可愛い彼女の所有権



 


 格好良い彼女の可愛い内面を、知っているのはごく少数の人間だった。
 かく言うアタシもその一人で、アタシは彼女の内面を殊の外愛していた。そして内面を厭い必死で隠そうとするのに、器用な癖に親しい相手には隠しきれない不器用さも。

 可愛い彼女を知っているのはごく少数。
 そのことはアタシに優越感を感じさせていた。だって大好きな彼女が隠したがっている秘密を知っているんだから。



 だけど。

 彼が現れて、彼女は変わった。

 彼の前だといつだって可愛く見える彼女。
 アタシたちといる時より、誰といる時より、一番可愛く見える彼女。

 理由はちゃんと判っている。彼が彼女をそう扱っているからだ。格好良い女性ではなく、可愛い女の子として。
 だから彼女は、彼の前ではとびきり可愛い。

 アタシたちが彼女をそう扱うのは不可能だ。だって彼女は、そう扱うには格好良過ぎるから。

 でもそれがまた――



 ――アタシは気に入らない。










「ねえ紫サン。構ってくださいよ」
「嫌だ。忙しい」



 文芸部の部室では、いつものように彼が彼女にモーションをかけている。それに彼女が冷たく返すのもいつものことだ。……彼女の冷たさはポーズだけど。



「だって僕、原稿終わっちゃったんですもん」
「奇跡的に早々にな。だが私はまだ終わっていない」
「えー。もう終わるでしょう? だって書き出したらものすごい早いじゃないですか、紫サン」
「……まだ終わってない」



 あ。少し旗色が悪くなった。彼女は結構わかりやすいのだ。



「だから、ねえ、構ってくださいよー」
「あのな北条。お前、少しは人の話を聞け」
「えー。だって……」
「……ねえ紫ちゃん。今大丈夫?」

 アタシはプリントアウトした原稿を持って彼女の元に向かった。会話の間に言葉を滑り込ませたのは故意だ。

「ああ、うん。大丈夫だよ志乃ちゃん」
「良かった。これ、ちょっと見てほしいんだけど……」
「いいよ。貸して」



 彼女に原稿を手渡すと、早速彼女は文字の羅列に目を通し始めた。傍らの彼が口を噤む。そういうところは、彼はちゃんと弁えている。
 本当に読んでいるのかと疑うような、ものすごい速さでパラパラと紙をめくっていた彼女は、読み終わるともう一度最初から目を通し始めた。
 文章を読むときの彼女の習い性だ。二度、三度と読み直す。展開に考えながら読むより、流れを頭に入れてから読みたいかららしい。
 推理小説なんて向いてないんだよな、推理しながら読まないんだから――そう言って笑った彼女を、彼は知らない。

 やがて読み返し終えた彼女は、中盤の一点をキャップを付けたままの赤ペンで指した。



「志乃ちゃん。ここなんだけど……」
「あ。やっぱり? アタシもちょっとそこ引っかかってたの。どうしたらいいかな?」
「こことここを入れ替えたらどうかな?」
「そうだね、そうしてみる。できたらまた見てくれる?」
「もちろん」

 向けてくれた笑顔はとびきり綺麗で、アタシは思わず見惚れた。――そして傍らの彼の視線が彼女に注がれているのに気づく。良いことを思いついた。



「ありがと。紫ちゃん大好き」

 言葉と同時に彼女に抱きつく。驚き顔の彼女はそれでも、躊躇うことなくアタシを抱きしめ返してくれる。

「うん。私も志乃ちゃんが大好きだよ」

 嬉しい言葉がおまけについてきた。目を細めたアタシが抱きしめる腕に力を込めると、彼女の背中越しに彼と目が合った。
 色んな感情がない交ぜになった、とても複雑な表情をしている。その中のひとつの色に嫉妬を感じてアタシは笑んだ。……たまにはいいじゃん。



「……ねえ紫ちゃん」
「何、志乃ちゃん?」
「もうちょっと、ぎゅってして?」
「いいよ」

 ぎゅっ。要望通りに回された腕に力が込められて、アタシと彼女との距離が皆無になる。あったかい、ぬくもりをリアルに感じる距離。
 彼女の手がアタシの頭を撫でるに至って――複雑な顔の彼の眉間に、僅かに皺が寄った。



「志乃ちゃん今日は甘えたさんだね」
「うん。今日は紫ちゃんを独占したい気分なの」
「志乃ちゃんにならいつでも独占されたいけどな、私」
「ホント?」
「勿論本当」

 ニッコリと笑う彼女の背後で彼が動いた。ない交ぜになった感情の中から、徐々に嫉妬心が露わになってきている。



「紫サン。佐伯センパイ。そろそろ離れませんか?」
「「ヤダ」」

 異口同音に言うアタシたちを見て彼はため息を吐いた。相手がアタシじゃなくてなのちゃんならすでに引っ剥がされているだろう。

「僕もそろそろ紫サンを独占したいなー、なんて」
「北条くんいつも紫ちゃんを独り占めしてるじゃない。たまにはいいでしょ?」
「でもやっぱりちょっと複雑と言うか、その……」
「こんなところで子どもみたいな独占欲を発揮するな、全く……後でちゃんと構ってやるから!」
「…………本当、ですか?」



 ピコリ。彼女に大型犬と称される彼の、萎れていた耳が一瞬で立ち上がった。見えない尻尾をぶんぶん振りながら、彼女の返事を待っている。
 縋られた彼女は眉間に皺を寄せながら頷いた。



「二言はない」
「じゃあおとなしく図書室で待ってます。――絶対、ですからね!」

 そう言い残して、彼は足取り軽く部室を出て行った。






「やれやれ……困った奴だ」

 呟く彼女の口振りは言うほど困ってなさそうだ。それはそうだろう――誰が何て言おうと、彼女も彼が好きなことに変わりはないのだから。
 とは言え、アタシは暫くの間彼女の所有権をゲットすることに成功した。






可愛い彼女の
所有権



 可愛い彼女の所有権は、実は彼女自身が持っている。
 権利を誰に与えるかは、彼女次第。

 いつも一番近くで、彼が権利を得ようと狙っているだけで――



 彼女に親しい相手なら、所有権を得るのは意外と容易いのである。


 
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