自分では叶えられない願いを星に願う



 


 商店街を歩いていると、大きな笹に色とりどりの短冊が飾ってあるのが目に留まった。隣を歩いていた吉野がその真下で立ち止まり、笹を見上げる。



「そっかー。七夕なんだね、もうすぐ」

 何故か嬉しそうに目を細める彼女の隣に立って、俺も笹を仰ぎ見る。喧騒の中でもはっきり聞こえる、風に揺れる笹の葉ずれの音が心地良い。
 だが、隣の彼女の顔がふと曇った。



「でもこんなに雨続きじゃ、織姫と彦星は会えないよね?」
「伝統行事を新暦に当てはめるのが間違ってる。旧暦の七夕なら梅雨は明けてるだろう」
「そうかもだけど! 今は今の七月七日なんだし、やっぱりちゃんと逢えて欲しいじゃん! 梅雨の晴れ間が欲しいじゃん!」
「はいはい。もう好きにしろ」
「いいもん! 好きにするもん!」



 そう言って吉野は俺の腕をぐいぐい引っ張っていく。連れて行かれたのは笹の脇に置かれた小さなテーブルで、そこには『ご自由に願い事を書いて飾ってください』、そう書いた案内板と短冊、そしてペンが置いてあった。



「ねえ、ひーくん。願い事、書いてこ?」
「なんで俺が……」
「書くの! はい!」



 ペンと一緒にピンクの色紙を渡された。何故ピンク。
 吉野は同じピンクの紙に、サラサラとペンを走らせている。俺は首を捻った。願い事なんてないぞ。
 技芸上達、学力向上、これらは願い事でなく俺の努力目標だ。そんなものを願うなんて馬鹿げてる。それなら……いや……。
 さんざん首を捻ってから『健康第一』と書き込んだ。体調管理も自己責任の分野だが、それ以外の要因で起こり得る病気に関しては手の打ちようがないから。
 横から俺の手元を覗き込んだ吉野が目をぱちくりさせている。



「ひーくん……爺むさい」
「煩い。大事なことだろうが。そう言うお前は何て書いたんだ?」
「ひーくんが何書くか迷ってる間にもう付けちゃったよー」

 笑いながら舌を出した彼女に渋い顔をしてみせてから、俺は俺の短冊を高い位置に結びつけた。揺れるピンクを見上げて、吉野が呟く。



「なんか楽しいね、こういうの」
「そうか?」
「文芸部でもやってみようかな、七夕的なイベント」
「いいんじゃないか? 先輩たちに打診してみろよ。短冊書くだけでも楽しいんだろ?」
「うん」

 笑う吉野の視線を追って、俺も笹を見上げた。カラフルな短冊の中で、目を引くピンクが揺れている。見覚えのあるピンク、――見覚えのある丸っこい文字。



「『織姫と彦星がちゃんと逢えますように』……?」
「あーっ! 読むなー!」

 慌てて俺の前に回り込み、目線を遮るように吉野が手を振る。もう遅い。



「仕方ないだろう。お前が書いた短冊だから、俺の目を引いたんだ」



 そう言ったら吉野が急にそっぽを向いた。それから小さな声で言う。






「……だって……あたしとひーくんは毎日でも逢えるけど、織姫と彦星は一年に一回が逢えるか逢えないかでしょ? だから……」



 あたしたちのことを願うより、織姫と彦星のことを願った方がいいと思ったの。

 そう言った吉野が、とても可愛く思えた。――今すぐに抱きしめてキスしたい。
 でもここでそんな北条みたいな真似は到底できない。だから俺は、代わりに吉野の頭をわしわしと撫でた。



「もう! 止めてよ乱れちゃう!」
「オコサマなお前には丁度良いだろ?」



 意地悪な言葉は精一杯の照れ隠し。ぶうたれた吉野の頬をそっと撫でてから、俺はさり気なく吉野と手を繋いで歩き出した。









 本当は、ひとつだけ、書きたくても書けなかった願い事がある。
 あまりにも女々しいから、絶対に吉野には見せられない願い。

 その願いを、俺は心の中で呟いた。



 ――吉野が俺の隣に、ずっといてくれますように――


 
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