体育祭 -部活対抗リレー・下-



 


「北条……お前、対抗リレーひとりで走るんだって?」



 その話を聞いたのはかんなちゃんから。
 正確には、部活対抗リレーをどうするのか聞いたところ、かんなちゃんが『北条君がひとりで頑張ってくれるって』と答えてくれたのだ。理由も聞いた。優勝したいから、と。でも――

 私の問いかけに、彼はあっさりと頷いた。



「えーと、ハイ。一応……」
「大丈夫か? だって400メートルだろう? ある意味一番しんどい距離だぞ?」

 短距離でも中距離でもない半端な距離を全力疾走。そのキツさは陸上部の連中が口を揃えるところだ。それを知っているから私は重ねて問うた。
 すると何故か微笑んだ北条が私に手を伸ばす。頬に触れる、長い指。それから、ありがとうございます、という言葉。

「でも、大丈夫ですよ」
「そうか……ならいい」

 迷うようなら少しだけでも自分が走ろうと言うつもりだった。でも、本人が納得しているのなら良いのだろう。
 立ち上がろうとすると、北条が私の手を掴んだ。首を傾げる私に、彼はお得意の悪戯っぽい笑顔を見せる。



「そうだ紫サン。僕が一番になったら、僕にご褒美をくれませんか?」
「褒……美?」
「ええ。あなたから、僕にキスしてください」



 ――私から、キス……?

 何を言い出すんだ、私は彼を窘めようとしたが、瞳の奥の真剣さにその言葉を飲み込んだ。優勝したいから、その理由はきっと北条も知っているのだろう。
 ため息を吐いて、私は言った。



「……せいぜい、頑張れ」
「約束ですよ!」

 パアッと明るい笑顔になる彼に、私は苦笑した。










 ――視線が、痛い。

 私が着ているのは、明日からの茶屋のコスチューム……っぽい別のモノ。上はそのものだが、下は葡萄茶のミニスカート。そして同色のペチコートに黒のニーハイ、編み上げブーツ。

「これ何!? なんで普通の袴じゃないの?」
「だって最初は走るつもりでいたんですもの。でもさすがに袴じゃ走れないでしょう?」
「だからって、どうして今着る必要があるんだ?」
「だってせっかく作ったんだし、その格好で北条君を応援してあげたらどう?」



 大丈夫、可愛いから。自信持って!

 かんなちゃんの柔らかな笑顔に押し切られ、私は時間ギリギリにグラウンドへとやってきた……のだが。

 ――周囲の視線が痛い。今すぐ帰りたい。

 スタート地点に北条がいる。私と目が合った、気がした。……否。気のせいではない。間違いなく見ている。見られている――



 ……パアン!

 号音に意識が引き戻されて、そして思考が吹き飛んだ。
 選手が一斉に走り出す。飛び出したのはハンデを背負った陸上部、団子になった先頭集団の、前の方に見える北条の長身から目が離せない。――早い。
 すぐに100メートルの中継地点、パスの間に北条が抜け出した。200メートル、300メートル。彼と競っているのは柔道部、それから卓球部。三チーム同時に最後の中継地点に飛び込んだ。卓球部がバトン代わりのラケットを取り落とし、柔道部がパスに手間取る間に北条が距離を稼いだ。行ける――!



『ゴーーール! 優勝は、ダークホースの文芸部だー!』

 放送が響き渡る中、テープを切った北条はだが、何故か走るのを止めなかった。え、思う間もなく腕が掴まれて、私は北条に引っ張られて走り出す。

「ほ、北条っ」

 彼は何も言わない。そのまま人気のない中庭まで引っ張ってこられた。
 そこまで来て、北条は壁に背を付けてずるずるとしゃがみ込む。手は離してくれなかったので、私は彼の腕の中に倒れ込む形になった。私を抱き止め、抱きしめて、北条は肩で息をする。汗の匂いと、逸る鼓動がダイレクトに伝わってきた。
 彼の息が整うまで、私は黙ったまま、待った。



「……その、格好」

 やがて口を開いた彼は、眉間に皺を寄せていた。
 それでようやく私は、極ミニ丈のスカート姿だったことを思い出す。その格好で、座る北条に跨るように抱きしめられていることも。

「これは……っ、もともとかんなちゃんが、この格好で走るつもりだったって……せっかくだから、これで応援してあげたら、って言うから……!」

 一気に言って私は俯いた。かんなちゃんは可愛いって言ってたけど、やっぱり……



「……おかしい、よな」
「おかしくないから、連れ出したんですよ」



 予想外の言葉に顔を上げようとした私を、北条が自分の胸に押しつけた。見ないでください、呟く声が聞こえた気がした。



「……相澤センパイは、策士ですね」
「へ? なんで?」
「僕にハッパをかけておいて、その上でさらに煽るんですもん」

 意味が分からない。分からないまま、北条の鼓動の音だけを聞く。ドキドキ、ドキドキ。早い音が徐々に穏やかに。そして鼓動が落ち着いた頃、抱きしめた腕が僅かに緩められた。






「紫サン」
「何だ?」
「ご褒美ください」



 ……落ち着いたと思ったらすぐこれだ。私はため息を吐いた。
 だけど北条が頑張ったから、文芸部が優勝できた。それは間違いない訳で――



 ――私は自分の唇を、彼のそれに押しつけた。



 ほんの、一瞬。いつも彼がくれるキスとは全く違う、自分からのキス。
 目を見張る彼に、私はぶっきらぼうに言い捨てた。

「ちゃんと約束は果たしたからな」

 そして彼の胸を押して立ち上がる。なかなか立ち上がろうとしない彼に目を遣ると、顔を赤くした彼の姿。え――



「……ほっぺたで誤魔化されると思ってた」

 彼の言葉に、私も顔を赤くした。キスと言えば唇と、それしか頭にないくらい私を染めたのは、他でもない――



「なんだ、頬で良かったのか」
「いえ! 唇が良いです! できるならもう一回、もっとじっくりと……」
「調子に乗るな!」

 私はキスの代わりに、額にデコピンを食らわせた。


 
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