誰か夢だと言って下さい |
「いらっしゃいませー」 カランコロン。ドアベルの音。 良い香りの店内に、ナチュラルな内装とインテリア。 それからセンス良く飾られた花。 『natural+』は、そんなお店だ。 「うわ……スマイルいくら?」 「やだなあ吉野。営業スマイルは0円だよ、知ってるでしょ?」 「『営業』スマイルって言い切ったね北条くん……」 満面の笑顔で出迎えてくれたのは、部活仲間で紫センパイをめぐる恋敵、北条大海くんだ。ちなみに恋敵と書いてライバルと読む。 ここは彼の家でもあり、美容師志望の彼の修行の場でもあるのだ。 「また随分と可愛らしいお嬢ちゃんだな」 「いらっしゃい。君が、吉野なのちゃん?」 柔らかな笑顔で声をかけてくれたのは、三十年後のちょいワルオヤジ風北条くんと、十年後の素敵紳士風北条くん。……ってアレ? 「吉野、僕の父さんと兄さん」 北条くんがそう紹介してくれた。 ……それにしても三人ともデカっ! どうなってんの北条家のDNA!? 「北条真大だ。うちの馬鹿息子が世話になってるな」 「俺は北条大地。今日は俺が君を担当させてもらうねー」 「こちらこそよろしくしてくださいっ!」 叫んで頭を下げたあたしを見て、何故だか三人とも吹き出した。 …………アレ? 「どぉして笑うのー?」 「父さん、兄さん。面白いって言う意味わかるでしょ?」 「確かに面白いなコリャ」 「ヒロが気に入る筈だよ」 「ちょっと待ってあたしにはひーくんと言う心に決めたダーリンが!」 「僕だって吉野に恋愛感情は抱けないよ。僕が好きなのは紫サンだけだから」 あたしたちのやり取りに、北条くんのお父さんとお兄さんは何故だか大爆笑した。 「だからどぉして〜!」 「喋ったら喋るだけ墓穴掘るだけだよ、吉野の場合。……お荷物お預かりしますねー」 いきなり営業モードに切り替わる北条くんに、あたしは自然と持ってた鞄を預けていた。 お父さんとお兄さんも、もう営業モードに戻ってる。……すごいや。 ボードを手にしたお兄さんが、戸惑うあたしに問いかけてきた。 「なのちゃん、今日はどうしたい?」 「えっと、くるくるな髪の毛が暴れないようにしてほしいです!」 「雨の日とか、まとめるの大変でしょ?」 「はい、すごく!」 「……ちょっと失礼」 お兄さんの長い指があたしの髪の毛を一筋取って、確かめるように撫でる。 うわー……どぎまぎ。 「うん、わかった。長さは変えない方がいい?」 「はい!」 「じゃ、その方向で。……ヒロ、シャンプーお願い」 「わかりました」 お兄さんに椅子を引かれて立ち上がったあたしを、北条くんがエスコートしてくれる。同級生の普段見せない姿は、新鮮だけど違和感がある。 「こちらにどうぞ」 「え? シャンプーは北条くんがするの?」 「今兄さんがそう言ったでしょ? 僕、シャンプーは自信あるよ」 シャンプー台に腰掛けたあたしに膝掛けをかけてくれながら北条くんが言った。毛足の長い柔らかな感触がとても気持ちいい。 そのまま顔に水よけの布を置かれ、視界が遮られる。シャーという水音が心地良く、かけられたお湯の温度がまた丁度良くて気持ち良さが増す。 「あー……気持ちイイー……」 「まだ頭洗ってないのに」 苦笑しながら北条くんが髪の毛をしっかり濡らしていく。それからシャンプーの良い香りがして、頭が泡に包まれる。洗っていく力加減の絶妙さ。 「……気持ちイー……」 「でしょ?」 「ヤバい……寝そう……」 「それは嬉しいなあ」 そのまま会話が途切れる。意識が飛びかけたところで、北条くんが再び口を開いた。 「ところで吉野」 声のトーンがさっきと変わってる。いつもと――学校と同じような、悪戯な声音。 「カットも、僕に任せてみない?」 「へ?」 意識が覚醒した。今――なんて? 「だって僕のが吉野のこと良く知ってるし、吉野が好きな下野のことも良く知ってるし。だから僕のが下野好みな吉野にできると思うんだよね」 ひーくん好みな……あたし? 「ね。だから、任せてみない?」 北条くんの声に心がグラリと揺らいだ。 だってなの、北条くんはひーくんの親友だよ? その北条くんがひーくん好みなあたしにしてくれるって言ってるよ? もしかしたら……これでひーくん落とせちゃったりする? 「じ……じゃあ……お願いしようか……な?」 「かしこまりました、お客様」 頭を洗い終えた北条くんが、濡れ髪をまとめてタオルで包みながら、笑顔で応じた。 「とびっきり下野好みにしてあげるよ」 そして―― あたしは鏡の前でワナワナと震えていた。 明らかに、笑うのを堪えている顔で北条くんが言う。 「こんな感じで……如何でしょう?」 「『如何でしょう』じゃないわよどーしてくれんのこのアタマー!」 「……って…………アレ?」 気がついたら、あたしはまだシャンプー台の上にいた。 泡だらけの頭で起き上がってて。 目の前には――泡がべっとりかかった北条くん。 ………………アレ? 「あたし……寝ぼけてた?」 「……そうみたいだね」 満面笑顔の北条くんの、額に浮かぶ青筋を、あたしは確かに見た。 店内は大爆笑だ。北条くんのお父さんもお兄さんもみんなお腹を抱えて笑ってて。 それなのに――北条くんの冷たい声だけが、あたしの耳にハッキリと届いた。 「……吉野……明日、学校で……覚悟しときなよ……?」 ――次の日、あたしが北条くんを避け続けたのは、言うまでもない。 |