告白と変化と自己の崩壊



 


「俺と付き合ってください!」
「良く知りもしない相手と付き合う趣味も義理もない」



 放課後、部室に向かおうと旧校舎の階段を上っていたら、二階に上がったところで知らない男子に声をかけられた。
 ちょっと時間もらえますか。そう言われたので、ちょっとだけならと返すと、名乗られた後に告げられたのが冒頭の言葉で。
 ――私はその言葉をバッサリと切り捨てた。

 ああ返せば殆どの相手は引き下がることを私は知っている。
 食い下がる気なら『まずは友だちから』などと言えば良いだろう。私はそう思っているのだが、誰もそう言わないところを見ると、何となく恋したような気分にほだされて告白してくる輩ばかりのようだ。……くだらない。
 私はあからさまにガックリした表情を浮かべるナントカ君(名前忘れた)を省みることなく、さらに階段を上ろうとした。

 その背中に――今日は声がかけられた。






「じゃあやっぱ、背の高い一年と付き合ってるって噂、マジ話なんすか?」






 踏み出しかけた私の足がピタリと止まった。



「……はぁ!? 何ソレ?」

 振り返りナントカ君に詰め寄ると、彼はあからさまに怯えた表情になる。

「いや……そう言う噂があって、だからダメなのかなって……」



 背の高い一年。その条件に該当する人間を私はひとりしか知らない。――アイツか。



「ないないない。アレはない。アレはただの後輩だ」

 そこは断固完全否定しておく。アイツは――北条は確かに、過ぎるほどに懐っこい後輩だが、アレと私の関係はただの先輩後輩でそれ以上でも以下でもない。

「……じゃ、じゃあ他に誰か好きな人とかは……」
「いない」
「なら俺にも一縷の望みとか……」
「女々しい男は嫌いだ。じゃあな」



 私は踵を返した。そして今度こそナントカ君を置き去りに階段を二段飛ばしに駆け下りると旧校舎を飛び出した。
 多分まだ、教室にいたはず。仮に出ていたとしても途中ですれ違うだろう。
 彼女は、この噂を、知っていた筈だ。



「アリカのヤツ……!」






 アリカを見つけたのは2−Aの教室を出てすぐの場所だった。鬼気迫る勢いで現れた私を見ても顔色一つ変えることはなく、部室へと向かう足を止めることもない。

「どうして教えてくれなかったんだよ!?」
「んー? どの話を?」

 廊下を歩きながらとぼけるアリカに詰め寄ると、彼女は冗談や、と笑った。

「文芸部の後輩クンとの噂やろ? いつになったらゆかりん、気づくんかなあ思て。かれこれ三週間になるから、結構かかってんな」
「そんなに……」

 私は目眩を覚えた。全く、どいつもこいつも。
 どうして人の噂を面白おかしく吹聴したがるんだ。

「アリカ……知ってたなら教えてくれよ!」
「どしたん? ゆかりんらしゅーもない。今までは、別に人にどう言われとっても気にしとらんかったやん」
「……それは……」

 アリカの言うとおりだ。今まで私は人に何と噂されていようと、我関せずでいられた筈なのに。
 ――北条が絡むと、自分が自分でいられなくなる。



「気に入らないだけだ」
「噂が? 彼が?」
「両方だ!」

 私は叫んだ。すれ違った誰かが私たちに視線を向ける。――ああもう!



 私はアリカを引っ張って、渡り廊下から中庭に出た。素直について来たアリカはだが、足を止めるなり私に辛辣な言葉を投げた。

「紫。ウチはただ情報を集めるんが好きなだけで、情報の統括者やないんやで。それなのにウチに八つ当たりされても困るわあ」

 見抜かれていたことにギョッとなる。
 噂を聞かされて。動揺して。
 アリカならこんな噂止められただろうと、反射的に思って彼女を探した。もちろん彼女には何の落ち度も有る筈もなく。

 噂はあくまで、噂なのに。
 真実は私の中にしかないのに。



「……悪かった、アリカ」

 謝った私を彼女が下から覗き込む。彼女の大きな瞳は、悪戯っぽく輝いていた。……ん?






「で? 噂やのおて真実はどうなんや?」



 ……やっぱりアリカはアリカだった。

「アイツはただの部の後輩だ。それ以上でも以下でもない」
「ふーん?」

 私の答えに彼女はあっさり引き下がる。それに私は拍子抜けした。

「ふーんって……それだけ?」
「今はな。せやけど三カ月後に同じ質問したら、ゆかりんの返答がどう変わるんか楽しみやわ」

 ほなまた。アリカはそれだけ言い残すと、ヒラヒラと手を振って旧校舎に入っていった。



 ――答えが、変わる?

 取り残された私の頭を、アリカの残した言葉がグルグル回る。
 どう変わる? 変わるはずはない。でも。

 『絶対』と、断言できなかった。






告白と変化と自己の崩壊



 北条は、私が私だと思っている私を呆気なく壊してしまう。
 ……堪らなく怖かった。自己の崩壊をもたらす彼が。

 それなのに私は、北条が居なかった頃の私を、もう思い出せなくなっていて。



 ――お願い。誰も私を変えないで。

 誰にともなく願っていた思い。
 でも私は変わってしまった。

 この事実を受け入れるのか。
 それとも受け入れないのか。

 それはまだ、私にも、わからなかった。


 
日常 かんな 志乃 なの 紫1 
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