![]() | 『ダイジナモノ11』 -傷ついたことすら気づかずに- |
大事なものは、壊されずにすんだ。 でもそれが、本当は呆気なく壊されてしまうものだと、紫は初めて気づいた。 たまたま今回は、間に合った。 だがもし、『次』があったら――? -傷ついたことすら気づかずに- 大海の部屋のベッドの上で、紫は膝を抱えていた。 トントン、階段を上がる足音にホッとする。大海が傍に居る方が落ち着ける。 部屋に戻ってきた彼が差し出してくれた、温かいミルクティーを口にする。たっぷりのミルクの優しい味が心をほぐす。ようやく笑みが口の端に上った。 それを見た大海も笑顔を浮かべた。だがベッドに腰かけた彼は、ポツリと、謝罪の言葉を口にした。 「紫サン……ごめんなさい」 紫はまばたきをした。彼が謝る要素はどこにあったのだろうか? 「僕は、あなたを守れなかった」 「北条……私は、大丈夫だから」 「大丈夫じゃないです……だって、現にあなたは傷ついた」 紫は飲みかけのカップを机の上に置いた。そしておずおずと大海の隣に座り直す。横から見上げた彼は、自らの不甲斐なさを噛みしめているような、そんな顔をしていた。 「大丈夫だか……」 重ねて言いかけた紫は大海に抱きしめられた。 ここは、安心できる腕の中。――和臣とは全然違う。そう考えたら、ブルリ、身体が僅かに震えた。 「……何も、されませんでしたか?」 「うん……間に合ったから」 大海にしがみつくと、優しく背中を撫でてくれた。自分を案じる柔らかな声が、ミルクティーと同じように心に沁みていく。 「ねえ紫サン……我慢しないでください。怖かったら怖かったって、言っていいんです。お願いだから、僕にだけは隠さずに言ってください」 「……怖い……?」 紫は顔を上げた。心配そうに自分を見つめる大海と目が合う。――ああ、そうか。 「そうだ……怖かったんだ、私は……」 もう一度、ブルリと震える紫を見て、大海が抱きしめる腕に力を込めた。だが紫は彼を押しのけて腕から逃れた。 目を見張る彼の前で、紫はタイの結び目を解いて、襟から抜いて放り投げた。それからくしゃくしゃになったセーラーのサイドファスナーを引き上げ、服に手をかけて一気に脱ぎ捨てる。 「紫サン、何を……!?」 さらにキャミソールにまで手を遣った紫の、その手を大海が握って止めた。さすがに狼狽している彼から目を逸らし、キャミソール姿の紫はぽつりと言った。 「北条……私、あの時、怖かったんだ。お前が大事にしてくれていたものを、壊されてしまうと思ったから。 まだ抱かれたくないって言ったのは私なのに……こんなことになるんなら、もっと早く、お前に初めてをあげておけば良かったって、すごい後悔した。 だから、今回は大丈夫だったけど……こんなことになって、こんな目に遭って、もし次があったら……って考えたら……今、ここで、お前に抱いてもらった方が」 「そんなこと……言わないでください!」 悲痛な声で叫んだ大海に、肺腑の息が漏れ出す位強く抱きしめられた。 ――涙が零れたのは、苦しいからだ。体も、心も。 「次なんてありません、僕があなたを守るから! だから……お願いだからそんなこと言わないでください。僕はそんな泣きそうな顔のあなたなんて抱きたくない!」 彼の慟哭が、心に突き刺さる。……優しくて、思い溢れた拒絶に、また一粒、涙が零れた。 「……北条…………ごめん……ごめんなさい……」 「謝るのは僕の方です……ごめんなさい、あなたを守れなくて……あなたが傷つくのを止められなくてごめんなさい……!」 零れる涙が、止まらない。 泣きたくないのに、涙なんか見せたくないのに。一度決壊した涙腺は、押しとどめるすべがわからない。 「北条……頼む、今日のことは忘れてくれ……。私も忘れるから、だから」 こんなに弱い私のことも、全部忘れてくれ。 しゃくりあげながら言った言葉は言葉にならなかった。 溢れる涙を拭うことなく零し続ける紫を、大海は黙って抱きしめたまま、唇を噛みしめ、鋭い瞳で虚空を睨みつけていた。 |