『ダイジナモノ14』
-身から出た錆-



 


 ――ミオはすっかり忘れていた。



 和臣をそそのかして、紫に手を出させた。それが大海にバレて、彼に締め上げられた。
 その後彼らがどうなったのか、事の顛末を知ろうとはしなかった。とりあえず紫を和臣と共に閉じ込めて、彼女に怖い思いをさせることができたのは間違いない。それだけで少し溜飲が下がった。
 和臣がどこまでやらかしたのかはわからないが、月曜日に見たところ、彼には殴られた痕があった。きっと大海だろう。

(思った以上に危険な相手だったわ、北条先輩……)

 だがそれから音沙汰がない。それに安堵して、忘れていたのだ。



 ――自分が彼に締め上げられている、まだ途中だったことを。






『ダイジナモノ14』
-
身から出た-



 呼び出しを食らった理由はわからなかった。
 ただ、周りの女子生徒から人気のある若い新任教師から、名指しで呼び出されるのは悪い気はしない。ミオは足取り軽く彼の準備室に向かった。



 目的の部屋にたどり着く。軽くノックし、返事がある前に「失礼しまーす」と扉を開いた。
 雑然とした部屋の中、デスクに向かう人影は逆光で顔が見えなかった。そのシルエットに何故か違和感を感じたところで――

   ガチャリ。



「わざわざ済まんな。だが用があるのはオレじゃなくて彼だ。ちょっとつき合ってやってくれや」

 鍵のかかる音に反射的に振り返ると、扉の前に立っていたのはこの部屋の主だった。軽い調子でそう言った彼を見て息をのむ。……じゃあアソコに座ってるのは、誰?

 ――疑問に応えるように椅子から立ち上がった、背の高い姿にミオは慄然とした。



「北条……先輩……」
「君を小鳥遊先生が受け持ってて良かったよ。呼び出されてもそれほど不審に思わない相手だから」

 大海の顔に笑みはない。ただ淡々と、無表情のまま言うべき事のみを告げる。

「室津ミオ。僕はね、本気で怒ってるんだ。安藤を利用して、紫サンを傷つけたこと。
忠告は最初にしたよ、それを聞かなかったのは君だ。だから君を抹殺することにした」



 冷たい瞳。無機質な声。ゾクリ、背筋を冷たいものが這う。
 それでもミオは声を張り上げた。虚勢でも、呑まれたら負けだ。



「抹殺って……バッカじゃないの? できるもんならやってみなさいよ! アタシに手を出したら、裁かれるのはアンタの方よ!」
「室津……君は、僕が意味もなくそんなこと言うと思ってるの?」

 どこまでも、淡々と。揺れない感情にミオはとてつもない恐怖を覚えた。怖い。怖い。この男が――怖い。



「言っておくけど、僕は犯罪者になるつもりはないよ。――だって僕は僕だけのモノじゃないから。僕を想ってくれてる人がいるから、そしてそれを知ってるから、僕は君を思い切り殴りたい衝動を抑えることができるんだ……今もね」



 バサリ。殴られるかわりに大きめの封筒を投げつけられる。
 思わずそれを手で払いのけたミオは、そこから滑り出た紙――数枚の写真と、そこに写った制服姿の自分と『もう一人』の姿を見て目を剥いた。腕を組んでいる写真、睦まじげに寄り添う写真。そしてその背景に写っている場所。……これ、は…………!






「某有名代議士の息子、ねえ……」

 散らばった写真を眺めながら、初めて大海は口の端に笑みを浮かべた。――皮肉めいた笑みを。



「ねえ室津……『売り』をするのは君の勝手だけど、相手はちゃんと選ばなきゃね。
この写真を入れた封筒に宛名を書いて投函するだけで、僕は君を社会的に抹殺できる。……さあ誰宛にしようか。新聞社か、週刊誌か、それとも――この写真に写ってる本人か、その父親に送りつけてみようか?」
「……止めて!」



 金切り声をあげて、ミオは散らばった写真を拾い集めた。何で、何で何で何で――!
 真っ白になった頭に、大海の言葉が、真っ黒な墨で書かれたようにはっきりくっきり刻みつけられる。



「室津。もう一度だけ言うよ。消えて、僕たちの前から。
これが本当に最後の通告だ。……次はない」






 写真を乱雑に封筒に突っ込んだミオが扉に向かうのを、大海は止めなかった。それを見た小鳥遊は扉の前から退けてやる。
 自分で鍵を開けて脱兎のごとく逃げ出した、彼女のバタバタという足音が遠ざかる。扉を閉めた小鳥遊は、大きなため息を吐き出した。



「北条お前……えげつない手段採るなー。写真の出所はどこだ?」
「吉野の二人目のお兄さんが探偵さんだそうで、吉野を通じて頼みました。あの女の弱みを探してくれって。……まさか、ここまで都合の良い弱みが出てくるとは思ってもみませんでしたが」

 あっさりとそう言った大海を見て、小鳥遊は頭を抱えたくなった。自分がかつて受けた仕打ちなど、まだ可愛らしく思える。

「つくづくお前を敵に回したくねーわ……」
「そうしてくれると助かります。僕、あなたのことはそんなに嫌いじゃないですから」

 ようやくいつもの顔で笑った大海を見て、小鳥遊も安堵で顔を笑ませた。



 部屋に残ったのは、もしもの為だった。
 大海が彼女に暴力を振るうようなことがあるなら、それを阻止するために。

 だが大海は見事に自分を律した。紫を傷つけた元凶である彼女を、本当は殴るだけでは飽き足らないくらい腹立たしく思っていたはずだ。それでも彼は自分を抑えた。――他ならない、紫のために。

 彼の、本当に大事なものを見間違えないところは、年下ながら尊敬できると小鳥遊は思った。……思ったが。



「ばぁか。キモチワルイこと言うな!」



 小鳥遊はそう言って、笑んだ顔を無理やり曲げて、渋い渋い顔をしてみせた。


 
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