変わらない変化



 


 ふらり、と、いつものように前触れなく彼がやってきたのは、閉店間際のことだった。



「よぉ」
「……いらっしゃいませ」

 私を認め、軽く手を上げた彼に、私は極めて事務的な挨拶を返す。素っ気ない態度に、彼は軽くため息を吐いた。

「久しぶりだってのに、相変わらずだな。真雪」
「あなたもね、小鳥遊君」

 はあーっ。またため息。それから、まあいいや、呟いてから彼は改めて私に向き直った。

「花束作ってよ。赤い薔薇がいいな」
「赤……今日は全部出ちゃったみたい」



 今日は二月十四日、つまりバレンタインデー。欧米式に花を贈る男性もいるわけで、多めに仕入れた赤い薔薇も、その殆どが綺麗にラッピングされて出払った後だった。
 私はストックを漁ってみたけど、見つかったのは未だ蕾の赤い薔薇が一本のみ。

「ごめんなさい、これしかなかったわ」
「そっか。じゃあそれでいいよ、リボンかけてくれたら」
「……束じゃなくていいの?」
「仕方ないだろ、赤がいいんだから」



 彼はあっさりとそう言った。
 お客様からの注文、と割り切った私は、英字がプリントされたセピアカラーの包装紙と透明なセロファンで花を包み、開いた時の花と同じ深紅のリボンをかけた。あまりにもシンプルで、あまりにも素っ気ない、花一輪。
 作っておきなから不安になって、私は小鳥遊君に尋ねた。



「……本当に、これでいい? 他に何か、足さなくて」
「ああ。これがいい」



 これ『で』じゃなくて、これ『が』いいと言う。
 私は一輪だけの薔薇を包んだ、細長い円錐形を彼に差し出した。



「じゃあ……はい」

 小鳥遊君は花を受け取ると、鞄から取り出した小さな封筒を包みの重なりに差し込んだ。そしてそれを私に差し出す。






「ほい」
「……何?」
「何って、バレンタインだからな。束じゃなくて、悪いけど」



 真っ直ぐな包みと同じような、真っ直ぐな眼差しで。
 差し出す彼はずっと変わらない。

 ――そして私は変わらないことに安堵する。
 安堵しながら変わらない答えを返すのだ。



「私、何も返せないわよ?」
「たまには愛の言葉とか、返してもらえませんかね?」
「……何も返せないわよ?」
「うわ。二回言いやがった」
「判ってるクセに」
「ああ……解ってるよ。でもたまには良いじゃんかよ……」

 わざとらしく悄げて見せる彼を、ハイハイとあしらいながら私は時計を見た。
 彼がこの時間を狙ってやってくることを私は知っている。退けて頂戴、冷たく言うと彼はますます悄げた。カウンターの椅子に腰掛ける彼に、私は冷たい調子のまま続けた。



「晩ご飯まだでしょ? 良かったら一緒に食べに行かない?」






 雑誌で見かけて、かねてから気になっていたお店。
 ひとりで行ったら到底辿り着けなかっただろう、住宅街の中にあるこじんまりした洋食店に、小鳥遊君の車で連れて行ってもらった。
 味は予想通り……それ以上に美味しくて、私も小鳥遊君もとても満足した。そしてその足で私を家まで送ってくれた小鳥遊君は、待ち構えていた紫に噛みつかれてしまった。



「小鳥遊……こんな遅くまでまゆ姉を連れ回しやがって!」
「ちょっと待て紫……真雪もフォローしろって、おい!」
「うふふ。じゃあまたね、小鳥遊君」
「うふふ、じゃねー!」



 叫ぶ彼を置き去りにして、私はさっさと家に入った。暖房の効いたリビングに鞄を放り投げて、コートを脱ぐより前に花の包みに手を遣った。……早く挿してあげたい。
 包みを開けた拍子に、はらり、小さな封筒が落ちた。それで小鳥遊君がメッセージカードを持参していたことを思い出す。店で書けば良かったのに、思いながら封筒の中のカードを取り出してそれに目を遣り――



 ――息を呑んだ。






『絶対帰るって約束、覚えてるか?
卒業したら帰るから、あとひと月、待ってろ』









 遠方の大学に行ったっていうのに、事ある毎に帰ってきていた小鳥遊君。
 定期的に電話もメールもくれたし、帰る度に顔を出してくれていたから、全然遠くにいるって感じはしなかった。

 それでも、約束だって、そう言って戻ってくるんだ。

 ――傍に居られないオレの代わりに、お守り代わりにしといて。

 あの時渡された制服のボタンは、今は私の財布の中にある。どこにやっても落ち着かなくて困っていたけれど、帰ってくるならいっそ返してしまおうか。それとも本当に、小出高校を受験することに決めた一純にあげてしまおうか。



「……って言うか、就職先は決まったのかしらね」

 私は他人ごとのように呟いて、薔薇の茎を花器に合わせて短く切った。
 あとひと月――帰ってくるのはホワイトデーの辺りだろうか。

「とりあえず、この花のお礼はしなくちゃね」

 一輪挿しに居場所を見つけた薔薇の蕾をちょんとつついて、それから私はコートを脱いで片づけた。



 ――何も変わらないままに、何かが変わろうとしていた。


 
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