あのとき欲しかったものは、 |
一体何歳の頃だっただろうか。 妹の千晶がまだ歩き出したか、否かくらいの年齢だったと思う。 1月28日。 俺たち、椎名成久と椎名智久の誕生日だった。 毎年恒例の如く、俺たちは有名百貨店に両親に連れて来られて放たれた。 「さあ、好きなものを選んで来い。身になるものなら尚歓迎だな。」 父親が俺たちの背中を押して、プレゼント探しは始まり、色んな物を知りたい成久は本屋と文具店に足踏みをして決めあぐねる。 一方、俺は行く場所は毎年決まっていた。 それは──。 「……うわあ、今日もいっぱい。」 ガラスを隔てた壁の向こうには無数の色とりどりの魚が泳いでいた。 コポコポと酸素の泡が次から次へと水の中に融けていき、水草はまるで家にある庭のように手入れが行き届いていた。 ゆらゆらと揺れる空間で俺とは違う時間が流れている。 小さな手のひらを水槽にべったりと張り付けて、出来るだけ背伸びをして水槽内にいる魚を見詰める。 あ、これはこの間図鑑で見たネオンテトラだ。 あっちにはバルーンプラティと書いてある。 他にも魚だけではなく、カボンバやベトナムスプライトなど水草も水槽の中で穏やかに凪いでいた。 そして色とりどりの魚の中に俺は見付けた。見付けてしまった。 まだ自分が幼く、知らなかった現実を。そしてそれを欲しくて堪らなかったことを。 「……メー、ダー、カ。」 水槽に貼られたラベルの文字の上に指を滑らせる。 他の水槽に比べて簡素な大きな水槽に自分の知るメダカが無数に散らばっていた。 メダカ等、近所の裏山、通称クジラ山(当時、皆そう呼んでいたのだ。)の池に幾らでもいた。 夏に採りに行ってはリリースして、を繰り返していた。 「……何でクジラ山にいるメダカが売られてるの?」 ペットショップは観ることだけが楽しみだった当時の自分は遥かに驚いたんだろう。 衝撃的で、でも同時に腹の真ん中からぐるぐるしたものが渦巻いたのを覚えている。 池にみんなを返さなくちゃ! 即時に自分のプレゼントは決まった。 遠くから大きな箱を抱えた成久が顔の見えない箱の向こうから俺を呼んだ。 「トーモー!決まったー?」 「…………。」 成久が大事そうに抱えているものは父親を充分に喜ばせるものだったのだろう。父親の頬が綻んでいる。別に成久の選んだプレゼント等に興味なんてない。今あるのはこの目の前にあるメダカのいる水槽だけ。 「僕は地球儀買ってもらったー。凄いんだよ、世界一周出来るんだ。」 「……へー。」 返事だけして成久の言葉を耳から耳へ流した。 もう自分の欲しいものは決まっている。 顔を綻ばせた父親がゆっくり俺の目線に屈むと問うた。 「成久は地球儀だ。智久は何が欲しい?」 その問いに期待の眼差しを持ちながら、自分の直ぐ横にある大きな水槽を指差す。 『メダカ?』と父親は口の中でプレートを読み上げた。すると、綻んだ顔の眉間に皺が一本寄った。 「智久……。」 声のトーンが一気に下がる。 「何でメダカなんだ?メダカなら池に幾らでもいるだろう?」 「だからだよ!」 また更に眉間に皺が入るのを感じたが自分の欲しいものへの興奮を止めることは出来なかった。 まだ五歳そこらの子どもだ。 「池にいるメダカがこんな所にいたら可哀想なんだ。だからこのメダカたちを買って、クジラ山の池に返すんだ!」 「全く、馬鹿げたことを。」 後はよく覚えていない。 父親が大きな溜め息を吐いて妹を抱く母親の下へ戻った気もするし、成久に『もっと凄いのを選びなよ』と言われた気もする。 でも俺はそのまま結局誕生日プレゼントを買わないまま百貨店を後にした……。 あのとき欲しかったものは、 メダカが欲しかったのは──。 自分の姿と狭い水槽の中で訳も分からないまま泳がされ、商品にされているメダカの姿を重ねたのかもしれない。 幼いながらに、自由と言う名の憧憬を──。 |