『ダイジナモノ4』
-痛烈な牽制-



 


 何でこんなことに。私は眉間に皺を寄せた。

 ここは文芸部の部室で。
 私はいつものように昼食中で。

 ――そして目の前には和臣がいる。



「なあユカリ先輩。なんで剣道止めたんだ?」



 ――居心地が悪い。とても居心地が悪い。

 和臣に嫉妬した、そう北条に言われたのはつい昨日だ。それなのに、部室に向かう途中で和臣に捕まって、彼はそのまま部室について来た。
 そして差し向かいに座った和臣の問いかけを、弁当をかき込みながら適当に受け流していたのだが……

 ……せっかくの弁当が旨くない。



「弁当くらい落ち着いて食わせてくれ。……『安藤』」



 意図的にそう口にすると、和臣が刺されたような顔をした。

 罪悪感はあるが、ようやく静かになったので、その間に半割りのゆで卵をひと口で飲み込む。朝振った塩が昼には程良く染みているのが好きだ。最後に残った海老のマヨネーズ焼きを口に放り込んで、咀嚼しながら弁当に蓋をした。
 そして、ゴクリ、口の中身を飲み下したところで、静かだった和臣がまた口を開いた。

「ユカリ先輩。どうしてオレのこと邪険にするんだ?」
「あのな……」

 どうやら食事が終わるまで喋るのを待っていたらしい。それはいいのだが。
 私は大仰にため息を吐いて見せた。

「私は、ここで考え事をしながら一人でゆっくり食事を採るのが好きなんだ。だから邪魔されたら機嫌が良くないのはわかるだろう? か……安藤」
「……それも。わざとらしいよ。なんで今更名字呼び?」

 そこは突かれると思っていた。だから予め用意しておいた答えを告げてやる。

「これは私なりのけじめだ」
「カレシへの義理立てじゃなくて?」
「……それも否定はしないよ」



『どうして紫サンはアイツの名前を呼び捨てにしてるんですか? 僕だってまだ呼んでもらえないのに!』



 北条の言うとおり、彼氏を名字で呼び捨てて、後輩を名前呼びするのはどうかと思う。
 北条の名前を呼ぶのはまだ照れくさいから、せめて和臣の方だけでもけじめとして意識しておこう。そう肝に銘じて、私は動いた拍子に流れた髪の毛を背中に払った。

 その時。

 ……急に、和臣が目を大きく見開いた。

 何かあったのだろうか。私の疑問に、彼は彼が感じた違和感を口にすることで応えてくれた。



「……首……」
「首?」



 言われてペタペタ首筋を触るが、特に痛くも痒くも何ともない。首を傾げた私を見て、和臣は眉をつり上げた。ガタリ、音をたてて立ち上がり、そのまま扉へと向かう。



「……また来るから!」

 そしてそれだけ言い捨てて、和臣は部室を出て行った。



 ……何だったんだ、アイツ。

 もう一度首に触れる。やはり痛くも痒くも何ともない。

 『また来る』。その言葉が引っかかりはしたが、来たらまたその時に対応しよう。私はそう結論づけた。
 そしてようやく、いつも通りに第二図書室の鍵を手にした私は、本を選ぶべく部室を出た。

 ――当然ながら、そこに和臣の姿はもうなかった。






ダイジナモノ4
-
痛烈な牽制-



 ――畜生!
 廊下に出たところでオレは駆け出した。このドロドロした気分を吹き飛ばしたかった。

 ユカリ先輩の白いうなじに赤い痕。何の痕かくらいオレにだってわかる。
 ……キスマーク。それもまだ、新しいもの。

 アイツだ。北条。
 いくら彼氏だからって、あんな見えやすいところに、あんな生々しい痕を付けるなんて!

 そう思ったところで間違いに気づく。



(アイツ……わざと、あそこに付けた?)



 ユカリ先輩は、痕を付けられたことを気にしていないと言うよりは、付けられたことに気づいていない風だった。
 先輩に見えなくて、他の人にだけ見える理由――

 彼女は自分のモノだというシルシ。
 それは他の男に――多分オレに対する、痛烈な牽制。



「畜生……!」

 声が漏れた。悔しい。悔しい。猛烈に悔しい。

 二年の年の差がこれほど悔やまれたのは初めてだ。
 オレが傍に居られない間でも、兄貴がユカリ先輩の傍にいたら、ユカリ先輩は彼氏なんて作らないと、どこかで思っていた。それなのに。
 兄貴もオレもユカリ先輩の傍に居なかった間に、アイツが、ユカリ先輩を――!






「どーしたの? 今日も荒れ荒れじゃーん」
「うるさい」

 聞き馴染んできた甘い声に、オレは苛立った感情を逆撫でされた気がした。自然と返事もぶっきらぼうなものになる。

「先輩に、会えなかったのぉ?」
「会えた。でも会わない方が良かったかもな」

 それだけ言い捨てて、オレは室津を無視して教室に向かった。えー何ソレどーゆうこと? 訊ねてくる室津が煩わしくて、オレは苛立ちの原因を言葉にして吐き出した。



「キスマーク!」



 驚いた顔になった室津が言葉と足を同時に止めたので、今度こそオレは室津を置き去りにその場を立ち去った。






「ふぅ……ん。早速牽制して来るなんて、さすがの溺愛っぷりね、北条先輩。
……でも『火に油を注ぐ』って言葉、知らないのかしらねぇ?」






 ――教室の入口をくぐろうとしていたオレには、室津のその言葉は届かなかった。

 
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