![]() | 『ダイジナモノ12』 -安心できる場所- |
「真雪サン。ちょっといいですか?」 閉店間際の店内をバタバタと走り回っていた真雪は、平日まみえるには珍しい顔に首を傾げた。 神妙な面もちの彼がいて、妹はいない。その理由。 「……紫に、何かあったの?」 「すみません……詳しくは言いたくないんですが、トラブルに巻き込まれて、ちょっと精神的に参っちゃったみたいで。今、家で寝てるんです」 真雪は沈黙した。そしてしばらく考えてから口を開いた。 「……大海君のお家で?」 「ええ」 「精神的なこと以外には何もなかったの?」 「それは、はい。大丈夫です」 「私や……親には言いたくないことなのね?」 「……はい」 頷いて、それから大海は肩を落とした。 「ごめんなさい……。僕が守りきれなかったから……」 そんな彼の姿を見て、真雪は少し微笑んだ。紫は幸せ者ね、こんな素敵な人と想い合えて。 頭を撫でてあげたいと思ったけれど、身長差がありすぎて到底届かないので、かわりに彼の手を握って、ポンポンと軽く叩いてやる。 「……いいわ。あなたは最善を尽くしてくれたんでしょう? だってあなたは何もせずに後悔するような人じゃないもの」 ごめんなさい、もう一度小さな声で謝った大海を、真雪は真下から覗き込む。 「大海君。あなたにお願いがあるの。 今日は紫をあなたのお家に泊めてあげて。事情を知っているあなたがあの子の傍に居てあげて。……親には私から言っておくわ」 「え……」 目を見張る彼に、真雪はニッコリと笑ってみせた。 「それが、私があなたを信じて、許してる証にならないかしら?」 -安心できる場所- 「ん……あれ?」 目を覚ますと、見慣れない天井が視界に映った。部屋をぐるりと見渡して、ここが大海の部屋だということに気づく。 ズキズキ。頭が痛いのはきっと泣いたからだ。久しぶりに泣いた気がした。それも人前で。 「……北条?」 部屋の主は居なかった。だが、トントン、階段を上がる足音がして、すぐに扉が静かに開いた。控えめに声がかけられる。 「……紫サン、起きてますか?」 「起きてるよ」 身を起こすと、ホッとしたような顔の大海が近づいてきた。水とタオルを載せたトレーを机の上に置いて、ベッドの横に座る。 「大丈夫ですか?」 「頭……痛い……」 「泣いたからでしょうね。薬、飲みますか?」 彼が差し出してくれたのは頭痛薬だった。いつも飲んでいるのと同じ薬だったので、受け取って水と一緒に飲み下す。 返すグラスと引き換えに、濡れたタオルが手渡されたので、それも受け取って腫れぼったい瞼に当てた。 「その薬ね、真雪サンから預かってきたんです」 大海の言葉に、紫はタオルの下の目を瞬かせた。 「……まゆ姉、から?」 「心配かけたくないだろうから、詳しくは話してません。それでも、『今日はここに泊まってかまわない。親には私が言っておくから』。そう言われました。……あなたにも、メールが届いているはずです」 枕元に置かれた紫の携帯のランプが明滅している。メールの着信を示す色で、確認すると何件かの新着メールの中、一番新しい履歴に『鷹月真雪』の名前があった。……今大海が言っていたのと同じ内容が書いてある。 『傷ついたのなら、一番癒やしてもらえる人のところにいなさい。一人でいるよりもきっと、傷が癒えるのは早いから』 最後にそれだけ、言い添えてあった。 画面を見つめる紫に、大海は優しい声音で言った。 「僕は……あんなことがあったから、今日はあなたの傍にいたいです。そうしたら、もしあなたがうなされても、僕があなたのことを助けに行けますから。 でもあなたが望まないなら、今から家まで送っていきます」 もう遅いですからね、困ったように笑う大海の顔。 姉のメールに一言だけ返事をして携帯を畳むと、紫は大海の袖を掴んだ。今日は……今日だけは傍に居たい。居て欲しい。 「……お願い……傍に、居させて……」 そう言うと、大海は、ハイと言って微笑んだ。 狭いベッドに一緒に横になる。窮屈だけど安らげる。この際だから甘えよう、紫はそう思って、後ろから抱きしめてくれる大海の胸にすり寄った。 「今日のことは、全部忘れてくれな」 「こんなに可愛く甘えてくれる姿は、できれば忘れたくないんですけどね」 「……全部だ」 ハイハイ。苦笑する大海の声が近い。それから、そう言えば、と思い出したように彼は続けた。 「名前……呼んでくれましたね」 「そうだな」 「もう元に戻ってますけど」 「そうだな……あの時は躊躇いなく呼べたんだけど」 首を傾げてから、違うことを思い出した。あの時、名前を呼んだ時―― 「お前を呼んだ時な……安藤、すごく傷ついたような顔になって、『先輩はもうオレの知ってた先輩じゃない』って言ったんだ。意味ははっきりわからなかったけど、名前を呼んで手が止まったから……そう言う意味でもお前に助けられた」 「そう……だったんですか……」 「なあ北条。安藤がしたこと……赦せとは言わない。でも、それも忘れてくれ。アイツは、本当は悪いヤツじゃないんだ……」 小さな頃から知っている、弟みたいな彼。 彼が自分を傷つけたのは事実だけど、自分も確かに彼を傷つけていたのだ。 「できれば……アイツとはもう一度、話をしたい。アイツは、安藤……和正の弟で、一純の友人で、私の弟みたいなヤツだから。ちゃんと話をして、少しでもわだかまりを無くしたい」 「……あなたは……本当に……」 ため息が聞こえて、それから回された腕に力が入った。 「僕も一緒なら、いいです」 「……うん。ありがとう」 紫は目を閉じた。とろとろ、まどろみが訪れる。 世界で一番、安心できる場所。ここなら、何も怖くない。 「大海……お前がいてくれて、良かった……」 それだけ呟いて、紫は意識を手放した。 穏やかな顔で眠る紫を見て、大海はひとまず安堵の吐息を漏らした。 だが彼女は気づいていない。今回の黒幕に。彼女を傷つけ、和臣を利用して、すべてを滅茶苦茶にしようとした、あの女の存在に―― (ちゃんと全部、終わらせなければ) 大海は眠る紫の頬にキスを落とした。それから、彼女を起こさないようにそっとベッドから抜け出すと、携帯を手に廊下に出る。 アドレス帳から目当ての相手を選んで通話ボタンを押した。三コール目で繋がるなり、文句の嵐に襲われる。 ごめんって、詳しくはまた話すから。そう言って嵐をやり過ごした彼は、真剣な声で『彼女』に切り出した。 「吉野。頼みがあるんだけど――」 |