恋愛の心得









「よっ、佐伯。久しぶり!」

幾つもの本を抱えて廊下を歩いていたアタシに声を掛けて来たのはB組の橋本だった。
偶然出くわした、と言うよりもアタシがここを通るのを待っていたかのように窓の桟に肘を着いていた。

「久しぶり。珍しいね、校内で会うの。」
「隣のクラスでもないからな。」

よく陽に焼けた肌に並びの綺麗な白い歯が覗く。
橋本はアタシと同じ中学出身だ。同じクラスになったこともあるので、顔馴染みである。
この大きな高校で顔を会わせる機会は少なくなっていたが、地元で偶に顔を会わすことはあった。





「……重そうだな。」

本のことだろう。アタシの頼りない腕から見れば皆そう感じるらしい。
ところがどっこい、本人に重い自覚はない。文芸部に入部して鍛えられた賜物なのだから。

「別にいつも本に鍛えて貰ってるからこれくらい何とも?」
「……ふーん。」

アタシは首を傾げて不思議な会話の真意を探る。
橋本は組み手をしながらまだ窓の桟に腰を凭れている。アタシと偶然に会ったのならば、『じゃあな。』の一言で終わるはずだった。

それによく陽に焼けた健康な肌に浮かぶ緊張の赤い色。部活の為に丸刈りにした頭まで色が染まっていることに本人は気が付いていないようだ。
中学の頃と変わらない正直馬鹿。
その顔は橋本が中学の時にアタシと仲の良かった友人を好きになった時と同じものだった。
身長も伸び、声も一層太くなり、男子ハンドボール部に入り丸刈りになったが、橋本はやっぱり橋本だった。





「……で、アタシに何か用があるの?」
「なっ!な、なんで解るんだ!」

進歩の無い奴。アタシは飽きれた顔をして口角を釣り上げる。憎めない橋本だが、計画性に欠ける。

「あからさまに待ちのポーズ。」

アタシの指摘に体重を預けていた窓からサッと離れて今度は気を付けの姿勢でじっと橋本はアタシを見下ろした。
弩でかい小さな子どもを見ているようである。これだから橋本は、と思いながら本人を目の前にしてアタシはクスクスと声を出して笑った。

「な、何で笑うんだよ!」
「ふ、ふふふ。」

橋本は一層真っ赤になった。決定打だ。
アタシの友人を好きになって相談された時と同じシチュエーション。
さて今度のお相手は一体誰なのか。





アタシは笑いで涙目になった目尻を拭うとズバリ問う。

「いや、笑ってごめんごめん。橋本って解りやすいなぁと思って。で、今度はアタシの周りの誰を好きになったの?」
「えっ!!」

頭から湯気でも出そうだ。目が今にもくるくる回り出してしまいそうなくらい顔は沸点の色に達している。
クリーンヒット。橋本は丸刈り頭の天辺の旋毛をアタシに向けると両手をズボンのポケットへ滑り込ませ、片足の爪先で廊下をトントン蹴る。

まさか今回もラブレターを託されたりしないだろうな、とアタシは予防線を張るべく半歩だけ後退りした。
くるりと綺麗に渦を巻く旋毛の下から橋本の小さな声が聞こえた。

「……んな。」
「ん?何だって?」

アタシはもう一度半歩戻りなおし、旋毛の下を覗き込んだ。

「……相澤……かんな……。」

今度はその名前を聞き取ることが出来た。
かんなちゃんは文芸部の部長だ。だからアタシと言う訳か。

かんなちゃんは学年で二分する美少女である。もう一人は言う必要ももうあるまい、同じく文芸部の紫ちゃんだ。





漸く絞り出した想い人の名前を声にしたところで橋本はへなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
どこまで意気込んでアタシに相談をしたかったのか。真っ直ぐさは買うが、そこで力尽きるな少年よ。
アタシも橋本に目線を合わせる為にしゃがみ込んでみた。あんなに弩でかい男子が恋する小さな少女のような顔をしていた。
沸点に達した頭は既に何も考えられずにぼうっと自分の足下だけを見ている。





しかし名前をアタシに伝えたからと言って何かそこから始まる訳ではない。
アタシは小さく溜息を吐くと、抱き抱えていた幾つもの本の中から一冊の本を引き抜いて橋本の顔に突き付けた。

「これ貸してあげるから、一度自分がどうしたいか考えてみな?」
「……恋愛の……心得?」
「そう。ハウツー本じゃなくて小説だけどその方がわかりやすいと思うから。」
「……佐伯!」

橋本の目がさらにキラキラと輝いた。恋する乙女より乙女だな、こいつと思いながらもアタシはゆっくりと立ち上がる。
そして忘れずに忠告と警告。

「あとラブレターはアタシを通して渡さないこと。」
「……わかった!それだけはぜってーしない!なんかヒント貰ったみたいだ。サンキュー、佐伯。」

そして橋本は『恋愛の心得』を胸に抱いて走り去って行った。
なんて行動の早い奴だ……と呟いたところでアタシは大事な事に気が付いた。
そうだ、橋本は『行動』が早いのだ。





「……かんなちゃん!」

息を肩でしながらアタシは部室の扉を思い切り開いた。かんなちゃんは窓辺で風にそよがれながら本を読んでいた。
緩いウェーブが優しく揺れる。そして目をぱちくりさせて本からアタシに視線を上げ、笑顔を向ける。

「志乃ちゃん、今日は部員一番乗りね。でも扉を乱暴に扱っちゃ駄目よ。」

柔らかい風に乗って優しいかんなちゃんの声が届いた。この鼓膜を擽るような柔らかい声は心地良くてアタシはつい本題を忘れてしまうところだった。

「はっ!ごめん、騒がしく入って来ちゃって。」
「ううん、もういいの。それよりも何かあったの?志乃ちゃんが慌てて入って来るなんて珍しいね。」
「あ、そう!そうなの!」

ドサリとまた無造作に抱えていた本たちを机に放り投げ、窓辺に座るかんなちゃんのところまで駆け足で近付く。
かんなちゃんはクスクス笑っている。

「志乃ちゃん、近いわよ?」
「近くもなるよ。いい?かんなちゃん?これから話す事近々あるだろうから気を付けね。特に生徒会長にはお手柔らかにって伝えて!」
「なあに?」
「あのね……ゴニョゴニョ……。」

アタシはこれから馬鹿正直な橋本が起こすだろう行動について耳打ちした。どこで生徒会長が聴いているかわからない。
生徒会長はかんなちゃんのこととなると冷静ながらも、一歩先の行動に出ると聴いている。

「ふーん?」
「……で、教室の入り口で大声で告白とかあり得るから、気をつけてね。悪い奴じゃないんだけど、真っ直ぐ過ぎて困ったちゃんで。」

目元に手を置いてじんわりと疼く頭を抱える。
そんなアタシを見てかんなちゃんがクスクスとまた小さく笑った。

「……へ?」
「ううん、人の事には敏感なのになぁって思っただけ。」

かんなちゃんはそう言うと再び読んでいた本に視線を静かに戻す。
そしてまた風が音もなくかんなちゃんの髪を柔らかく靡かせた。触れたら形を崩してしまいそいな繊細な螺旋を。





「……でさー、俺この主人公の気持ちが物凄く伝わって泣いちゃった訳よ。」

あれから1週間後、橋本が貸した本を返しにアタシのクラスまで現れた。そして本の感想を熱烈に語ってくれる。
ここまで火をつけるつもりはなかったのだが……。

「相澤のことだけど……。」

行動の早い橋本からかんなちゃんの言葉を聞いてドキリとした。

「あ、うん?」
「もう少し彼女を知ることが出来てからにしようと思って。」
「……うん?」
「ありがとな。またフライングするとこだった。」

橋本はそれだけ言うと口笛を吹きながら自分のクラスへと戻ってゆく。音程の外れたメロディーが窓から入り込む柔い風に乗って聞こえて来る。

音痴。

別にアタシがお礼を言われることは何もしていない。
何かに気付いて自分の中の『行動』に変化をもたらせたのはあくまでも橋本自身なのだから。





『恋愛の心得』。
手元にある小説を見ながらアタシは独り言が零れる。

「主人公に感情移入して泣けた、か……。」

それは橋本が真っ直ぐだからだろう。かんなちゃんも確か泣ける小説だよと薦めてくれた。なのちゃんも号泣したと思い出し泣きをしながら語ってくれた。

アタシは――。
泣くよりも主人公の背景を探ろうとしてしまう。





これがいつしかかんなちゃんの言った『人の事には敏感なのになぁ。』と言う言葉を理解することになる。





【恋愛の心得】






それは知ることではなく、自ら感じ取得するものである。
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