空回った想いの行く先は -上- |
バレンタインが楽しみなのは、ものすごい久しぶりだ。 母さんは決して料理の上手い人ではなかったけれど、誕生日とクリスマスには手作りのケーキを焼いてくれていた。それからバレンタインには、チョコレートを使ったお菓子も。 その『特別』が無くなって幾久しく。 バレンタインは、僕にとって意味を為さない日になっていた。 だけど今年は、彼女からのチョコレートを心待ちにしている自分がいる。 (紫サンのことだから、きっと手作りだよね) 紫サンの作るお菓子はどれも美味しいから、本当に楽しみで仕方ない。 (どんなチョコレートだろう……) 普通じゃないのが想像できるから、ワクワクが増す。 だから僕は、バレンタインまでの日を、指折り数えて待ったのだ。 そして、2月14日、バレンタイン当日。 逸る気持ちを押さえられず、気持ち早めに学校に来ると……下駄箱に入っている、綺麗にラッピングされた紙包み。しかもみっつ。 だけどそれは僕のお目当てじゃない。だって彼女が下駄箱に入れるなんて有り得ないし、――宛名の文字が見慣れた癖字じゃないから。 (これ……直接渡してくれたら断れるのに、なんで下駄箱に入れていくかな) とはいえ、置き去りにするのも憚られる。僕はそれをとりあえず鞄に放り込んでから教室に向かった。 と。 暫く前に、見慣れた後ろ姿。手にしているのはいつもの鞄と、何やら大きな紙袋。彼女そのもののように真っ直ぐな長い髪が背中で揺れる。 逢いたい人に、朝一番に逢えた。……紫サン。 早く来て良かった、そう思い声をかけようとした矢先、僕より先に彼女に声をかけた人がいた。 「おはよーゆかりん!」 「ああ、おはようアリカ」 「なあなあ、今日はバレンタインやなあ」 「せっつかなくてもちゃんと用意しているよ。はい」 紫サンは紙袋から小さな包みを取り出すと、それをアリカ先輩に手渡した。受け取ったアリカ先輩が顔をほころばせる。 「ありがとな。でも今年は本命がおるさかい、ウチらのは無いか思うとったわ」 「それはそれ、これはこれだろ?」 「じゃあ今年もあっちこっち配るんやな」 「そのつもりだけど?」 「……ほぉか。ほな、頑張り」 アリカ先輩の笑顔が曖昧なものに変わる。そして紫サンは、僕に気づくことなく髪を揺らしながら立ち去った。その足取りは、軽い。 「……今年もまたぎょーさん作ったなあ、ゆかりんは」 アリカ先輩の、独り言めかしたセリフは明らかに僕に訊かせるものだ。だから僕は彼女に歩み寄りながら、遠慮することなく尋ねてみる。 「一体誰に配ってるんですか」 「仲のええ子や、お世話になってる人が多いみたいやけど」 「……女の子、だけですか?」 「これ以上は追加料金が必要やで?」 「水くさいこと言わないでくださいよ。僕とあなたの仲でしょう?」 「しゃあないな。……結論だけ言うたら『否』や。ま、これはゆかりんの習慣やから、諦めた方がええで」 ……だとしても、嫌だ。 余程その気持ちが顔に出ていたのだろう、アリカ先輩はケラケラ笑いながら僕の腰をバシンと叩いた。 「ほな、こっそりついてって、誰に渡すんか確認してみたらどないや?」 アリカ先輩が貰っていたお菓子の包みはそれ程大きなものではない。なのにそれが入っていたのは、不似合いに大きな紙袋。中には一体いくつ、お菓子が入っているんだろう。 僕はこっそりと、それでいて何気なく、先を行く彼女の様子を窺った。 紫サンは自分のクラスの前で、背の高い女子に声をかけられた。確かバスケ部の先輩だ。 紙袋に手を突っ込んだ紫サンは、そこからお菓子の袋をふたつ取り出して彼女に差し出した。慌ててひとつを返そうとする彼女を手を振ることで遮る。ふたつの袋を手に嬉しそうに笑う彼女は、紫サンのお菓子の味を知っているのだろう。 (……でも、なんでふたつなんだろ?) その疑問はすぐに解けた。教室から出てきた男子に、バスケ部の彼女は貰った袋をひとつ渡したのだ。破顔した彼が紫サンの肩を叩いて、紫サンもそれに笑顔を返す。 (ああ……モヤモヤする) それから紫サンが彼女に何か言うと、顔を赤らめた彼女が彼に何かを差し出した。多分チョコレート。 真っ赤になった彼と彼女に笑顔で何か声をかけてから、紫サンは教室に入っていった。 多分二人は彼氏彼女か、それに近しい間柄で。 紫サンが二人にあげたのは、ただの配る用で。 つまり紫サンのそれに名前を付けるなら『義理』でしかなくて。 そこまで判っててもモヤモヤするのは、 (本当に、僕って心狭い……) 彼女を縛ることなんてできないのに。 彼女の好意を否定することなんてできないのに。 ――あげないで、って言ってしまいたいなんて。 |