空回った想いの行く先は -下-



 


 廊下を歩けば女の子に声をかけられて、貰ったチョコレートの替わりにお菓子の包みをあげてみたりとか。

 通りすがりの会長サンを呼び止めて、さり気なく包みを手渡したりとか。

 椎名先生のラボに立ち寄って、何やら怒声の後懇々と説教を垂れたその末に結局包みを置いていったりとか。

 紫サンは、学校のあちらこちらで、たくさんのお菓子を、たくさんの人に配っていた。



 そして、

 受け取る人が皆笑顔になっていって。

 ……それが嬉しくて、それが嫌になった。



(紫サン……どうして僕のところに、一番に来てくれないの……?)



 一旦部室に寄った紫サンは、そのまま自分の教室に帰ってしまった。そして校内に鳴り響く予鈴。
 そうなれば僕はもう何もできない。鬱々とした気分で自分の教室に帰った。






 そして昼休み。
 わりと早い時間に彼女はやってきた。

 手には朝見た紙袋。教室を覗く彼女を、僕は背中から見つめていた。――ちょうど席を外していたところに、彼女がやってきていたものだから。

「北条ならすぐに戻ると思いますけど。なあ中上?」
「んー、でもいつ帰るとも言ってなかったし。もうちょい時間あけてから来てもらった方が確実だと、オレは思うんすけど」

 応対しているのは松嶋と中上のようだ。そうか、些か残念そうに紫サンは言う。

「わかった、一旦出直すかな……ああそうだ、中上、松嶋、甘いものは好きか?」
「ハイ!」
「目がないっす」
「なら、良ければこれを食べてくれ」

 紙袋からお菓子をふたつ。紫サンがそれぞれにひとつずつ手渡すと、彼女無しチョコの当て無しの二人は当然、喜色満面、といった表情になった。

「い……いいんすか!?」
「いいも何も、そのために作ったんだからな」
「て……て……手作り!?」
「気にするな、ただの趣味だ。さして労力がかかっている訳じゃない」



 感動にうち震える二人に影が差す。途端に笑顔をひきつらせる中上と松嶋の、視線の先に居るのは――当然、僕。

「あ、北条」

 振り返り、笑顔を見せる彼女に、僕は沈んだ声で訊いた。



「紫サン……僕のは?」
「ああ、すまない。今はない」






 ……あっさりと、
 実にあっさりと、彼女はのたまった。

 でもその一言が、
 どれだけ僕に衝撃を与えるか、果たして彼女は知っているのだろうか。






「そうですか……無いんですか……」



 僕は辛うじてそう返した。
 無いんだ。なのに、此処に来たんだ……。






   ピシリ



 うなだれた僕の、おでこに走る軽い痛みに、ぼんやりした意識が引き戻される。
 瞬きをしてクリアになった視界。そこに映った呆れたような顔の紫サンが、呆れたような声で言う。



「勘違いするな北条。『今は』と言ったろう……ああもう、ちょっと来い」

 小さな手に手を取られたかと思うと、見た目以上の力で引っ張られる。
 向かう先が文芸部の部室だと気づくのは、すぐだった。






 部室のいつもの席に僕を座らせて、紫サンは棚の後ろに回る。そこはこの部屋と続きの給湯室で、簡易キッチンと冷蔵庫がある。それらが今でも現役だというのは、部員しか知らないこと。
 紫サンは冷蔵庫からラッピングされた小箱を持ってきた。開けてみろ、促されて僕はリボンをほどく。中から出てきたのは――チョコレート。



「教室に持って入れなかったんだ。溶けるから」
「……溶ける?」
「お前、前に言ってただろ? 『生チョコってどんなのだろう』って……食べてみたいって」



 そう言えば。
 だいぶ前にそんな話をした記憶がある。

 ――覚えてて、くれたんだ。
 そして作って、朝一番に冷蔵庫に入れてくれてたんだ。

 その事実が、朝から空回っていた僕の気持ちを、一息に落ち着かせてくれた。



「お前の口に合えば良いんだが」

 そう言う彼女の瞳は期待と不安が綯い交ぜになった色をしている。食べてみてくれ、訴える視線に、僕は四角くカットされたチョコレートを、添えてあったピックで刺した。そして冷たいそれを口の中に放り込む。

 ――ビターなココアパウダーの中身は、ミルク感とリキュールの風味が絶妙なガナッシュ。
 それが口の中で解けるように溶けていく。

 初めて食べた生チョコは、とても上品な、大人の味だった。



「……おいしい……」



 意識せずに零れた言葉、だけどそれ以外の言葉が見つからない程に、本当にそれは美味しかった。
 紫サンの顔から不安の色が消えた。ほころぶ笑顔は今日で一番素敵だと、贔屓目なしにそう思う。

「良かった。お前が喜んでくれて」
「本当に、美味しいです……ありがとうございます」

 もっとじっくり味わいたいのに、淡雪のように消えてしまう。
 それが惜しくて、僕はふたつ、みっつとチョコを食べた。そんなにがっつかなくても、苦笑する紫サンの声に気がつくと、箱は空っぽになってしまっている。



「あーあ……無くなっちゃった」
「物足りない位が丁度良いんだぞ。食べ過ぎたら、飽きる。だが……」



 そうだな、ひとり頷く紫サンに首を傾げていると、思いもよらない言葉が彼女の唇から滑り出た。






「家にまだ、見目の悪いのが残っている。……そんなに気に入ってくれたのなら、帰りに家に寄って食べていけ」






空回った想いの行く先は



(ところで紫サン。朝からいろんな人にチョコ配って回ってましたよね?)
(ああ、チョコを配るのはいつものことだ。ただ……今年私が『チョコ』をあげたのは、お前にだけだぞ?)
(……え?)
(皆に配ったのはクッキーだ)
(……僕のだけ、特別だったんですか?)
(そりゃあ……北条の、だからな)



 空回った想いの行く先は、

 甘いチョコレートと、それより甘い彼女の言葉。


 
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