日々感思流汗之行5 |
「久しぶりだからな、やっぱりなまってるよ」 小さなお弁当箱からミートボールを拾って、それを口に放り込みながら紫サンはそう言った。 昼休憩の文芸部の部室である。今日は風があるので、窓を開けていると気持ちいい。暑いのが苦手な彼女が元気なのは、そのせいもあると僕は思う。 ──それだけなら良いのに、とも。 「一緒にやってた皆は先に行ってしまってるからな、そこも埋めなきゃいけないし。……びっくりしたな。皆、すごい上達してる。小学校から一緒の奴とか、今年は地区大会でひとつも負けてないらしいし」 ──僕の知らない誰かのことを語る彼女の顔はとても満ち足りていて。 それが面白くなくて、……淋しかった。 僕が知ってるのは、この半年間の彼女だけ。 それだけしか、知らないから。 ──だから、無意識に本音が溢れていた。 「僕もっと早く紫サンに出会いたかったなあ……」 脈絡のない言葉に、彼女は目をパチクリさせた。 「なんだ、藪から棒に」 「一緒に剣道できたら楽しかっただろうな、とか、今更思ったりしたんです。だって紫サン、すごい楽しそうなんですもん」 「そうだな、楽しいよ。でもお前と一緒にするのも楽しそうだ。……今から始めるか?」 「いえ……多分、時間が取れないかと」 「残念だ」 クスクスと笑いながら、だけどそこだけは本当に残念そうだったので、僕の気持ちが少し明るくなる。 ……そして、自分の心の狭さが嫌になるのだ。 「新人戦って、いつでしたっけ?」 「三週間後の土日だな。ちゃんとベストを尽くして、それから戻ってくるよ。学園祭もあるしな」 「そうですね」 (早く……早く、帰ってきてください) (僕は、いつも通りを望んでるんです) ──笑顔の僕の心の内を、彼女はきっと、知らない。 昼休憩に呼び出しがかかったのは、それからしばらく経ってからのことだった。 「北条ー、ご指名だよー」 声をかけてきたのはクラス委員の横山。……ここにサッカー部の彼女募集中二人がいなくて良かった、と思ったのは、相手が女子だったからだ。だって絶対やかましいもん。 ここじゃなんだから、と、先に立って歩く彼女に僕は見覚えが無かった。身長も体格もごく標準的。癖っ毛をショートカットにしていて、スポーティーな印象を受ける。きびきびとした律動的な歩みは、少し紫サンと似たものを感じた。 「ここで良いかな」 彼女はそう言って振り返った。人気のない廊下の片隅だ。向き直るとすぐに飛んできたのは、何やらこちらを値踏みするような視線。 ……落ち着かない。 「ええっと……僕に、何の用ですか?」 「ああ、ゴメンね。あたしは2ーCの大野とも佳。一応、初めまして、と言っておこうかしら。1年A組、北条大海クン?」 彼女が僕に向ける視線は、好意のそれとは程遠い。呼び出された理由に思い至らず内心困惑する僕に、彼女は、少しだけ口角を上げてから続けた。 「……あなたには、『女子剣道部主将』と言った方がわかりやすいかしら」 成る程。それで合点がいった。 「紫サンに、助っ人を依頼した方ですか」 「そうよ。そして中学時代の剣道仲間でもある。……今もね」 「それで、僕に何の用ですか」 さっきと同じ質問を、僕は繰り返す。相手の素性は知れた、だけど何の用件があるのかわからない。 彼女は笑った。そして続けた言葉は、全く予想外のものだった。 「──北条大海クン。あたしはあなたに戦線布告しにきたの。 あなたには悪いんだけど、紫は剣道部がもらうから」 ──彼女の言葉は理解不可能で。 「どういう……ことですか」 僕はその問いを、やっとのことで絞り出した。 対する彼女は、不敵な笑みを浮かべてみせる。 「紫が文芸部なんかで埋れてるのは、あまりにも惜しいのよ。助っ人なんて勿体無い。紫にはこのまま、剣道部に正式入部してもらうわ」 一拍。二拍。少しずつ、少しずつ、目の前の彼女の言葉が頭に染みてくる。 そして頭が彼女の言葉を理解した時、僕は思わず叫んでいた。 「そんな、手前勝手な……!」 「そうね、手前勝手だわ。でもあたしは卑怯な手を使うつもりはないわよ。このまま剣道の楽しさを思い出してもらって、その上で正々堂々、口説き落とすつもりだから」 ニッと笑った彼女はそのまま踵を返した。そのまま歩み去るのかと思ったら、そうそう、と思い出したように付け加える。 「……剣道部は、恋愛ご法度だから。だから『あなたには悪いんだけど』って言ったのよね」 彼女はそれっきり、僕を顧みることはなかった。 ……なに、それ…………? 空いた口が塞がらないとはこのことだ。 大野先輩は紫サンを剣道部に引き抜くつもりで。 もし万が一紫サンが引き抜かれちゃったりしたら、恋愛はご法度な訳で。 ……そうしたら、ひょっとしなくても、紫サンと別れなきゃいけなくなる……? (それは、困る) だけど彼女の賢いところは、やり方が強引だとはいえ、何の裏も問題もないように事を運んでいることだ。 ただ剣道と、剣道部と言う環境を使って、真っ向から紫サンを口説き落とすつもりなのだ。 そして紫サンが是と言えば、全てが決まってしまう。……僕の望まないように。 (僕は……何をすれば良いんだろう) 剣道部の助っ人なんて今すぐ止めて、って声を大にして言いたい。 ずっと僕の側に居てって、恥も外聞も無く懇願したい。 でもそれは紫サンの望むところではなくて。 それにそんなことを言えば、困るどころか怒らせてしまうだろうことも、また目に見えていて。 (どうしたら、良いんだろう……) 僕は胸の奥につかえた苦々しい塊を吐き出すように、大きな大きなため息を吐いた。 |