ただ、それだけ



 


「誕生日おめでとう、吉野」
「あ……ありがとう、ひーくん」

 俺の言葉に、彼女は少しはにかみながら微笑んだ。
 常にない、可愛らしい仕草に、俺の口元も思わず綻ぶ。

「今日は特別に、お前の言うことを何でも聞いてやるからな」
「え……何でも……?」
「ああ、何でもだ」
「ほ、ホントに?」
「疑り深いな。早くしないと聞かないぞ」
「きゃあヤダそれはヤダ! えっと……えっと、じゃあ、────」

 彼女の願いを聞いた俺はニコリと笑った。そんなのは容易いことだ。

「ああ、いいぜ」

  そして吉野を抱き寄せると、目を伏せた彼女にそっと顔を寄せ──






「ってダメだダメだ絶対ダメだ!」



 ──俺はそこで目が覚めたのだった。






 朝からどっと疲れた俺が、ふらふらと家を出て向かったのは、学校の弓道場だった。
 部活は盆で休みだが、学校も弓道場も開放してあるのだ。乱れた気持ちを統一するには弓を引くに限る。

 ──こんな時間、こんな日に、誰もこんなところにいるはずがない。

 そう思っていたので、何か声らしき音が聞こえた時、俺は思わず眉をひそめた。そして、



「……来るっ!」

 叫びながら矢を放った相手を、声で、そして姿で認識して、俺は本気で驚いた。
 まさか、



「って、アレ? マジでひーくん来ちゃったし。これって夢? それとも夢?」

 ……普段なら呼びに行ったって来やしないのに。
 なんで、どうして、今ここに吉野がいるんだ。



「……いろいろと言いたいことも聞きたいこともあるんだが。
とりあえず、矢を射る時に奇声を発するな」

 なんだか色々動揺しまくった俺の第一声は、極めて間の抜けたものであった。






「で。お前はここで何をしていたんだ?」

 気を取り直して俺が問い直したのは、吉野が放ち終わった矢を回収してきた後のことだった。
 極めて真っ当な問いかけだったと思う。それなのに、吉野は何故か激しく動揺した。

「え!? え、えーとね、秘密!」
「何をしていたんだ?」
「えーと、だから……」
「何を、していたんだ?」

 目を逸らす吉野に必要以上に近寄りすぎていたことに気づいたのは、……あのね、弁明をする彼女の声の近さでだった。ギョッとなって反射的に彼女と距離をとる。そして俺の一連の行動に、吉野が気づいていないことに安堵した。

「その、だからね……占い、してたの」
「占い?」

 ……全く以って意味がわからない。

「ほら、花占いってあるじゃん。あんな感じで、ひーくんが来る、来ない、って、矢を……」

 返事の代わりに、俺は思いっきり吉野にゲンコツを降らせてやった。

「いったーい!」
「痛くしたんだ! 煩悩にまみれたまま弓を引くな! そもそも、神聖な弓道を意味の分からん占いに使うな!」
「でもでも聴いてひーくんすごいんだから! 本当に、最後の一射でひーくんが来たんだから! ちゃんと占い、当たったんだか……」

 俺はさっきと同じところに、もう一発ゲンコツをくれてやった。

「いったーい! ひーくん横暴!」
「ひーくん言うな。それで、俺に何の用だ」

 吉野の声を無視して、俺は俺の問いを投げかけた。
 吉野はすぐに話を脱線させるから、話をスルーしてやるのがいいよ。というのは何故か吉野の扱いがうまい北条の言葉だ。それに則って問うた俺のその言葉に、ようやく本題を思い出したのだろう彼女は、珍しいことに暫し躊躇った後、意を決したように質問を返してきた。



「ひー……下野くん。今日って何の日か、知ってる?」



 ──ああ、成る程。
 それで、俺は吉野の謎の行動の理由がわかった。そして、彼女が欲しているものも。

「……お盆だな」

 意地の悪い答えを返したのは、もちろんわざとである。

「そうだけどそうじゃなくて!」
「それ以外に何かあったか?」
「あるの! 今日は──」
「誕生日おめでとう」



 噛み付く吉野に被せるように、ひとことだけくれてやる。
 プレゼントなんて用意してないし、してやる義理もない。かといって、夢のように『何でも言うことを聞いてやる』なんて言えるはずもない。
 けど、このくらいは。彼女が欲していた、この一言くらいは。

 俺は、そのまま踵を返した。
 追ってくる足音も、呼び止める声も聞こえない。だからそのまま学校を後にした。
 ──疲れも、気持ちの乱れも、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。









 ──家をコッソリ抜け出したのは、まだみんなが起きだす前のことだった。
 『ちょっと出かけてくる』と書き置きして、携帯は家に忘れていった。もちろん、わざと。
 そうして学校で待ったのだ。弓を引きながら。
 会えるなんて、確信もなかった。でもここでないと、会えないとも思った。
 だから、待った。そして、会えた。

 全ては、



「誕生日おめでとう」



 そのひとことを、言ってもらうため。
 大好きな彼に、今日一番に言祝いでもらいたかったから。
 彼は知らない、だけど、

(お父さんお母さんより、お兄ちゃんたちより、誰よりも早く、あたしに「おめでとう」をくれたんだよ?)

 それが、何よりのプレゼントなんだから。



ただ、それだけ
(でもそれが欲しかった)



 
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