『ダイジナモノ6』 -想う、故にすれ違う- |
「北条……何か、疲れてないか?」 紫サンにそう聞かれたのは、その日の放課後、部活中のことだった。 確かに、疲れていると言えば疲れていた。 懸念事項が多すぎる。安藤の件はもちろんだけど、アリカ先輩から聞いた室津の件も気にかかる。 気にしすぎと言えばそうなのかも知れないけど、頭から嫌な予感が離れない。虫の知らせ、と言うのか、こういう予感は良く当たる。 だから気をつけておくに越したことはないのだけれど―― (……それで紫サンに心配かけちゃ駄目だよね) だから僕は笑って言った。 「大丈夫ですよ、紫サン」 それでも彼女の心配顔は拭えない。……心配されるのは嬉しいけど、どうしよう。 「じゃあ……ちょっとだけ」 僕はそう言って、彼女を抱きしめた。 こうやって腕の中に閉じ込めておけば、彼女は僕のものだと安心できる。 でもずっとこうしておくわけにもいかないし、ずっと一緒にいるわけにもいかない。 昨日のキスマークを指でなぞる。このシルシもすぐに消えてしまうだろう。確かに彼女の心を得たと言うのに、不安で不安で仕方ない。 「紫サン……」 「何だ?」 「大好きです」 何度伝えても伝え足りない。何度でも知って欲しい。何度でも受け止めて、何度でも受け入れて欲しい。 「……うん。私も」 真っ赤になりながらそう返してくれる彼女が愛しくて仕方ない。 (守らなきゃ) 僕は改めてそう思った。 -想う、故にすれ違う- 和臣は今日の昼も部室にやって来た。 そして昨日と同じように私の目の前に陣取って、今日は私が食事を終えるまで待ってから、黙していた口を開いた。 「なあユカリ先輩。先輩はアイツのどこが良いんだ?」 問われてたっぷり三拍、考えた私はだが『アイツ』が誰なのか解らず首を傾げた。 「『アイツ』って誰だ?」 「アイツはアイツだよ」 「それじゃ解らん」 「……北条、だよ」 吐き捨てた和臣に私は眉をひそめた。 「彼は一応先輩だろう。呼び捨てにするのは失礼じゃないのか?」 「だからアイツって言ったの。……ユカリ先輩はさ、アイツのこと好きなの? なんでアイツなんだよ? アイツのどこが良いんだよ!?」 再び三拍。 「……はあ!?」 思わず間抜けな声が漏れる。意味の解った問いかけは、私を赤面させるに十分なものだった。 「私に今ここでそれを言えと!?」 「先輩がアイツを好きじゃなきゃ別に良いけど?」 ……また訳のわからないことを言う。私はため息をついた。 「……なあ安藤。なんで北条にこだわるんだ? 私が誰を選んだとしても、お前には関係ないだろう?」 答えを回避しようと私が口にした言葉は、だが和臣の気に障ったらしい。 ダンッ! 机が平手で殴りつけられて、その音に私は思わず首を竦めた。――何だ? 「何でわかんないかなあ!? オレがこだわってるのは、アイツじゃなくてユカリ先輩だよ? 先輩はさ……酷いよね。オレも、兄貴も、ずっと先輩のこと好きだったのに、全然気づいてくれなくてさ」 私は思いがけない告白に目を見張った。 『いくら弟みたいな相手だってあなたが思ってても、僕は気が気じゃないんですよ。……彼はあなたに気があるようだし』 北条の言葉が頭をよぎる。あの時私は、いくらなんでも考え過ぎだろうと、彼の言葉を一蹴したのだ。 それが和臣だけでなく……和正も!? 混乱した私を置いてきぼりにしたまま、和臣は続けた。 「なのにいつの間にかカレシとか作ってて。オレは今だって先輩が好きなのに、今度はアイツが邪魔をする」 知ってた? 和臣が私の首の後ろを指差した。昨日彼が気にしていた場所。それが何なのかすっかり忘れていた。 「先輩のココ、キスマーク付いてる。……アイツが付けたんだ、オレに見せつけるために。すっげぇ意地が悪いよな」 首を押さえて、私は真っ赤になった。――おとといの放課後、北条が吸いついた場所。そして昨日彼が意味ありげに指でなぞっていた場所。 あの……バカ! 内心でそう吐き捨てた私は、いつの間にか和臣が近づいてきていたことに気づかなかった。 そして気づいた時には遅かった。両の手首を和臣に掴まれ、自由が利かなくなっていた。もがいても拘束は緩まない。 「……和臣!?」 「やっと、名前で呼んでくれた。なあユカリ先輩……オレじゃ駄目なのか? どうしても、アイツじゃないと駄目なのか!?」 「だって、お前は私にとっては弟みたいなものだから……」 「でもオレはそれじゃイヤなんだよ!」 ――コンコン。 和臣が荒げた声は、開けた扉を静かに叩く音で遮られた。 「あのさ、オレさ、着任早々面倒ごと背負いこみたくないワケ。だから……そこの男子。ソイツの手を離して、さっさとどっかに行ってくんない?」 予期しない顔に私は目を見張った。そして相手が教師だと気づいた和臣も。 パッと私の手を離した彼は、小鳥遊の脇をすり抜けて部屋を飛び出していった。 ……助かった。大きな息を吐いてへたり込んだ私を、小鳥遊が片手で引き上げてくれた。 「ざまぁねぇな、紫」 私は返す言葉もなくうなだれた。その頭がポンポンと叩かれる。 「お前は男を男としてみてないからこうなるんだ。危機感が無さ過ぎる、少しは懲りろ。……今回のことは北条に言っとけ、言いにくいんならオレから伝えとく」 叩かれる頭と同じリズムでポンポンと投げられた、言葉の意味が頭に染みてハッと顔を上げる。それ、は―― 「……言わなくていい!」 思わず声を上げた私を、小鳥遊は冷めた目で見遣った。 「お前に、何とかできるのか?」 「何とかする! だから言うな!」 ……黙っていたら、きっと北条は怒るだろう。 ただ、彼と和臣が――好きな相手と親しい相手が諍う場を、私は見たくなかった。 だから、自分で何とかしなければ。頭の中にあったのは、ただそれだけだった。 |