日々感思流汗之行1



 


「紫、お願い!」
「モカ……そんなこと言われてもな……」
「あたしとあたしたちを助けると思って、ね?」

 今にも土下座せんばかりの勢いで頭を下げる友人──モカこと大野とも佳を前にして。
 私は困惑のため息を漏らしたのだった──







 『日々感思流汗之行』
日々ものを感じ、
日々その事に思考をめぐらし、
日々懸命の汗の行を怠ることなかれ──







「かんなちゃん。悪いんだけど、暫く部活をお休みしてもいいかな?」



 夏休みが終わって、最初の部活。
 あまりにもいきなりな爆弾発言に、僕も、部室にいた他の女子たちも目を点にした。

 ──部活大好きな紫サンが部活お休み? しかも暫くって……長期??
 何それ。そもそも僕、聞いてないんだけど。



「どーいうことですか!?」

 一番に噛み付いたのは吉野だった。それにかぶせるように、相澤先輩も訊ねる。

「まず理由をききましょうか」
「剣道部の友人に頼まれたんだ。今度の新人戦の助っ人に出て欲しいって。それで……」
「学園祭も近いんだけど……大丈夫なの?」
「それを承知の上で受けた。皆には迷惑をかけないようにする」
「……紫サンは剣道部員じゃないでしょう?」

 と、これは僕。些かムッとしたような口ぶりで、紫サンは返してきた。

「女子剣道部は人数が少なくて、団体戦ですらフルメンバーで組めないんだ。新しい部長はニ年一人で頑張ってる。彼女の頑張りに水を差したくない」
「紫ちゃんがそれでいいなら、アタシには否やはないんだけど」

 あっさりと是を唱えたのは佐伯先輩だ。僕は慌てた。このままじゃ、ただでさえ少ない紫サンとの貴重な時間が、今以上に少なくなってしまう……!

「そんな……紫センパイ、なの淋しいでしす!」

 ──今日は許す。存分にアピールしてくれ吉野。

「なのっちは弓道部にも出るんだろう? 格技場は隣だから、覗けばすぐに見えるぞ?」
「ど……道着袴姿の紫センパイが?」
「ああ」
「そ……それはおいしいです!」

 ……あっさり丸め込まれてるし。使えないなあ吉野。

「わかったわ。じゃあ頑張って、紫ちゃん。部からの連絡事項は随時回すから」
「かんなちゃん、皆、ありがとう」



 ──僕の意見なんて顧みられることもなく。
 紫サンの休部はあっさり決定したのだった──







「承服できません」

 僕の言葉に、彼女はキョトンとした顔をして、それから気まずそうに目を伏せた。
 場所を第二図書室に移して、二人きりになった後のことである。すまない、紫サンの小さな声は、だけど静かな図書室でははっきりと聞こえた。

「お前に何も言わなかったこと……怒ってるよな?」
「そりゃ、ね。言ったら僕が反対すると思ったんでしょう?」

 無言が僕の言葉を肯定する。僕はため息を吐いた。

「反対はしますよ。でも何も言われない方がヘコみます」
「そうだよな……すまない」
「謝らないでください。僕、何も言えなくなっちゃうから」

 腰を屈めて、紫サンと目線を合わせた。そっと手を握ると、僅かに身じろいだ彼女はでも、逃げようとはしなかった。

「……北条」
「はい?」
「あの……な。私だって……その、お前と…… ……」



 言葉途中で彼女の声は途切れた。だけど、続く彼女の言葉は解った。──唇だけは、確かに声にならない言葉を紡いでいたから。
 ──自惚れじゃない。
 彼女は『一緒に過ごせなくなるのは淋しい』と、確かにそう言ったのだ。



「それでも私は……決めたんだ。だから、できたら反対しないで欲しい。相談すらしてないのに、都合良いお願いだとは思うんだけど……」
「……もう。かなわないですね、紫サンには」

 僕は苦笑した。……それしかできなかった。
 その顔を見て、おずおず、と言った風に、彼女が上目遣いに僕を見てくる。これを計算なしでやってるんだからタチが悪い。

「それとな、北条。……もう一つだけ、私の我儘を聞いて欲しいんだけど……」



 ──そう前置きして言った彼女の『我儘』に、僕は目を丸くした──






「北条くん。気持ち悪い」

 吉野の暴言にも僕の上機嫌は揺るがない。

「そう? いつも通りだと思うけど」
「いつも以上に気持ち悪い! なんなのその上機嫌っぷりは!?」
「秘密ー」
「どうせ紫センパイがらみなんでしょ!? くあームカつく!」

 プリプリする吉野はいつものことなので気にもならない。僕は吉野の声を騒音として聞き流しながら目を閉じた。脳内で再生されるのは、言うまでもなく紫サンの声──



『……明日から、お前の昼休みを私にくれないか』
『え?』
『放課後の代わりには到底ならないだろうけど……駄目か?』



「ねえ吉野」
「……何?」
「甘える紫サンって、なんであんなに可愛いんだろうね」
「何その最大級のノロケ! ムカつきマックス!」

 今日一番の怒号が、文芸部の部室に響いた。



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