書くことと読むことと決意表明 |
とりあえず、ひたすら書かせて読ませよう。 とにかくひたすら文章に触れさせよう。 かんなちゃん曰わく『残念クオリティ』な北条の文章力。 それを向上させる手段として私がたどり着いた結論は、結局ごく単純で基本的なことだった。 次の日、放課後。 文芸部の部室にやってきた北条を、私は部室の隣にある第二図書室に連れていった。 物珍しそうにあたりをキョロキョロ見回す彼を促して窓際の席に座らせる。そして対面に腰を下ろすと、早速だけど、と前置いてから切り出した。 「今日から北条にやってもらいたいのは、書くことと、読むこと。この二つ」 北条は何も言わず私の言葉に耳を傾けている。眼鏡の向こうから真摯な瞳で見つめられて、私は鞄に手を伸ばす名目で視線を逸らした。 鞄から新聞とノートを取り出し、年季物の机に新聞を広げる。そしてある一点を指差した。 「書くことは……とりあえず、毎日これを書き写してもらおうかと思ってる」 私が示したのは一面の下部にあるコラムである。 一面コラムは新聞によってタイトルが異なるが、最近のニュースや話題を題材に書いてあるのは変わらない。書き手によって切り口や表現方法が異なるのでおもしろいしためになる。 「自分の文字で書くことは、パソコンで文字を打ち込むよりずっと体感として残ると思うんだ。だから自分で書いて、いろんな表現の仕方を覚えて、それが身についていったらいいと思う」 原稿用紙一枚程度の文だから、書き写すのにそんなに時間はかからないだろう。そう考えながら、これに書いてねとまっさらなノートを手渡した。最近では一面コラムを書き写す専用のノートもあるらしいが、勿論そんなものはないので普通の大学ノートである。 「それから、読むのは北条が読みやすいものからでいいと思う。ただシリーズ物や同じ作家の本を読むんじゃなくて、いろんな人の本を読むようにしよう。……これはあとで北条の読書傾向を聞いて……」 北条はずっと私の話を聞いていた。最後まで聞いて、それからようやく口を開いた。 「紫サン」 「何?」 「文章をうまく書くのに、何かコツってあるんですか?」 「うーん……」 私は唸った。一番重要で一番難しいことを聞かれた気がする。 好きで書いているだけの素人である私が、そんな大それたアドバイスをしていいものか。そもそも自分だってうまく書いている自信はないのだ。 ただ、私が常に心がけていることは―― 「……うまく書かなくていいから、丁寧に書くこと、かな」 その答えは北条の意表を突いたようだ。首を傾げる彼に、私は続けて言った。 「とにかく間違いはないように気をつける。誤字脱字を無くす。おかしな言い回しを使わない。そうすれば、少なくとも読みやすい文章は書ける。 それだけ踏まえて書きたいように書けばいい。変にうまく見せようと気取った読み辛いモノを書くより、その人らしい読み易いモノを書く方が、私はおもしろいと思うし、読みたいと思うから」 これはあくまでも個人的な考えだけどね。そう最後に付け加えると、北条はハイと頷いた。 「紫サン。僕、頑張りますね」 「うん。頑張れ」 笑う北条に笑顔を返すと、またジッと見つめられた。なんだか既視感。 「どうかした?」 ――あ。入学式の時だ。 あの時もそう尋ねた気がすると、口にしてから気がついた。 「ひとつ、訊いても良いですか?」 「……何?」 「どうして紫サン、『可愛い』って言われるの嫌がるんですか?」 訊かれると思った。 そして私はその問いに対する答えをちゃんと持っている。 「そんなの決まってる。私が可愛くないからだ」 「どうしてそう思うんですか?」 「可愛い女の子という概念に、自分が当てはまらないからだよ」 『紫は生まれてくる性別を間違えたね』。 何度となく言われたその言葉。そして私はそれを否定しない。だって自分でもそう思っているから。 年の離れた姉は母替わり。遊び相手は専ら弟やその友だちで、可愛らしさとは無縁に育った。 だけど大きくなるにつれ、体格も体力も男子にはかなわなくなった。かといって培われた性格や言動は変わりようもなく――そのまま今の私になった。 かんなちゃん志乃ちゃんなのっち。可愛い女の子って言うのは彼女たちみたいなのを言うんだ。私はカッコいいって言われた方が嬉しいし似合ってる。 なのに。 「……なんだ。紫サン、自分が本当は可愛い女の子だってこと、知らないんですね」 コイツはこんなことを言うのだ。 私は眉間に皺を寄せた。 「あのな。可愛いって言うのはかんなちゃんたちみたいな娘のことを言うんだ。私なんかどう見ても可愛くないだろ?」 「いいえ。紫サンは可愛いですよ」 真顔でそんなことを言うものだから。 私は机に突っ伏したくなった。否、実際に突っ伏した。その横で北条が何やら決意表明を始めている。 「僕、決めました。 紫サンの知らない紫サンの可愛いところ、紫サンにいっぱい教えてあげますから!」 「はァ?」 思わず素っ頓狂な声が出た。一体コイツは何を言い出したんだ。 「結構だ!」 「そしたら絶対、紫サン、もっと自分のこと好きになれますよ?」 「……そう言うのを有り難迷惑って言うんだ!」 私は耐えきれずに叫んだ。 その大きな声だけが、静かな図書室に響き渡った。 |