめる尾浜の横顔を見た。

「先輩少し焼けましたね」
「そう?」
「うなじと色が違います」
「まあ俺は髪長いからね」

綾部は視線をそらし、タライの水を足でかき回しながら、切らないんですか、と何の気無に問いかけた。
尾浜はようやく自身の髪から手を離して、切ったら兵助たちががっかりするから、と応えた。

「俺の髪触って何が楽しいんだろうね?」
「楽しいでしょう」
「そう?」

俺は綾部の髪のが好きなんだけど、という言葉に、綾部は驚いて振り返る。すると尾浜の手がするりと綾部の髪を撫でた。

「先輩?」
「ちょっとこっち向いて」

ぐりと乱暴に首を向こうに向けられ、綾部は小さく声を上げる。

「先輩」
「ん」
「何やって、」
「ちょっと静かに」

尾浜の髪がするりと髪を撫でる動きや、時折頭に触れる尾浜の指が、熱くて、それでいてくすぐったくて、綾部は足元の水をばしゃばしゃと飛ばしてみる。

「・・・うん」

不服そうに尾浜が呟いてようやく綾部の頭から手を離した。

「駄目だなあ、こういう事に成ると俺本当に不器用でさ」
「・・・せんぱい、これは」

君も髪が長いから暑いだろ、と尾浜はにこにこと笑って、庭の池を指差す。

「見た目は悪いけど、少しは涼しくなったと思うよ」

綾部は躊躇いなくタライから足を出すと、池の方へ駆ける。池に自分の顔を映すと、髪がそれなりに綺麗にまとめられていて、見たこともない簪で止められていた。
それなりに美麗な装飾の施された簪は、相応に値段の張るもののように見えた。
しかし何にしろ、綾部は今までこんな簪を尾浜の部屋だとか学園だとかで見た覚えは無い。

「・・・」
「きはちろー?」
「・・・」
「おーい、早く戻っておいでー。倒れるよー?」

綾部が黙って戻ってくると、尾浜はふにゃりと笑った。

「やっぱりこういうのはタカ丸さんにやってもらった方がいいよね」
「いえ」
「まとめ方もタカ丸さんに教えてもらったんだけど、難しいね」

あの人俺に教えるときに、あんまりあっさりやるもんだから、そんなに難しくないのかと思ったら大間違いだった、と尾浜はけらけらと笑った。

「あの」
「うん?」

近くにあった団扇でばたばたと仰ぎながら、尾浜は立ったままの綾部を見上げた。

「この簪、どうしたんですか」
「ああ」

それはね、と尾浜は笑いながら、先ほどまで綾部が座っていた場所をぽんぽんと叩いて見せる。
綾部はそれに従って、再びそこに座ってタライに足を突っ込んだ。土がタライの水に浮くが、尾浜は気にしたそぶりもなく言葉を続ける。

「この間実習で女装したんだ」
「・・・知りませんでした」
「四年は四年で実習してた気がするけど」
「ちっ」

舌打ち舌打ち、と尾浜は笑って、綾部に団扇を向けてばたばたと煽いだ。

「まあ女装して、こういったものを買ってくるって奴だったんだけど、兵助と一緒に簪屋の前通ったらすごく売り込まれて」

一本買ったらもう一本!とかいうし、でも結構綺麗な簪多くて。

尾浜はそう言って綾部を見た。

「飾っておくにもこれから女装するときにも使えるかなあと思って買ったんだよ。でもまあ差し当たって2本も使う予定もないから」

おひとつどうぞ、と尾浜はにこりと笑った。

「・・・先輩」
「何?」
「普通にくれればいいじゃないですか」
「面白くないじゃない」

尾浜は団扇を自分に向ける。
まとめそびれた尾浜の髪が風に揺れて、ゆるゆると揺れた。

「・・・先輩向こう向いてください」
「ん?」

綾部はひょいと尾浜の簪を抜くと、手早く髪をまとめなおす。

「喜八郎器用だねぇ」
「いつもタカ丸さんにいじられてますから」

見よう見まねですよ、と綾部はすぐに尾浜の髪から手を離した。

「おおー」

タライの水に器用に顔を映して、尾浜は感嘆の声を上げる。

「流石喜八郎」
「タカ丸さんに今度ちゃんと教えてもらっておきます」
「いやいやこれで十分。涼しい」

尾浜は再び団扇で綾部を仰いだ。

「もう少しして陽射しが緩んだら、茶屋にでも行く?」
「先輩暑いの苦手なんですからじっとしててください」
「えー、暇だよ」
「たまには私と二人でぼんやりでいいじゃないですか」

なんかもったいないじゃないか。と尾浜が呟くと、綾部は首を横に振った。

「むしろこうやって先輩とぼーっとしてるなんて珍しくて」
「楽しい?」
「先輩は楽しくないですか」

うーん、と尾浜は団扇を置いて、ごろりと縁側に転がる。

「意外に楽しい」
「ならいいじゃないですか」
「ならいいや」

しかしまあ、暑いねえ。と尾浜はごろりと転がって、綾部に背中を向ける。

「・・・ねえ先輩」

綾部は尾浜の横顔を覗き込みながら声をかける。

「この簪、私の為に買ってきてくれたんですか」
「・・・たまたまだよ」
「そうなんですか」

ねえ先輩、と綾部は尾浜の耳元に口を寄せる。尾浜の肩がビクリと震えた。

「この簪、似合ってますか」
「・・・」
「せんぱーい」
「・・・似合ってる」

尾浜は不貞腐れたように応える。

「先輩も似合ってますよ」
「・・・あんまり嬉しくないなあ」

で、これは私の為に買ってきてくれたんですよね。と綾部が問いかけると、尾浜は黙りこむ。
綾部も諦めて尾浜を覗き込む事を止め、日差しの照りつける庭を眺めるように座りなおした。

「・・・買う時に」



思い出したのは確かに、君の顔だった。



唐突に聞こえたその言葉に、綾部は目を丸くして振り返る。
見えるのはただ背中を向けて転がっている尾浜と、自分が結いあげた髪に差さってゆるりゆるりと揺れる簪だけだ

「オマケはあっちが勝手につけてくれたから、俺に似合ってるかどうかは知らないけど」



俺が選んで買ったのは、君にあげた方だよ。





かん




「先輩」
「何」
「先輩はやっぱりずるいです」

そうかい、ごめんね。と尾浜は小さく笑ったように喉を鳴らす。
勝手にやってきて、私が準備したタライに断りなく足突っ込んでることなら、謝らなくていいですよ。と

綾部は不貞腐れた声で返事を返した。






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誕生日プレゼントということで
壱稀さんから貰いました!!!
本当に!!壱稀さんの綾勘大好きなので
感動が半端ないです^///^
すっごい可愛い!!可愛すぎる!!
壱稀さん、本当にありがとうございました


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