『ダイジナモノ1』 -真っ黒な憎悪- |
――男なんてみんなバカばっか。 室津ミオはそう思っていた。 男受けするような外見も、ちょっと可愛い娘ぶった喋り方や表情、仕草さえ、自分で意識して作り上げたもの。 そうすればバカな男たちはみんなミオの言うことを聞いてくれる。同級生も先輩もオトナだって自分の意のままになる。 高校に入って、カッコイイ男を見つけたから、いつものように彼氏にしようと思った。 ミオにとって彼氏とは、アクセサリーと同じようにとっかえひっかえするものだった。連れて歩くのに見栄えがして、自分の言うことを聞いてくれて暇を潰してくれる相手なら、彼氏なんて誰でも良かった。 『彼』に彼女がいることは知っていた。だがそれはミオには関係ない。彼女なんていてもいなくても、奪い取れる自信があるから。 そう、思っていたのに。 「彼女は君なんかよりずっと素敵な人だよ。……だから僕は君には惹かれないし揺らがない。触れたいのも抱きたいのも彼女だけだ。 彼女を傷つけけるつもりなら、容赦しないよ。僕は全力で彼女を守るから。……消えて。君は、必要ない」 ――屈辱だった。 今まで呆気なく落とせた男とは全く違った。彼はミオにはかけらも揺らがなかった。 そして。 「目の前の快楽に流されて、無責任で安易に体を重ねられることのどこが相手のためになる? 大事なのは今じゃない、今も含めた未来だ。先を見ることができなくて、本当に相手を想っていると言えるのか?」 真っ直ぐにそう言い切った彼の『彼女』に、圧された。 彼女は自分にないものを持っていた。大事にされて、愛しまれて、想い想われる幸せを手にしていて。 ムカついて、イライラして、途方もなく憎らしくて、――羨ましいと、そう思った、 ドロドロした、真っ黒な感情が、次第に渦を巻いていく。 ――許せない。赦せない。あの女が、ユルセナイ。 「見てなさいよ……鷹月紫!」 -真っ黒な憎悪- 「ユカリ先輩、勝負!」 「……しつこいな和臣。ここは道場じゃない。文芸部の部室だ。お前は一体何を勝負するつもりだ?」 「剣道に決まってんじゃん! だから格技場に行くぞ!」 「行く必要はない。私は部紙の締切間近で忙しい。他を当たれ」 部室前でのやり取りを大海は不機嫌に聞いている。部活前に文芸部の部室に日参している輩がいるのだ、それも紫を目当てに。 相手は一年生。そして紫と同じ剣道の道場に通っていた、彼女の後輩。 ――自分の知らない昔の彼女を知っている男。 そして彼女に名前を呼んで貰える男―― ……大海の眉間の皺が深くなった。 「だーかーら! アンタが良いんだって言ってるじゃん!」 「個人戦でも団体戦でも男子は女子とは当たらんだろう。私とやるより安藤と……兄貴とやれ。そもそも私は現役を退いて久しいんだ」 「最近、時々道場に顔出してるってイズミに聞いたけど?」 「アイツ……余計なことを……」 苦虫を噛み潰したような顔をしている紫の前に、ずいっと彼が詰め寄った。 「ユカリ先輩。勝負!」 「帰れ」 不機嫌に紫が言ったところでチャイムが鳴った。……タイムアウトだ。 大海は紫に近づくと、彼女の腕を掴んで部室の中に引っ張り込む。それから不機嫌な顔の上にニッコリ笑顔を貼りつけて、彼――剣道部一年、安藤和臣に言った。 「チャイム鳴ったから、君も部活に行った方がいいんじゃない? それから。紫サンは迷惑してるから、そろそろ止めてもらえるかな、こういうの」 じゃあね。笑顔で威圧して、大海は彼の鼻先で部室の扉を閉めた。 「……さすがにそろそろ鬱陶しく感じてきたわね……」 容赦のないかんなの口ぶりに、紫が肩を竦めた。 「済まない。悪いヤツじゃないんだが、どうにも直情径行で……。 明日にでも剣道部の主将に言っておくよ、放課後は部活に直行するように」 「……甚だ迷惑だし、それに対して紫サンが謝るのもすっごく気にくわないですけど、それより」 大海は不機嫌さを隠そうともせずに言った。 「どうして紫サンはアイツの名前を呼び捨てにしてるんですか? 僕だってまだ呼んでもらえないのに!」 「それは……アイツは小さい時から知ってる弟みたいなもんだし、アイツの兄が剣道部の主将で、同じ『安藤』でややこしいから……」 「理由はいいです。僕のことも名前で呼んでください!」 「本音はそっちだろう! 今更呼べるか!」 「今更だっていいじゃないですか、僕は紫サンの彼氏でしょ?」 「それは……そうだけど、でも……」 「……はいはい。痴話喧嘩はいいから、部活始めましょ」 そうかんなが言ったので、大海はしぶしぶ席に着いた。 紫がホッとしたような顔で自分の隣に座るのを見て、少し複雑な気分になる。 かんなの言葉が、紫に対する助け舟だというのはわかっている。 そして、今更、恥ずかしいから、紫の理屈もわかってはいる。 だけどそれでも、そろそろ名前で呼んで欲しい。……それは、欲張りだろうか? ――名前を呼んでもらえるあの一年が、羨ましい。 チクチクとした嫉妬が心を苛む。大海はその思いをため息と一緒に吐き出した。 彼女が自分の名を呼んでくれるまでは、まだまだかかりそうだ。 |