ラベンダーに癒されて |
今日も退屈な一日の授業が終わった。 そして今からが一日の一番楽しみな時間だ。 毎日放課後が待ち遠しくて仕方ない。紫サンに会って、他愛ない話をして、お薦めの本を一緒に探して、ちょっかいを出して怒られて。 幸せだなあ。大海はそう思いながら足取り軽く部室に向かっていた。その途中で、 階段を上る彼女の後ろ姿を見つけた。 「紫さ……」 声をかけようとした大海はその声を飲み込んだ。先に彼女に声をかけた相手がいたからだ。 先輩だろうか、人覚えの良い大海にも見覚えのない男子だ。声は自分の元まで届かない、それでも雰囲気でどんな場面かわかる。 ――ああ。嫌なところに遭遇したな。 思いながらも大海はこっそり二人に近づいた。階段の下の物陰で立ち止まってようやく届いた二人の声、 「俺と付き合ってください!」 「良く知りもしない相手と付き合う趣味も義理もない」 思った通りの告白と、 思っていた以上に強烈な切り返しが聞こえた。 ……うわー。手厳しいです紫サン…… 衝撃を受けながらも大海はホッとする。 彼女は未だ誰のものでもない。そして彼女に惹かれる者は多いのだ。自分を含めて。 だから、彼女が断固、相手を拒否してくれるなら、それが今のところ一番安心できる。 気分が浮上しかけたところへ、相手がさらに問いかける声がした。 「じゃあやっぱ、背の高い一年と付き合ってるって噂、マジ話なんすか?」 「……はぁ!? 何ソレ?」 「いや……そういう噂があって、だからダメなのかなって……」 自分と彼女が噂になっていることは知っていた。むしろあれだけアプローチをかけていたら、噂にならない方がおかしいだろう。 だが彼女は今の今まで噂を知らなかったらしい。そういうことに無頓着な彼女らしいといえば彼女らしいが。 そしてそれに対する彼女の答え。 「ないないない。アレはない。アレはただの後輩だ」 ――わかってはいたがショックだった。自分は彼女の視界に居るだけで、男として認識されていないと言われたわけだから。 そこから後の会話はハッキリと聞き取れず、間を置かずして階段を下りてくる足音がした。大海は慌てて身を小さくする。階段を二段飛ばしに駆け下りてきたのは紫で、大海の方には気を配ることもなく教室の方へ駆けていく。 取り残されているであろう男子とすれ違うのも嫌で、大海は紫が出て行った出入口から一旦旧校舎を出た。 中庭はいつも綺麗に手が入れてある。麦わら帽子の用務員が草むしりや庭木の手入れをしているのを時々見かけるが、暫く前に紫から自習を申しつけられた際、文芸部の皆が花の植え替えをしていたのを、窓から見ていた大海は知っている。 紫が作業をしていた辺りには、淡い紫色の花が植えてあった。そっと撫でると、立ち上る芳香。嗅いだことのある香りが、知らなかった花の名を教えてくれた。――ラベンダーだ。 癒される香りをいっぱいに吸い込んで、それから大海は大きく息を吐き出した。 本当の紫は照れ屋だから、容易く本心を吐露しないことはわかっている。 それでも聞いてみたかった。自分のことをどう思っているのか。 本当にただの後輩でしかないのか。それとも、ほんのちょっとでも、違う何かを感じてくれているのか。――後者だと思うのは、自分の願望でしかないのだろうか。 再びラベンダーを撫でると、良い香りが漂った。触れたら触れただけ同じ香りを返してくれるこの花のように、紫も素直な気持ちを返してくれたらいいのに。……たまに、でいいから。 大海はまるで紫自身を慈しむかのように、もう一度ラベンダーを優しく撫でた。ふわん。柔らかな香りを纏って立ち上がった大海は、部室に向かってゆっくり歩き出した。 本当は、彼女に癒やしてもらいたい。 でも彼女は、まるでトゲトゲのサボテンのよう。 ――その花が綺麗なことだけは、良く知っているのだけれど。 |