『ダイジナモノ8』
-見えた全容-



 


「……え? 紫サンまだ来てないんですか?」

 日直の仕事を片づけていたので、部活に来るのが遅くなった大海が、部室に入るなり問われたのが紫の所在だった。
 もちろん大海が知るはずはない。昼に会った後は会っていないから。



 紫にシルシを付けたのがおとといの放課後。
 それを安藤に詰問されたのが昨日の放課後。
 安藤が紫に会って、シルシを見つけたのは昼休憩だろうと考えた大海は、今日の昼に部室に向かった。兄に釘を刺されてはいたが、それでも安藤が紫に会いに行っていないか心配になったのだ。
 部室には紫しかいなかった。難しい顔で何かを考えていた彼女に、大海は違和感を感じた。何か――あった?
 だが紫は『何もない』の一点張りで、予鈴まで粘った大海も詮索を諦めざるを得なかった。

「……何かあったら、すぐに僕に言ってくださいね?」

 教室に戻る前、渡り廊下でそれだけ言った。詮索を避けて大海に向き合ってくれなかった紫は、わかった、それだけ言ってようやく振り向いてくれた。
 頭を撫でると、紫の表情がやっと和らいだ。その顔を見ながら、気をつけておこうと思った矢先の、紫の不在。



 …………嫌な予感が、ひしひしとする。



「僕……紫サン捜してきます」
「宛てはあるの?」
「ないけど捜します!」

 そう言い捨てて、大海は今くぐったばかりの部室の扉を、反対側に飛び出した。






『ダイジナモノ8』
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 足早に歩きながら大海は考える。

(とりあえず、紫サンの教室に行ってみて、それから一年の教室に行ってみるか……)



 昼間の紫の様子からして、きっと和臣とまた何かあったのだろう。だがそれを自分に言わずに一人で何とかしようとしている。
 ――言えば自分が怒るようなことをされた。そう考えるのは容易かった。



(紫サン……理解ってますか? 彼も、男なんですよ?)

 女の紫は、力では男に適わない。
 ましてや情を盾にされたら――前みたいに容赦なく抵抗できない。

(紫サン……!)






「あれ……ヒロ兄?」



 聞き覚えのあるボーイソプラノに、大海は足を止めた。
 近づいてきたのは剣道着姿の紫……ではない。彼女と同じ顔、だがずっと短い髪。華奢で小柄な少年は、紫の弟――鷹月一純だった。

「あ、イズミ君。紫サン知らない?」
「ゆか姉? 放課後会ったよ」
「どこで!?」
「一年の教室前廊下で……あれ? そういやゆか姉もアイツ捜してたっけ。ひょっとしてゆか姉が何か知ってるのかな?」

 質問の回答から、自分の思考に飛躍して首を捻り始めた一純の、その言葉が引っかかる。

「……アイツ?」
「うん。オレ、部活サボってる同級生捜してるんだ。鞄あるからまだ校内にいるはずだし。
ゆか姉は放課後早い時間に一年の教室に来てたよ。和臣の教室を聞かれたから教えたんだけど……」

 聞き覚えのある名に眉をひそめる大海には気づかず、一純は反対側に首を傾げた。

「その後1−Bの教室の前で、ゆか姉が一年の女と話してて、そのまま教室に入らずにどっか行ったとこまでしか知らないよ」
「……どんな女?」
「えーと……ちっこくて髪が短い、なんかぶりぶりしたカワイイ系の女」






 ――大海の頭の中で、バラバラのパーツが一気に組み合わさって、全体像が見えてくる。

 放課後、紫は和臣を捜していた。そこに声をかけた女。そして行方知れずの紫と和臣。
 ……室津ミオ、だ。
 まだピースが足りないから断言はできない。だが室津の件と和臣の件は、別件ではなく、実は絡み合った一つの件だったとしたら?
 室津ミオが、忠告を無視して、和臣を利用して紫に手を出していたのだとしたら?

 ――サッと背筋が冷えた。
 だがそれを目の前の一純に悟られない方がいい。大海は必死で笑顔を作って貼りつけた。



「ありがとう、イズミ君。もう少し捜してみるよ」
「ん。またねヒロ兄」



 一純と別れた大海は1−Bの教室を目指した。捜すのは紫でも和臣でもない。……室津ミオ。






 彼女は教室にいなかったが、ついさっき教室を出たとのことだった。自分が入って来た方とは反対側の出口を目指すと、人気のない廊下を玄関の方に向かう小柄な人影を見つけた。



「……ちょっと待って」

 低く、抑えた声で彼女を呼び止める。ピクリ、肩を僅かに揺らして立ち止まった彼女が振り返った時には、その顔に無邪気な笑顔を浮かべていた。



「あ、北条先輩。おひさしぶりですー。ミオに何か、ご用ですかぁ?」
「うん。人を捜してて。……紫サン知らない?」
「えー? 知りませんよぉ?」

 可愛い娘ぶって言う彼女を見ても、これっぽっちも可愛らしさを感じない。むしろ苛立ちが増幅するだけだ。



「……じゃあ聞き方を変えるよ。紫サンに、どこに行くように言った?」



 そう言うとさすがに彼女は目を見開いた。それからまた笑みを浮かべる。先程とは全く違う、黒い笑み。



「さすがですね、北条先輩。ミオが黒幕だって、気づいてたんですか?」
「……そうだね」

 大海は静かにミオの傍に歩み寄った。それから彼女の腕を掴んでねじり上げる。悲鳴を漏らした彼女を冷たく見下した。



「今、君の口から聞いて確証を得たよ。それを僕の目の前で言うあたり、案外バカだよね、君は。……答えて。紫サンは、どこ?」
「答えると思ってんの?」
「答えてもらわなきゃ困る」

 握った腕に力を込めると、ミオが苦悶の声を上げた。



「痛……っ! 言うから、離して!」
「言ったら離してあげてもいいよ」
「…………体育……倉庫……グラウンド脇の……」

 わかった、大海は言って、そのままミオを引っ張って歩き出した。

「ちょっと、約束が違うわ! 離してくれるって言ったじゃない!」
「離してあげてもいい、って言ったんだよ。やっぱり止めた。紫サンの安全が確認されるまでつき合ってもらおうか」



 冷たく言った大海を見て、弾けるようにミオは笑い出した。甲高いその笑い声が、さらにイライラを募らせる。

「……何がおかしいの?」
「鷹月紫の安全を考えるなら、急いだ方がいいんじゃない? たっぷりそそのかしてあげたから、彼が何をしでかすか、アタシにもわからないもの」
「『彼』? ……安藤和臣か?」
「……さあね」



 否定しない返事が肯定だと知る。これで線が一本に繋がった。
 大海はミオを放り出して駆け出した。狂ったように、壊れたようにミオが笑う。

「あははは! 守れれるかしら、先輩の大事な『紫サン』」



(紫サン……紫サン、紫サン!)

 どうか、間に合って。祈りながら、大海は駆けた。


 
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