暴言と褒め言葉と理解不能な彼



 


 放課後の第二図書室で、北条に付き合うのが日課となって暫く経った。

 今日はホームルームの後、担任に頼まれた用事を片付けていたので少し遅くなった。図書室の扉を開けると北条はもう来ていて、広げた新聞に目を遣りながらノートにシャープペンシルを走らせていた。
 ちは、と声をかけると、顔を上げた北条はいつもの笑顔でこんにちはと挨拶を返す。挨拶するとき必ず相手の顔を見るのが北条の習慣らしい。
 だが今日は、挨拶に続いてあれ?という声がした。



「今日、紫サン髪結んでませんでしたっけ?」
「……どうして知ってる?」

 今日は北条に会うのは初めての筈だ。
 と言うより彼に会うのは専ら放課後で、登校時も休憩時間も顔を合わせることは滅多にない。

「今日の五時間目、グラウンドで体育だったでしょう? 紫サン足早いですねー」
「……ちなみに北条、その時間は何を?」
「僕は現国でしたけど。あまりに眠かったから窓から外を眺めていたら、紫サンが見えたので」
「…………授業中は黒板を見てろ、頼むから……」

 しかもよりによって現国の時間。文章力を上げる気があるのかと問いたくなる。が。

「だってあのハゲリンの授業、さっぱりわかんないんです!」

 続く言葉に納得した。頭に著しい身体的特徴がある件の現国の教師には、昨年自分も教わった。授業がちっとも面白くなかったのは記憶に新しい。

「紫サンが教えてくれた方が、よっぽどわかりやすいんですよ」

 お世辞でも嬉しかったので、教師に対する暴言は聞かなかったことにした。






暴言と褒め言葉と理解不能な彼



「で、どうして髪結んでないんですか?」

 結局そこに戻ってきた。何がそんなに気になるのかわからないが、別に隠すようなことではないので私は答えた。

「ああ……落としたんだよ」
「落とした?」
「うん。ゴム緩んでるな、って思って結び直そうとしたらもうなかった」
「なるほどー。滑って落ちちゃうんですね」

 納得したらしい北条が私に手を伸ばした。身長に見合う長い腕が容易に私の元まで届く。サラリ。その指が髪をそっと触るに至って――私は声を上げた。

「何!?」
「やっぱり。紫サンの髪って綺麗だけどちょっと扱いづらそうですね」

 彼の言葉が美容師か何かのそれのように聞こえて、私は内心首を傾げる。続く言葉でその疑問は氷解した。



「あ、僕、家が美容院なんですよ。時々手伝ったりもしてるんで、髪のこと、少しはわかります」

 ……それ男子高校生のスキルとしてどうなんだ。

 そう考えたところで北条の手が未だ私の髪を弄んでいるのに気が付いた。
 何だろうな。何というか……嫌だ。
 パーソナルスペースを割ったこの距離が。



「北条。いい加減放してくれ」
「えー」
「えーじゃない」

 髪を奪い返そうとして、払いのけた手が北条の腕を叩く。あ。叩くつもりはなかったのに。
 なのに何故か北条は楽しそうに笑った。

「容赦ないですねー、紫サン」

 だから何故それを満面の笑顔で言う。
 謝ろうとする意識は、だが北条の次の言葉で霧散した。



「ひょっとして……抱きしめたりしたら拳が来ます?」






 ……さあ私は何と答えればいいのだろう。

 @ YES
 A そんなことは無い
 B 今ここで鉄拳制裁



「……って言うかそんなことするな!」

 全力で叫んで私は決めた。

「お前相手に加減はしないことにする! 私にちょっかいかけたら全力で返すからな!」

 目を見開いた北条は、また嬉しそうに笑った。



「わかりました。僕も全力でお相手します」



 だから何故笑う!
 そしてその意味深な言葉はなんだ!

 それでもコイツに付き合う、自分の忍耐強さを誰か褒めてくれ。私は切実にそう思った。


 
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