椎名的方法論 -3-



 


 ゴンゴンゴン、賑やかしいノックの音は、普段ここを訪なう人のそれとは大分違う。
 だけど今日はそれこそ椎名の待ち望んだ音であった。開いてるよ、ボソボソと返した声とほぼ同時に扉が開く。
 椎名は思う、果たして自分の返答は彼女に届いたのだろうか?



「失礼します」
「……待ってたよ。見つかった?」
「あったよ。どうしてたか忘れてたんだけど、母さんに聞いたらちゃんとしまっていてくれていた」



 笑顔の彼女がゴソゴソと鞄を漁る。そしていかにも重そうなハードカバーの間から、何かを取り出して椎名の目の前に差し出した。



「ほら……これ。完品だろう?」
「……すごい。綺麗に、七枚だ」

 彼女の持つ小さな栞を、椎名は顔を近づけてまじまじと眺めた。
 大きさがほぼ等しい七枚の小葉が、重ならないよう見目良くなるよう、慎重に押し葉にしてあった。それを、台紙に貼りつけてラミネート加工してある。あけた穴に通された、色褪せたピンク色のリボンが、過ぎた年月を示しているようだ。

「……触っても?」
「もちろん」

 壊れ物を扱うかのように恐る恐る受け取ると、椎名はあらゆる距離と角度から、七枚の小葉を持つクローバーを眺めた。たまらない高揚感。自然が生み出した生命の神秘。偶然が折り重なって生まれた奇跡を、今、自分は目にしている──



「……志乃にも、見せてあげたいな」



 呟きを耳敏く拾った紫が、そうだな、と同意して、それで椎名は自分が想いを口からこぼしていたことに気がついた。

「ええと……あの」
「見せてあげたらいい。志乃ちゃんも喜ぶ」



 ──彼女の言葉が椎名は理解できない。
 七つ葉を見せてあげたら、志乃が喜ぶかも知れない。思ったのはそれだけ。『かも知れない』、ただそれだけだ。なのに彼女は、さも当たり前のように言うのだ。

「どうして……そう思えるの?」

 問うた言葉に、彼女は口を開きかけて閉じた。そして暫し考えてから、逆に問い返された。

「……そうだな、逆の立場だったら、椎名はどう思う?」

 彼女の言葉に、椎名は黙考する。
 志乃が七つ葉を見て、自分と彼女の間の、小さな思い出を思い出したら。
 そうしてそれを自分と共有しようとしてくれたら。
 それはとても──

「……嬉しい」
「だろう? 同じことだよ」



 ──笑う彼女の言葉は淀みない。
 どこまでも真っ直ぐ自分に届く。

 椎名は照れくさくなって再び栞に目を落とした。そしてふと、裏面に何やら書き付けてあることに気づく。
 ミミズののたくったような子どもの字、最初の方はかなりかすれていて読めそうもなかったが、後半部分は読めそうだし解読も出来そうだった。
 椎名は真剣な眼差しになって栞を見つめた。ええと、これは……『た』……いや、『だ』……






「……『だい……すき』」

 椎名がかすれた文字を拾い読むのと、



「……あ」

 その言葉に紫が目を見開き、次いで頬を赤らめるのと、



「「…………!」」

 そおっと部屋に入ってきた、志乃と大海がちょうどその言葉を耳にしたのは、同時だった。






「ヒロくん……志乃?」

 不意の闖入者に、椎名が細い目を見開いた。どうしてここに、二人が?
 状況を理解できない椎名と紫に対して、彼らの動きは素早かった。急の展開についていけていない紫を、眉を寄せた大海が自分の腕に抱き込む。そして志乃は椎名の前に立って肩を怒らせた。



「先生……一体どーいうことですか!?」
「志乃、なんで怒ってるの……?」
「だって、ゆ……紫ちゃんに、大好き、って……!」
「いかに先生といえども、紫サンは渡しませんからね。紫サンは、僕の、ですから!」



 椎名はパニックに陥った。なんで二人とも怒っているんだろう? ただ、大好きなひとたちの大好きなひとと、話をしていただけなのに──






 ──その沈黙を打ち破ったのは、時ならぬ笑い声だった。



「くっくっく……アッハハハ!」

 それに驚いた三人は、一斉に笑い声の主を──紫を見た。殊に椎名は混乱を加速させる。わからない。解らない。分からない。



「……どうして笑うの」

 不機嫌に問うた声が、志乃でも大海でもなく自分のものであったことに、椎名はまた驚いた。
 笑いながら、紫は椎名ではなく志乃に向けて言った。

「いや。志乃ちゃんは可愛いなあと思って」
「な……なんでそうなるのよう!?」

 全くだ。怒る志乃に同意したいと椎名は思う。彼女はやっぱりさっぱりわからない。

「志乃ちゃん、私に妬かなくても大丈夫だよ。椎名の言葉の意味は、ちゃんと椎名が答えるから」
「僕は僕が納得するまで紫サンが説明してくれないと駄目ですからね」
「……わかった、北条。私が説明すればいいんだろう、私が?」
「はい。じゃあ行きましょう」

 紫の手を引いて部屋を出て行こうとする大海を、椎名は慌てて追おうとする。それを、紫が止めた。

「椎名。貸したものは、あとで取りにくるから」



 手のひらの中のものを思い出し、椎名は思わず足を止めた。その間に、大海と紫の姿は、扉の向こうに消えた。


 
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