Do you have a fever? -2-



 


 ――北条の態度が急変したのは、何の気なしに呟いた、私のごく当たり前の言葉を聞いてからだった。



「北条。動けなくなる前に、病院に行こう」
「嫌です。行きません」
「もう動けないのか?」
「病院は嫌いです」
「お前なあ……」

 どうやら我が儘らしいと察した私は、何度目かのため息を吐いた。

「好きだ嫌いだ言ってる場合じゃないだろう! 治したいなら病院にかかるのが一番確実で早いだろうが!」
「嫌です。行きたくありません。しんどくてもいいです」



 ……苛立ちを必死で抑えつけたので、次に発した声は抑揚のないものになった。



「一緒に行ってやるから、病院に行くぞ」
「行きません」



 滅多にない頑固さだ。今日は珍しいことばかりで、どう対処していいかわからないことだらけだ。
 お手上げとばかりに大地さんを見ると、彼は苦笑して、私の頭をポンポンと撫でた。



「酌んでやって。ヒロは病院の匂いが駄目なんだ。……母さんを思い出すから」



 ――北条のお母さんは、北条がまだ小さい時に亡くなったと訊いている。お父さんもお兄さんも店が忙しくて、北条が入院していたお母さんに付き添っていたとも。

 だから、嫌なのか。
 でも、それならそうと言ってくれたらいいのに――



「……わかりました」
「ゴメンね。ソイツ連れて上がるの無理だろうから、そのままソファーで寝かせてやって。冷蔵庫の中の物とか、好きに使ってくれていいから。もし何か必要な物があったら買ってきて、お金はそこに置いておくからね」



 じゃあよろしく、そう言って大地さんは店へと戻っていった。残されたのは、困ったちゃんな我が儘北条と、剥き身でテーブルに置かれた一万円札だけ。
 お札が風で飛ばされないよう、私はテーブルに伏せてあったグラスを重石にしておいた。それからトロンとした瞳で私を見る北条の、傍らまで言って問いかける。



「……北条。暑い? 寒い?」
「なんだかゾクゾクします……」
「まだ熱上がりそうだな。ちょっと待ってろ、毛布と着替え持ってくる」
「着替え……ベッドの上にジャージが……」
「わかった。できたら制服脱いでて」



 私は階段を上がって北条の部屋に入った。主不在の部屋に入るのは初めてだ。見苦しくない程度に散らかった部屋のベッドの上に、言われたようにジャージの上下があった。それと毛布を手にリビングに戻ると、微動だにしていない風の彼の姿。



「しんどいか? でも制服で寝ない方がいいぞ?」
「んー……」

 もぞもぞと半身を起こし、眼鏡を外してテーブルの上に置く。それから北条は、紫サン、と力無く私を呼んだ。



「どうした?」
「…………脱がせて……」






 げいん。いつものようにぶん殴ってから、私は相手が病人だということに気がついた。殴られたまま動かない北条の顔を覗き込む。

「……悪かった」
「じゃあ……脱がせて……」

 一瞬前の謝辞を即座に取り消したくなった。とんだ駄々っ子だ。でも……落ち着け私、これは病人だ。

「……頼むからズボンは自分で替えてくれよ」



 私は大きなため息を吐いてから、ソファーの前に跪いた。
 学ランのボタンを外して、それからシャツのボタンに手を伸ばす。布越しに身体の熱が伝わってきて、心拍数が一気に増した。彼の視線すら熱を帯びている気がして、遮るもののない顔が別人に見えて、ドキドキ、ドキドキ。

 何事もないふりをしてボタンを全部外し終え、学ランとシャツをまとめて脱がす。そしてそれを椅子の背にかけている間に、背後でごそごそする音と衣擦れ。



「着替えた……です」

 ドサリ、ソファーに逆戻りしながら北条は言った。声も態度もだいぶ辛そうになってきた。あれだけ熱があれば当然だろうが。
 身を縮める彼に、私は毛布をかけてやる。なのにすぐ身じろぎして落としてしまう。ああ、もう。面倒くさい。



「……寒い……」
「寒いんならちゃんと毛布かけろ」
「温もり……いる……です」






 三度目に毛布をかけに近づいた時、



 ――毛布ごと、北条に捕まった。






「こ、こら、北条!?」
「あったかい……」
「離せ! この馬鹿!」



 熱い息が首筋にかかる。抱きすくめる腕は力無いのに私を捕らえて離さない。身を捩っても緩まない。
 細められた眼差しを、私は知らない。



「北条……離、せ」

 掠れた声は自分のものではないようで。



「……やだ……」

 返される声も彼のものではないようで。






Do you have a fever?



 熱が出たらこんなに手が掛かるものだっただろうかと、やけに冷静な頭の片隅で、そんなことを考えた。


 
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