05 関ヶ原の戦い

――わからない。家康の言っていたことが、…わからない。


△▽


「徳川君のばかぁ…」
「なまえにはきおくがあるんでしたね。さるとびくんも」
「え、ああ」

保健室。本来は明智先生が保険医なのだがわけあってしばらく学校を離れている。そこで代わりに上杉先生がいるということだ。

「記憶がある人とない人がいるなんて…意味わかんない」
「名前ちゃん女子高生みたい」
「女子高生ですから。じぇーけーですから」

徳川君に対する不満の話は、気づけば前世の話になっていった。
上杉先生は記憶があるけれどかすがちゃんは記憶がない。それでも二人は一緒にいるのだ。

「かすがはわたくしのよきつるぎですよ。いまも、むかしも」
「だーっ!なんでかすがは記憶ないのに俺様を嫌うのさー」
「下心丸出しだからじゃない?」
「名前ちゃんひどーい」

戦国の世ではこんな風に会話をしたことがなかった。佐助君とは東西にわかれてから愚痴の言い合いをしたことはあったが。

「――で、びっくりして思わず屋根に飛び移っちゃって」
「わー。それ人に見られてない?人間技じゃないよ、普通」
「さるとびくんはうっかりさんなんですね」

短い時間ではあったが、心のもやもやはだんだん薄れていった。やはり溜め込んでいるのは駄目らしい。

「あー。二人と話したらなんか楽になった。ありがとな、佐助、謙信」
「名前ちゃん。素がでちゃってるよ」
「おわ、すみません」

佐助君は溜め息をついて、上杉先生はくすりと笑った。前世の話なんかしてたからつい男である名前が当たり前だと錯覚してしまう。

「いえ、いいのです。あなたはあのころのじぶんをわすれてはいけませんよ」
「…はい」
「なにかあればまたきなさい。わたくしはあなたのみかたですから」

そう言った上杉先生の顔は穏やかで、ああ、かすがちゃんが夢中になるのもわかる気がする。と思ってしまうほどだった。

「…なんか、照れ臭いですよう」
「お、俺様だって!名前ちゃんの味方だからね!」
「はいはいありがとう佐助君」
「ちょ、俺様真面目だかんね!」
「はいはい真面目真面目」

と、ここで一限目終了のチャイムがなり、私たちは教室に戻ることにした。


△▽


「うわー…。凄く恥ずかしい」
「名前ちゃん本気でキレてたもんね。あんなのこっちで見たの初めてだよ」
「うぐ…。傷を抉らないで…」

教室へ戻るのが気まずかった。そりゃもう顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい。
徳川君を怒鳴った時周りには沢山人がいたし、女子高の時はこんなことなかったから私というイメージは相当変わるだろう。

「佐助君、私の分身つくってよ」
「それは無理」

休み時間が終わる前に教室に戻らなくてはいけないのに、足取りはゆっくりになってしまう。いや、もうこれは仕方ないでしょ。

「そんなこと言ってたら着いちゃったし」
「大丈夫だよ。名前ちゃんだし」
「意味わかんない。大体お兄ちゃんになんて言えばいいのよ」
「いつも通りにすれば?変に意識してギスギスすんの嫌でしょ」
「く…。佐助君がまともに意見を言うなんて…」
「あんた俺をどんな目で見てたの!?」

いいから入るよ、と佐助君がドアに手をかけ一気に引いた。その瞬間、教室にいた生徒は一斉に私達をみた。

「や、やっぱり私…」
「ほら授業始まるよ」
「佐助君のばかぁー」

ずるずると引きずられるように席に連れていかれる。ああ…。周りの視線が痛いよう。

「名前殿!」
「真田、君」

真っ先に話しかけてきたのは真田君だった。佐助君のついでだろうけど。

「先ほどはいかがなされた。いつもの名前殿とは――」
「ほら旦那。名前ちゃんの傷を抉らないであげてー」
「佐助君が言えること?」

心配そうに私を見る真田君にほんのり癒されながらも、私の視線は窓の外を見つめるお兄ちゃんにあった。

「…行ってくれば?」
「……うん」

誰も寄せ付けないオーラを出すお兄ちゃん。話しかけにくいけど佐助君にいわれ、私はお兄ちゃんの元へ歩み寄った。

「……お兄ちゃん」
「…名前」

ぱっと振り向いたお兄ちゃんの瞳は心なしか虚ろで、多分徳川君に言われたことを気にしていたのだろう。

「お兄ちゃん。あまり深く考えないほうがいいよ。徳川君には私から言うからね」
「あ、ああ……」

お兄ちゃんには家でも話ができるから、とりあえず徳川君に話すと言うことを伝えた。
お兄ちゃんが返事をしたから、私は徳川君の席へ向かおうとした。

「っ名前」

ら呼び止められた。

「どうしたの?」
「あ…、いや、その…」
「…ふぅ。大丈夫だよ。私はここだよ」
「っ!……、…」

宥める様にお兄ちゃんの柔らかい髪を撫でれば、安心したように目を細めた。

「…行ってこい」
「うん」

なんかさっきの佐助君との会話みたいだなぁとか思いながら、私はやっと徳川君の席へ行った。
まぁ徳川君はさっきから私を見てたみたいで、自分の方に来たことに少し驚いてた。

「とっくがわ君ー」
「名前…」

ふっと私から視線を反らした。

「さっき、怒鳴ってごめんね」
「…いや、ワシの方こそ…後先考えずに。…すまなかった」
「……ふふ、じゃあ仲直りね!」

徳川君は大きく目を見開いた。なにもおかしいことはない。しかしその瞳は小さく揺れたのを私は見逃さなかった。

「仲直り、か…」
「もー。徳川君らしくないじゃん。東照権現はどうしたの?」
「!……そう、だな。ワシらしくなかったな!」

どうやら元気になったようだ。大体ねちねちぐちぐちじめじめしてるのは徳川君には似合わないのだ。太陽のくせに。

「よし!そうとなれば三成に謝って――」
「それはいい」




徳川君には学習能力がなかった。