生徒と教師の非日常…壱の巻









顕微鏡の中はまるで宇宙を万華鏡に仕立てたようにとても不思議めいていて小さいながらに深い世界が存在する。
とんとん、と指先で軽く机を弾くと今度はコンコンコンと、リズミカルな音が扉を跳ねた。





このノックの仕方は、と椎名は小さな世界を映す顕微鏡から顔を上げる。

「……ヒロくん、いるよ。」

どうせ届いちゃいない声量で一応伝えてみる。扉を開けて入ってきた相手は『失礼します。やっぱりここだった。』と満面の笑みで椎名に応えた。

椎名智久、27歳。生物科教諭。
北条大海、16歳。この高校の一年生。

一見、生徒と教師の関係に見えるが二人はそんな言葉では通用しない。
と言うよりも、椎名が頑なにその関係を否定をし、『ともだち』と括りを作り上げた。





「……待ってたよ、ヒロくん。」
「ありがとうございます……、でもその言葉は僕じゃなくて佐伯センパイに言った方がいいですよ。」
「……なんで?」
「何でって、好きな人に待ってて貰えたら嬉しくないですか?」
「……だから今、ヒロくんに……。」

椎名は立ち上がり、大海にふわふわと近寄る。

「先生、好きの意味合いが違うでしょう?それに女の人は男性のそう言う一言すら嬉しいんですよ。」

椎名の頭に新たな知識が書き込まれた。
そして次に志乃に逢うときに使ってみようと大海の言葉を素直に受け取る。





「……で、今日は顕微鏡でも見てく?」
「あ、顕微鏡を覗いてらしたんですか。お邪魔しちゃいましたね。」
「……ううん、ヒロくんを待ってたから。」
「別に特別これと言うことではないんですが、椎名先生に訊きたいことがあって来ちゃいました。」
「……うん?」

用意された椅子に座りながら、大海は先日クラス内で盛り上がった男子の話のネタについて椎名に振ってみた。
一教師ではなく、一男子(?)としての回答を訊いてみたかったのだ。

男子から見てのフェチズム。
生物科教諭と言うこともあり、まともなモノが返ってくるよりは幾分興味深い内容を大海は期待をしている。
ウズウズする大きな体が椅子をカタンカタンと揺らした。

「……フェチ……ズ、ム?」
「まあ要するに女性のどこに魅力を感じるか、ですよ。」
「……ヒロくんはどうせ紫サン全部とか言うんでしょ?」
「ご名答、先生!さすが親友だなあ。」

椎名はその質問に首を90度に曲げて眉間に皺を寄せた。
細い目が最早一本線になってしまっている。
大海はそこまで難しい質問をしてしまっただろうか、と様子を見ながらも椎名の動き出す指先に注目をした。





「……強いて言うなら、手のひらから腕の薄い白い皮膚に浮かび上がりながら躍動する血管をなぞって、そしてそこから更に繋がっていく筋肉、神経、骨格……。それを細胞レベルまで知ることが出来たら幸せだね……。」

フェチズムの何かが一線を超えた。最早パーツではなく、細胞レベルのお話に摺り変わってしまっている。
まあ生物科教諭なので大海には許容範囲内ではある。

「ではその相手は佐伯センパイで間違いはないですよね。」
「…………。」

返事がない。

「せーんせ!佐伯センパイをそこまで愛でたいって証ですよね?」
「……佐伯だけが当てはまるものなの?」
「だってセンパイしかいないでしょう?他の女子に魅力を感じる部分はあるんですか?」

椎名は一瞬唸って直ぐに答えを導き出した。

「……他は意味ないし、興味ない。」





「なら存分にセンパイを愛でてあげてください。細胞レベルまでの気持ちを伝えてあげてください。」

それだけ言うと大海は椎名を優しく見下ろして独り言のように呟く。

「好きな人に触れらたくないなんてことありませんよ。ああ、質問の答えを訊けて良かった。」

それだけ言って礼を深々すると、大海は大股で椎名の研究室を後にした。





改めて自分の手のひらを見詰めて彼女のか細い身体を思いだし、その形をなぞるように動かしてみる。
あの細く色白い肌の表面に浮かぶ蒼い一本の血管、そこから枝分かれをして腕や指先の隅々まで走って行く。その下には温かい血液が流れていて身体中を赤血球や白血球、血小板なんかが旅をするんだ。

後でもう一度彼女の肌から辿ってみよう。





そう思って、椎名は再び顕微鏡の世界へと戻った。





生徒と教師の非日常
の巻


(愛すべきものは愛すべきものを形成する細胞レベル。)
日常 かんな 志乃 なの 紫1 
小出高校 top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -