◎10
あれはまだわたしが高校生だったとき。
中等部から立海でエスカレーター式に高等部にあがった5月のことだった。
大好きなわたしの唯一の家族、おばあちゃんが亡くなった。
その前の冬休みの頃から体調を崩していたのをわたしには黙って、ボロボロの身体に鞭を打って働いていたのだ。
わたしはまたひとりぼっちになってしまった。
おばあちゃんのにおいがするのに、おばあちゃんの物がたくさんあるのに、おばあちゃんはいない。
泣いても泣いても涙は枯れないし、まだまだ子供だったわたしは何をどうすればいいのかがわからなかった。
そんな時、真っ先にうちに来てくれたのは真田だった。
「辛くて悲しいのはわかる。だが、自分を見失うな」
ごつごつとした大きな手を頭に置かれ、真田の胸で思いきり泣いた。
少しうろたえてはいたが、わたしが落ち着くまでなにも言わずに待っていてくれた。
このときばかりは人の優しさが身に染みて、痛くて苦しくてつらくて、でも確かにあたたかかったのだ。
「これをお前のおばあさまから預かった」
差し出されたのは1通の手紙。
開けてみると、弱々しい字で書かれていた最期の言葉。
これからのこと、お金のこと、学校のこと、そしてどれだけわたしのことを愛していてくれていたか。
「ひとりでいるのが辛ければ、しばらく家に来いとうちのおばあさまが言っていたぞ」
わたしのおばあちゃんと真田のおばあちゃんは古くからの友人らしく、わたしがおばあちゃんに引き取られてから住み始めたこの家は真田の家のすぐ裏にある。
だから真田とは小学校も同じだ。
『ううん、わたしはここに居たい。ありがとう』
でもほんとに困ったときは頼らせてね、と言えば少しだけ表情が柔らかくなった気がした。
それからわたしは、2週間のお休みを経て学校に復帰した。
もともと公立中学に行く予定をしていたわたしに立海をすすめてきたのはおばあちゃんだ。
私立の高い学費は、両親を説得し高校卒業までかかるおおよその額を通帳に振り込ませたらしいので卒業まではなんとかなる。
しかし生活費となるとまた別だ。
大切なお金をなるべく減らさず生活するために立海近くのファミレスでアルバイトをはじめた。
そこで仲良くなったのが雅治だった。
「お前さん、3強のお気に入りじゃろ」
テニス部のレギュラーメンバーの中でもよくファミレスに来ていたブン太とジャッカルと赤也と雅治。
初めて話した言葉は、オーダーを取りに行ったときに言われたそれだった。
『お気に入りってわけじゃ・・』
「あの真田がよう入れ込んどる」
『弦一郎とは小学校が同じで家も近いから』
「真田を名前で呼ぶとは珍しいの」
『付き合いが長ければおかしくないでしょ』
正直最初は尋問されてるみたいでめんどくさいと思った。
中学の頃からキャーキャー騒がれちやほやされて、知らないわけではなかったけれど、関わることはないと思っていた。
「お前さん、興味深いの」
そう言われてから、学校内で会うことが増えた。
中庭や屋上庭園に図書室、たまたま行った保健室。
ふらりと現れてはぽん、と頭を撫でられた。
そんなよくわからない関係が数ヶ月続いた12月、今日1日図書室でサボっていたらしい雅治に遭遇したら腕を引かれて奥の棚に連れていかれた。
「今日、俺の誕生日なんじゃ」
『え?あ、おめでとう・・?』
「お前さんから誕生日プレゼント欲しいのう」
『わたしなにも持ってないよ?』
「じゃあこれで、」
急に近づいてきた顔にびっくりして目をぱちくりさせれば、ちゅ、と唇が触れる。
『なっ・・・!』
「ごちそーさん」
これで俺のことしか考えられなくなるじゃろ?と仁王はにやりと笑った。
単純なわたしはそこからほんとに雅治のことしか考えられなくなってしまったのだ。
春になり2年になって、雅治と同じクラスになったときはすごく嬉しかった。
さくらの花びらがひらひら落ちるのを中庭のベンチからぼーっと眺める。
もうすぐ、おばあちゃんの命日だ。
1年があっという間に過ぎてしまった。
時々訪れる、無性に泣きたくなるとき、つらいとき、かなしいとき、ひとりの夜がこわいとき。
そんな時にいつもそばにいてくれたのは雅治だった。
特になにをするわけではないけど、そばにいてくれたりわたしが眠るまで電話で話をしてくれたり、わたしのさみしさを取り除いてくれたのだ。
『好き・・・』
わたしは、雅治が好きだ。
でもひとりになるのがこわいわたしは、とても臆病でその1歩が踏み出せないのだ。
「ゆず」
名前を呼ばれて振り返れば、いつから居たのだろうか。
雅治がわたしの隣に座った。
「どうしたんじゃ」
『どうもしないよ』
「泣きそうな顔しとる」
『泣かないよ、わたし強いから』
「俺の前では弱くてもよか」
俺がゆずのこと守っちゃるから、とぎゅっと抱きしめられる。
「ゆずのこと、ずっと前から好きじゃった」
じわり、心の中が熱くなる。
「中学んとき、真田と話してるところを見たんじゃ。笑った顔がかわいくての、ずっと忘れられんかった」
見上げた雅治の顔はいつもの飄々とした感じではなくほのかに赤い。
「真田たちから聞いた。俺はゆずをひとりにはせん。ずっと一緒に居るから・・俺のこと信じてみんか?」
まっすぐなその瞳をわたしは信じたいと思った。
『わたしも、すき・・』
わたしが伝えられたのはその一言が精一杯で、でも雅治には充分伝わったようでぎゅうぎゅうと抱きしめる力が強くなった。
『なつかしい夢・・』
ぽかぽかした気持ちで目が覚める。
今から10年くらい前の、わたしと雅治が付き合った頃の夢。
あの頃のわたしはまだ若くて子供で、人の感情がこうも簡単に変わってしまうなんて知らなかったんだ。
でも確かに幸せで、真剣に雅治を愛していたのだ。
心の傷は深い。
急に近づいた距離。
まだ好きなのかなんなのか、このごちゃまぜになった気持ちはまだ整理できそうにない。
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